アトランタ1


【教育時評】

アトランタの教訓 (1)


はじめに

 アトランタ・オリンピックといっても、もうすでに過去の出来事としておおかたの人はその詳しいことは忘れているかもしれない。有森裕子の活躍とか、サッカーはよくやった、とか、女子のバスケットも健闘したんだぞ、とか、さらには、十文字選手というのもいたな、など、記憶の断片化も相当進んでいそうである。しかし、日本チームが不振で、あれだけたくさんの選手を送りながら3個しか金メダルを取れなかった、ということはどれだけみんなの記憶に残っているだろうか。

 関係者の予想がいくつだったのかはもう忘れたが、前回のバルセロナが3個だったから、今度もそれぐらいなのだろうか、まさかそんな少ないはずはないか、などと思っているうちに、本当に3個になってしまった。しかも、今度はすべて「柔道」である。そのとき、がっかりしたのか、それとも、まあこんなものか、と思ったのか、どちらだったのだろうか。もちろん、私自身ではなくて、日本人全体が、である。

 これはスポーツの世界の出来事で、スポーツは所詮、娯楽の一部にすぎないのだからどうでもよいことだ、と思われるかもしれない。しかし、私は以前から、ここにこの日本という国とそこに住む我々日本人が現在直面している様々な問題が集約的に表現されているような気がしてならなかった。そこでこのたび、少し時間をかけてこの問題を考えてみたいと思う。スポーツから発展して、教育、学校、規制緩和、国際化、など、今もっともホットな問題がここから導き出されてくるかもしれない。はたしてどの程度、核心に迫ることができるのかわからないが、とにかく行けるところまで行ってみようと思っている。


オリンピックでのこれまでの日本の成績

 まず、アトランタで取った金メダルの3個という数字が少ないのかどうかを知るために「表1」をつくってみた。

 64年の東京大会の16個をピークにして、しばらく二桁が続いて、88年のソウルで激減し、現在に至っている。この間の経緯をもうすこし詳しく見てみよう。

 東京の16個は今となれば夢のような数字であるが、そのうちの例えば柔道は開催国の「特権」で一時的に採用された競技である。しかし、5個の体操(男子)はすでにローマで「世界制覇」を遂げていたし、レスリングもローマでこそ不振であったが、日本が戦後初めて参加したヘルシンキ大会での唯一の金メダルがレスリングの石井庄八であったように、つい最近までずっと日本の得意競技であった。そこに「東洋の魔女」の女子バレーボール、三宅義信ら自衛隊体育学校勢を中心とした重量挙げ、さらにはボクシング・バンタム級の桜井孝雄が金メダルを取るなど、いずれも充実したものであったといえよう。

【註】柔道は72年のミュンヘン大会から正式種目になった。

 

表1 日本チームの大会別金メダル獲得数 


 東京大会の勢いがしばらく続いてのち、そこに翳りが入り始めたきっかけは80年のモスクワ大会のボイコットだったといえようか。当時のソ連のアフガニスタン侵攻を牽制するためにアメリカが採った行動に、イギリスを除く西側諸国のほとんどが倣ったのだったが、その決定は現場では大変な波紋を引き起こした。

 アマチュアの一流選手のほとんどが4年に1回のオリンピックを最大目標に頑張ってきていたのが、それが全く唐突に目の前から消えてしまったのだから、選手たちの当惑と反発は当然大きかった。

 このボイコットのために選手生活の「旬」の時期を無為に過ごさざるをえなかった者も少なくなかった。マラソンの瀬古利彦がそうだったし、次のロスでの「涙の金メダル」で国民栄誉賞を貰った柔道の山下泰裕もそのひとりといえよう。

 おそらく、この空白が日本の競技スポーツの世界に与えた後遺症は大きいものだったに違いない。それは10個の金メダルを取った次のロス大会ではまだ顕在化していないように見えたが、実はそうではなかった。

 84年のこの大会はモスクワをボイコットされた「報復」として今度は東側諸国が参加しなかったために、日本選手のライバルの多くが出場していない。この時の10個の金メダルの大部分を占める体操、柔道、レスリングはソ連をはじめとする東側諸国に強豪がたくさんいたので、それを考えれば、「実数」はその半数以下かもしれない。つまり、この頃から日本の競技スポーツはいま程度のレベルまで落ちていたのである。

 88年のソウル大会は、北朝鮮とキューバ以外は、中国も含めて東西双方のほとんどの国が参加した、久しぶりに世界的なオリンピックであった。当然競争は熾烈となり、日本はかろうじて4個の金メダルを得ただけであった。その闘いのきびしさは、柔道でさえ最後の無差別級まで金メダルが取れなかったことにあらわれている。そしてそれ以後、日本は柔道でしか金メダルが取れない国になってしまった。ソウルの背泳の鈴木大地とバルセロナの平泳ぎの岩崎恭子という、全く思いがけない金メダル以外は。

 「表1」全体を概括すれば、戦前は陸上(三段跳び)と水泳に偏り、戦後はそれが体操、レスリング、そして柔道に移っていることがわかる。もちろんこのような偏りはどの国にもあるもので、それがその国の得意競技を表していることになる。すなわち、日本はこれらの競技、それと以前はオリンピック競技ではなかった卓球、それに一時期の男女バレーボールもあわせた7つの競技において過去に世界のトップに立ったことがあるといえよう。

【註】 競技レベルを測る指標は金メダルのみに絞った。なぜならば、たしかに銀も銅も「大健闘」かもしれないが、最後には「敗北」したのであって、結果として頂点まで上り詰めることができなかった種目の実力は、結局はその程度にしかすぎないとみなして、あえて除外した。)



アトランタの成績の分析

 次の「表2」は昨年のアトランタ大会における金メダル獲得数の国別順位である。日本よりも上位の国の名前を見て、日本の3という数字がいかに少ないかが実感できるだろう。


表2 アトランタ五輪・金メダル獲得数・上位20ヶ国

(順位) 国名    金メダル数    主な競技

(1) アメリカ     44   陸上13 水泳13 テニス3 レスリング3

(2) ロシア      26   フェンシング4 水泳4 レスリング4 

(3) ドイツ      20   カヌー5 馬術4 陸上3

(4) 中国       16   卓球4 飛込3 射撃2 重量挙2

(4) フランス     16   自転車5 陸上4 柔道3

(6) イタリア     13   自転車4 フェンシング3

(7) オーストラリア  10     ボート2 射撃2 水泳2

(8) ウクライナ     9    体操3 

(8) キューバ      9   ボクシング4

(10) ハンガリー     7   水泳3 カヌー2

(10) ポーランド     7   レスリング3 

(10) 韓国            7   バドミントン2 柔道2 アーチェリー2

(13) オランダ        6     水泳2

(14) スペイン        5     ヨット2

(15) トルコ         4     重量挙2 レスリング2

(15) チェコ           4     カヌー3

(15) デンマーク     4

(15) ギリシャ        4     重量挙げ2

(15) ルーマニア     4       ボート2

(15) スイス           4     ボート2

(21) 日本            3     柔道3


 

 しかし、金メダルの獲得数だけで比べれば、競技によって種目数(すなわち金メダルの数)が大きく異なるので正確な比較にはならない。例えば、陸上の46種目はやむをえないとしても、水泳の32種目、レスリングの20、カヌーの16、射撃の15、自転車、体操、柔道、ボートの14種目などは、団体競技のバスケット、サッカー、バレーボールの2、野球、シンクロ、水球の1などと比べれば、あまりにも多すぎる。そこで、それらをできるだけ公平に比較するために、各競技ごとに金メダル獲得数を基にして、上位3ヶ国を選び、順に3点、2点、1点と得点化してみた。それを合計したのが次の「表3」である。

【註】 種目数(すなわち金メダル数)が3未満の競技の場合は銀、銅の数で順位をつけた。また各競技とも男女の合計数とした。これはその国の競技レベルは本質的に男女別々に発展するものではないと考えるからである。例えば、最近興隆し始めている日本のマラソンは男女の足並みがそろっていて、こういう場合は本物だと思われる。逆にかつて長い間世界一であった日本の体操もそれは男子だけで、一方、日本の女子体操は、あれだけすばらしい男子選手がそばに大勢いながらなぜ? と外国勢に不思議がられるほど弱体で、結局は男子も没落してしまった。ちなみに、依然として世界の体操競技のトップレベルにある旧ソ連諸国や、新興の中国、アメリカなどは男女ともに強い。

  

表3 

            国名     金メダル  総合力         内訳

(1)    アメリカ     44     31         ① 陸上・水泳・テニス・バスケット ・ビーチバレー・サッカー・

                                              ソフト・シンクロ ② レスリング・アーチェリー 

                                             ③ 体操・ボクシング・野球

(2)    ロシア        26     25         ① レスリング・射撃・体操・フェンシング・重量挙げ 

                                             ② 水泳・飛び込み・近代5種 

                                             ③ 陸上・自転車・ボクシング・新体操

(3)   中国            16     18        ① 重量挙げ・飛び込み・卓球 ② 射撃・                            

                                             バドミントン・ソフト ③ アーチェリー・サッカー・バレー

(4)   ドイツ          20    17       ① カヌー・ボート・馬術 ② 射撃 ③ 陸上・

                                             自転車・ヨット・飛び込み・卓球・アーチェリー

(5)  オーストラリア  10    12       ① ボート・ホッケー ② 馬術・テニス ③ ビーチバレー・ソフト

(6)   韓国               7     11       ① バドミントン・アーチェリー ② 卓球 

                                             ③ 柔道・ハンドボール・ホッケー

(7)  スペイン          5     11      ① ヨット・水球 ② 新体操 ③ 自転車・テニス・ホッケー

(8)  フランス         16     9       ① 自転車・柔道 ② 陸上 ③ フェンシング

(9)  キューバ           9     9       ① ボクシング・バレー・野球 

(10)  ウクライナ      9     8       ① 体操・新体操 ③ ボクシング・ヨット

(11)  ブラジル         3     8       ① ヨット・ビーチバレー ② バスケット 

(12)  イタリア        13    7       ② 自転車・フェンシング ③ カヌー・バレー・水球

(13)  オランダ          6    7       ① ホッケー・バレー ③ 自転車

(14)  デンマーク       4    6       ① ハンドボール ② バドミントン ③ ヨット

(15)  日本                3    6       ① 柔道 ② 野球 ③ シンクロ

(16)  ハンガリー       7    4       ③ 水泳・カヌー・ボクシング・近代5種

(17)  ギリシャ          4    4       ① 重量挙げ ③ ヨット

(18)  スイス             4    4       ① ボート ③ 自転車

(19)  カザフスタン    3    4       ① 近代5種 ③ ボクシング

(20)  クロアチア       1    4       ① ハンドボール ③ 水球

 

 「表3」にあらわれた、いわば「競技スポーツの国別総合力」の順位は「表2」の金メダル獲得数とほぼ一致しているが、しかしよく見てみると、カヌー・自転車・フェンシング・射撃などの多種目競技で金メダルを「荒稼ぎ」したドイツ、フランス、イタリア、ウクライナ、ハンガリーなどのヨーロッパ諸国が順位を下げ、逆に、中国、オーストラリア、韓国、スペインなどが順位を上げている。

 そのなかにスペインと韓国が入っているのは、前回のバルセロナ大会、前々回のソウル大会のために特別に選手を強化した効果が依然として持続しているためであろうか。

 その点でいえば日本も同じで、東京大会の効果がモントリオールあたりまでは持続していた。しかし今や日本が世界のトップにあるのは柔道だけで、それも女子を含めれば、フランスや韓国、中国、北朝鮮などに追いつかれようとしているのである。そしてかつて無敵を誇った体操は、中国やロス五輪から急速に台頭してきたアメリカなどの新勢力に押しのけられて、全く見る影もなくなってしまった。

 では、なぜこれらの競技で日本は弱くなってしまったのだろうか。その理由を考えるとき、それではなぜ日本がかつて強かったのかについて考えることによって何らかの手がかりが得られそうである。




日本がこれまで強かった理由

 例えば男子体操。この競技はもともとドイツ、スウェーデン、イタリア、スイスなどの国で盛んであったが、戦後はソ連、日本が急速に台頭してきた。

 特にヨーロッパ選手と比べて体が小さかった日本選手は、あえて難しい技を用いることによってそのハンディを克服していった。それらの技は当時の難度の最高ランクのCを超えていたので「ウルトラC」と呼ばれたが、なかでも跳馬の「山下跳び」や、着地の「月面宙返り」が有名である。

 当然、日本のこのような動きに対抗して外国勢も負けじと新しい技を繰り出し、現在では難度がEランクにまでエスカレートしてしまっている。これは「日本の方法」が国際化し、いわば「世界制覇」したことを意味する。しかし、その結果、本家本元が凋落してしまったのは皮肉であるが、それが歴史の栄枯盛衰のメカニズムなのかもしれない。

 同じことがバレーボールでもいえる。東京、モントリオールでの女子の金、ミュンヘンでの男子の金は、まさに当時世界の最先端を走っていた日本のバレーボールの革新的な戦術や技術の成果に他ならない。

 当時、今では標準となってしまった「回転レシーブ」だの「時間差攻撃」だのとネーミングされた数多くの新しい技や戦術が次々と編み出され、世界へと広がっていった。そして、それらを取り入れて外国チームが強くなるとともに、それに反比例するかのように日本は弱くなっていった。黎明期に日本人の監督やコーチを招いて強化に励んだブラジルやキューバ、それにアメリカなどがその後台頭して、日本をオリンピックのメダルの座から追い落としたのである。

 もうひとつ、卓球の例を挙げてみよう。日本の卓球の全盛期は1950年代であったが、この時の躍進の原動力も技術革新であった。日本はそれまでの、シェークハンドによるカット・ラリーの交換という「優雅な」ヨーロッパスタイルの卓球を、ペンホルダー・グリップによるドライブ打法の速攻という新戦法で打ち破ったのであった。

 しかし、60年代になると、この競技においていちはやく国際社会に復帰してきた中国が、「前陣速攻」という新しい戦法をひっさげてまたたく間に世界を征服してしまった。

 この戦法は日本のドライブ戦法よりもさらに一歩台に近づくことによって打つポイントを早くし、相手の打球の力を利用してよりいっそう高速化された攻撃力を得るというものである。これに、従来のサーブの概念を超えた「投げ上げサーブ」など斬新な変化球が加わって、日本やヨーロッパの卓球を粉砕したのであった。

 その後、ヨーロッパ勢も、シェークハンドによるドライブ打法というパワフルなスタイルを開発して世界のトップに復活してきたが、一方、日本では「暗いスポーツ」などという謂われなき中傷を浴びて競技人口が減少するなどして、見る見るうちに世界から置いてきぼりを食ってしまっている。

 どうしてこれらの競技で日本は弱くなってしまったのであろうか。自らが開発した新技術を外国勢に模倣され、いわば、庇を貸して母屋をとられる結果になったのはなぜなのだろうか。

 まず考えられるのは、技術革新が進み、技が高度になってくると、指導者が選手をそのレベルまで導いていくことが必要で、そのためのコーチングシステムが完備されていなければならない。

 例えば、ミュンヘンで世界を驚愕させた塚原光男の「月面宙返り」の着地は、いまでは高校生、中学生レベルの大会でも常識となっているそうだが、いくら運動神経がよくても、放っておいて「月面宙返り」ができるはずがない。とうぜん、しっかりとしたコーチがついて、合理的で正しい方法で教えてこそ可能なのだ。そこから先は選手個人の努力とセンスの問題となるだろうが、そこまでは絶対に指導者が必要である。

 これがおそらく技術革新の結果起こった最大の変化なのだが、はたして日本のスポーツ界はそれに対応できているのだろうか。ここでいよいよ日本の教育システムが問題となってくるのである。


学校のクラブ活動の功罪

 ところでこれまで、そして今も、日本の(アマチュア)スポーツを底辺で支えているのは学校の課外活動(クラブ活動)である。

 クラブ活動がなければ経験することができないスポーツは多いし、公式試合に出場するとなるとクラブに入部していなければならない。いくら足が速くとも自分が在籍する学校の陸上部に入っていなければ大会に出られないし、ましてやどこの学校にも通っていなければ自分の実力を披露する機会はほとんどないといっていいだろう。

 本校でも十数年前、町の水泳クラブで「飛び込み」をやっていた生徒が国体に出場することになったとき、学校の水泳部に所属していることが要求され、急遽、職員会議を開いてプールもない本校に水泳部を設置し、高体連にあわてて登録した、ということがあった。

 また、最近はいくらか緩和されたが、在日外国人の学校に通っている生徒はその学校が日本の学校設置基準に合致していないからということで、国内のすべての公式戦から排除されていた。

 このように日本のスポーツが学校を基礎としているのは、明治以降、もともと欧米の概念である「スポーツ」を日本に輸入し、国内に広めたのが学校だったのだから当然といえば当然である。それに、そのスポーツに見合った施設や指導者は学校にしか存在しないのだから、学校が中心にならざるを得ず、また、その体制でこれまで大きな成果を上げてきた。しかし、各競技のトップレベルの技術革新が世界中でこのように急速に進んでいる現在、いのままで十分に対応できるのだろうか。

 まず、学校にいる指導者であるが、我々がいまいる職場、かつていた職場、さらには自分がかつて在学した学校などでの、いろいろな運動クラブとその指導者を思い浮かべた場合、どれだけのクラブに今必要とされるような指導者が存在するだろうか。

 かりに本校を例にとってみると、現在17の運動クラブがあるが、そのうち、大学でその競技に関する指導者教育を受けた体育教師、あるいは大学(高校)でその競技のクラブ活動を経験した教師が指導するクラブがいったいいくつあるだろうか。概算ではあるが、半数を少し超えるぐらいではないだろうか。そしてそのうち、そのスポーツの日々刻々進歩する技術を次々吸収し、部員の指導に活用している指導者ははたしてどれだけいるだろうか。

 状況は日本全国どの学校でも変わらないであろう。教師はクラブ活動を指導するために雇われたのではないし、それにもともとクラブ活動は生徒の自主的な活動なので、教師が絶対に指導しなければならないというものではないからだ。

 現状においてはほとんどの学校で、運動クラブの半数近くは、以前にそのスポーツ(その競技ではない!)をやったことがある、とか、そのスポーツに興味がある、とか、見るのは好き、とか、そして、嫌なのに、誰もいないから無理矢理に、などいろんなかたちでで、運動クラブの顧問(コーチや監督ではない!)に就任している。そんなクラブでは、結局練習は、生徒まかせの放任になるか、教師も生徒といっしょに練習するか(指導ではない!)、あるいは技術的な指導はできないので「精神的な指導」に専念するかが精一杯で、あらためて指導者教育を受けてコーチ学を勉強するという意欲と時間的余裕を有する教師はそう多くはないであろう。


【註】 この「精神的な指導」というのが曲者である。これはいわゆる「根性教育」に直結しがちなもので、その競技の技術の向上とは全く無関係な、時には有害な方法をその名の下に罷り通らせる危険性を持つからである。「根性教育」の多くは明らかに技術的無知の結果である。技術の指導はできなくても、無意味に走らせたり、「しごいたり」は誰にでもできるからで、「忍耐力をつけるため」という理由も用意されている。数多くの「素人コーチ」によって運動クラブが支えられている現状では、善意のうちに、間違った方法が蔓延するおそれが十分にあるだろう。


 ところが、先に述べたとおり、今の競技スポーツでは、本人の才能だけではトップレベルまで到達するのは不可能である。だから、それを目指す生徒はそういう指導者がいる学校に入るしか方法はないが、進学は一生の問題なので、そうリスクの大きなこともできない。

 結局、機会があればその競技を本格的にやってみたいと思ってもその機会が得られず、そのまま埋もれてしまう生徒が少なくないことは確かである。現に、本校のような学校でも、卒業後、大学のアメリカン・フットボール部に入って、甲子園ボウルやライスボウルのような大舞台で活躍できるような運動能力を持つ生徒が存在している。

 学校のクラブ活動が日本の競技スポーツを支える時代はもう終わったのだと言わざるを得ない。 

(以下次号)


【自註】

初出誌: 『Mini 雑想』創刊号(1997年3月5日発行)

『Mini 雑想』は、1989~91年に高槻中・高等学校教職員組合から発行された『雑想』のあとを継いだ手作りの小冊子で、1998年10月28日の第5号まで続いた。

 なお、アトランタで不振をきわめた日本勢はその後、2000 年のシドニー大会では金メダル5個(女子マラソン1、男子柔道3、女子柔道1)と盛り返しを見せ、アテネ大会(2004)では、東京大会に匹敵する16個の金メダルを取るまでに躍進した。内訳は、女子マラソン、男子ハンマー投げ、男子水泳2、女子水泳1、男子体操団体、女子レスリング2、男子柔道3、女子柔道5で、実に女子が9個を占めている。

 さらにその次の北京大会(2008)では、水泳の北島康介、レスリングの吉田沙保里、伊調馨、柔道の内柴正人、上野雅恵、谷本歩実がアテネにつづいて連続で金メダルを取る活躍を見せて、計9個を獲得した。


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