幻想の世界制覇


幻想の世界制覇 ~ ぼくのビートルズ ~


1


 「ビートルズ解散」という報に接してはや数年になる。現在ではもはやこの事実は完全に定着してしまい、あれ以後、ブスブスとくすぶりつづけていた彼ら内部での訴訟合戦や契約間題云々ということは世間的には全て決着がついてしまったようだ。要するに彼ら4人が再びビートルズという名で音楽活動をすることが今後、全く不可能だということがはっきりし、世間もようやくその事実を容認したからである。かくてビートルズは過去の存在となり、それぞれ独立した4つの個性は過去の栄光から解放されて、思い思いの活動を続けている。

 彼らに関する伝記、回想録、ルポなどが次々と出版され、10年に及ぶ彼ら4人のグループ活動の軌跡は歴史の中に一定の位置を固めつつあるようだ。そして、今では、細々、としか形容できぬ彼らそれぞれの音楽活動も、過去と照らし合わせての毀誉褒貶がもはや取り沙汰されぬようになった。全ては終った。そう信じることによって何もかも許し、聴き古したレコードに針を置いて古き良き安息を得ようとする。ぼくの中のビートルズ・マニアも遂に永い冬眠に入ったのだ。


 今でこそビートルズは幅広く市民権を獲得し、優雅にその美しさが語られるようになったが、ぼくが聴きはじめた1968年頃はまだそうではなかった。当時の彼らはそれまでのロックンロール・スタイルからの脱皮を図り、いわゆる「後期」に入る時期であったが、未だ世間的にはミーチャン・ハーチャンのための音楽としか思われていなかった。

 秘かにミーハー的嗜好を有する友人に、当時発売されたばかりで、又、ぼくが買ったはじめてのビートルズ・レコードである『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をおそるおそる聴かせてみると、何だ、ビートルズらしくなくて駄目だねえ、などと言われてしゅんとさせられたものである。何か自分自身がけなされたように誤解して傷つき、それが鬱積してかえってビートルズに対する熱が上がっていったともいえる。

 おそらくこの種のビートルズ・ファンは沢山いたに違いないが、ぼくもその一人で、まるで迫害された異端者気取りで、ひとり暗い情熱を燃やしてきたのである。

 ビートルズを聴くきっかけは何だったか、今ははっきりと思い出せない。

 『ヘルプ』『ハード・デイズ・ナイト』などの主演映画をその前にみたが、どうもそれも起爆剤ではなかったみたいだ。ただ何となく風俗として目に入り、耳に入っていたものが、当時退屈がちであったぼくの精神の中でいつの間にか発酵していて、それがたまたま或る友人にちょっと勧められ、というよりは勇気づけられてレコードを買ってみるとにわかに顕在化してきた模様である。でもそれ以後の熱の入り方は自分でも驚くほど急激であった。

 まず『サージェント・ペパー』を聴いてのぼくの第一印象も、くだんの友人と同じく、ちょっと違うな、というものであった。それまで意識下に蓄積されてきたビートルズ像との落差に、大いに戸惑ったのである。現在からみても、このレコードはビートルズの全アルバムを通じて最も異色といえるものであるから、この感想も至極当然であったかもしれない。でもぼくがビートルズに入るとき心に秘めていた期待は俗っぽい魅惑への耽溺ということであった。

 それは多数の若者を熱狂させた音楽が自分の皮膚をも一瞬とはいえ、感動に震わせたという事実をそのまま受け入れる素直さであり、又、自分の中での既成価値の崩壊による一種アナーキーな精神状況の反映であったといえる。

 つまり、ビートルズを買おうと思った最大の動因はいわゆる世評にとらわれずに、自分の感覚が欲するものは全て求めてみようという決意に他ならなかった。そしてその時、ぼくは自分の欲するものが、俗っぽいミーハー的熱狂であると思っていたのだ。

 それまでも、音楽には少なからず興味を抱いていたが、その興味の持ち方には何か枠がはまった感じがあった。クラシック、ジャズ、ポップス、歌謡曲の区別が序列とともに厳然と存在し、そのヒエラルキーの中でしか音楽は楽しめないとさえ思っていたふしもある。もちろん、そのヒエラルキーを一生遵守してかたくなにクラシックやジャズを楽しむのもまたひとつの個性である。でもぼくにその道が歩めなかったのは先に述べた、精神の一種アナーキーな状況のためであった。

 自己の価値観形成の歴史のひとコマとしておそらく万人に共通するものであろうが、その頃のぼくは従来の自分をひたすらに否定する衝動にとりつかれていた。

 これまで知らず知らずのうちに背負ってきた過去の重さにふと気付く瞬間があったのか、それらが全て忌わしいものと思われ、それらを完全に投げ出さずにはこの先は進めないと思いつめる一方、その重荷を完全に放擲しうる可能性とその後再生するはずのバラ色の自分を夢みていた。

 自分は変らねばならないし、又、変わりうると強く信じていたのである。そのためには自分の中の音楽のヒエラルキーも壊さなければならぬものであり、その過程で自己の感性は解放されねばならぬものであった。

 このような使命感が自己の感覚に対して素直になりつつあった情念と結びついてぼくのビートルズ志向は始まったのだと思う。

 でもこのような観念的な構図は、ビートルズという現実と共に歩みはじめるにつれて徐々に変質していくのも当然であった。後にはこの自己変革の使命感はビートルズと妙なからみ合いを演じるのである。


 『サージェント・ペパー』を何回も聴き直していくにつれてぼくは段々と苛立たしくなってきた。この不可思議な安息感を与えるアルバムをまだ充分に消化できなかったのだ。ノスタルジイが先に立ち、違う、違うという呟きは既に次のレコードを物色していた。そして買ったのがベストヒット盤の『オールディーズ』である。

 今はもうあまり聴かなくなったが、当時、ぽくはこのアルパムに熱中した。しかし奇妙な熱中であった。ボリュームを充分上げたスピーカーから歯切れよく飛び出してくる音楽を耳にしながら、自分の意識下に眠っていたビートルズの想い出を掘りおこすことに熱中していたのである。

 確かに聴いたことがある、という一瞬の感じを次々と増幅させて、実際の過去よりも遙か遠くまで、合わせ鏡の中の像のように時間を遡っていく快感の虜になった。やがてひとつの快感は次の快感を呼び、次々と「聴いたことがある」曲を求めて、いつの間にかぼくの手許には10枚近いアルバムが積まれていたのである。

 映像や匂いと同様、音楽もまた過去を喚起させる刺激剤となりうる。最初のうちは、ビートルズの古い曲を聴くことによって、ビートルズの意識下の想い出を誘い水にして、その当時の、大学に入ったばかりの頃の自分を回想していた。

 それはぼくにとって、今から思えば実に不思議な時代で、突然、大学というこれまでにない大きな世界に放り出され、茫洋とした自由の中で、白紙の自分に闇くもに様々な可能性を書き込んでいた時代であった。

 おそらく、具体的な自己変革が最も自然に、又、最も大きくなされた時期であったに違いない。でもそれは意識されたものではなく、新しい器に移しかえられた水が新しいかたちをとるようなごく当然の変貌にすぎなかった。それ故、その過程は急速で、様々な出来事が次の出来事に追いたてられるように忘れ去られたのであった。

 だから一応、流動期が終り、新しい平衡状態に達した時にはその過程の全容はあらかた記憶から消えてしまっていた。断片的に残っている記憶は新しい平衡にとって印象的なものばかりで、そのころつけていた日記を読み返してみると、当時の思わぬ関心の在り所などを発見することが多い。

 非常に多くのことを涙をのんで斬り捨ててきた思いがするのである。だからその当時ヒットしていたビートルズの曲を聴くことは、この記憶の空白になにがしかのムード的な埋め草を与えることになったのである。

 「聴いたことがある」という感じとともに、全然別のものに関心を奪われていたはずの自分の違った側面を過去の中に再発見し、それに刺激されて消失してしまっていた一連の記憶が懐しくよみがえってくることもあった。

 このように、ビートルズを聴きはじめた頃は過度に内省的な気分に覆われていたのだが、これはおそらく、この頃の自分の精神と自分の環境との間に成長度の大きたズレがあったためだと思われる。

 行動を忘れた精神が環境をとり残して独走していたのだ。その間隙に出来た真空地帯の中でぼくは夢幻的世界を想像することに活路を見出そうとしていた。

 ヒット曲をあらかた聴き終えた頃に、新盤『ザ・ビートルズ』が発売された。

 この頃ではぼくの嗜好も後期の作品に向けられ、本格的にビートルズ世界に引き込まれはじめていたのである。遡行感覚も変質し、ビートルズに喚起されるのは遙か彼方の記憶、或いは、はじめからその素になるものがなかったような記憶であった。ちょうど映画や絵画や夢の中の或る何でもない情景にふと感じる、あのいわれなき親しさ、懐しさと同じものを感じるようになったのである。

 例えぱ『ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン』の冒頭のメランコリックなメロディーはなぜか幼児期の或る心象風景を喚起させた。それは幼い頃住んでいた工場内の広々とした敷地の片隈にある大きなガラス窓の配電盤で、夕刻暗くなりかける時、いつも電源を切りにいく父と一緒に歩いた石畳の道の妙に静かな無人の情景が頭の中に、何か懐しい香りとなってよみがえってくるのであった。

 一方、マニアの常として、ビートルズに関する情報には敏感になった。ビートルズがかかりそうなラジオのポップス番組には必ず耳を傾け、既にレコードで何回も聴いた曲をあきずに又聴いて、何でもない解説のアナウンスの称賛口調に強い連帯感的な歓びとかすかな嫉妬を感じていた。

 こうして知識も少しずつ蓄積され、ロック音楽の中でのビートルズの位置を知るために、ビル・ヘイリーやプレスリー、チャック・ベリーなどの古い歌手やローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスといった同時代のロック・スターのレコードにも手が伸びはじめたのである。

 こうしているうちに、ビートルズについて何か書いてみたいという欲望が頭をもたげてきたのである。そろそろ体内にたまったビートルズも飽和気味になってきたからであろう。

 もう少し若ければ、音楽に深入りしすぎた毒は、自分も楽器をならしたり、歌ったりして中和することが出来るのだが、ぼくの場合は文章という幾分か手慣れた方法を選んだのである。

 最初は自分の想いが空回りするだけでどうすればよいか解らなかった。音楽的解析をするには音楽理論的知識は乏しすぎ、又、ビートルズの生い立ちなど伝記的な事実も殆んど解っていなかったからである。ただ、この頃、小林秀雄の『モオツアルト』を読んで音楽の扱い方の一例を知った位であった。

 だからこんな時に出版されたハンター・デヴィスの『ビートルズ』という本は待ちに待ったものであった。

 これまでレコードの解説で断片的に知っているだけであったビートルズの伝記が系統的に書かれていたからである。この本はビートルズ各人やその周辺の人々へのインタビューをもとに、彼らの生い立ちから世界巡演旅行の終りまでのビートルズの成功譚とその後の現況、及び音楽についての彼らの考えなどがまとめられた、当時としては唯一の本格的な評伝であった。

 この本によってぼくのビートルズ論も輪郭をとりはじめたのである。このあと少し、当時の草稿を基にしたビートルズ音楽についてのぼくの分析を書いてみようと思う。



2


 ビートルズの音楽を規定している大きな要素はそのスタイルである。

 現在ではロックバンドの常識となってしまったが、作詞、作曲、演奏、歌を全て自分たちグループでやってしまうということは単に彼らの多才を物語るだけではない。結果として彼らのスタイルは従来の音楽を全く変えてしまったともいえるからだ。

 つまり、音楽の全ての面を集中統御することによって音楽の全体イメージを獲得したのである。彼らにとって、歌うことと、その伴奏を演奏することは全く等価であり、常に彼らの関心は両者が混然と一体をなす統一像であった。

 自分たちの曲は歌ではない、サウンド総体であるという根本理念が従来のロックンロールと一線を画し、彼らのあとに輩出してくる多数のロック・バンドの草分けとなったのである。

 勿論、彼らは意識的にこのようなスタイルをとったのではない。素人バンド時代からの習慣の延長がそういうことに至ったのであろうが、彼らは結局最後まで素人の感覚を貫き通した。

 楽器も理論も技術も決定的に乏しい状態の中で、各人が様々なところから、吸取紙のように、新しいコード、新しいテクニック、新しいレパートリーを取り入れてくる。こういう出発時の健康なマニア感覚とそれを楽しむ心は、その後世界的栄光を獲得したのちも失なわれなかったといえるからだ。

 一方、これには又、楽器の変革という裏付けがあった。従来の自然音をもとにした楽器の機能に電気的要素が加わったのである。これにより、極く小人数で、大がかりな楽団編成に負けぬボリュームと迫力が出せるようになった。又、電気効果により、多彩な音色も可能になった。

 これは肉声音崇拝のクラシックな音楽観からのなし崩し的解放を意味するが、それ以上に重要なのは、素人の「屋根裏の作業」的な音楽づくりが可能になったということである。彼らは自分たちだけの楽団で思い通りに自分たちの音楽イメージを完成させられるようになり、ここに新しい音楽の展開が生れた。

 これまで、歌は詞から出発するのが鉄則とされていた。ことばの韻律がリズムを生み、情感がメロディを呼んだ。曲想は詞の内容を吟味し、それを頭の中で蒸留させる過程で生まれた。そして歌手はそのエキスを自分のこころの中に溶かしこみ、煮えたぎらせて歌った。悲しい詞には悲しいメロディーが、明るい詞には明るいメロディーが伴うのが当り前のことであった。

 そして、歌手の実力とはそれをどこまで自分の肉声で表現できるかで測られるため、歌手たちは常にそういう面での不断の鍛練を要求された。その結果、歌手の技術は向上し、個性自体は高度に洗練されたが、一方では、歌う職人という音楽の技術的な奴隷の位置は定着するばかりであった。

 このような歌のかたちを打ち破りはじめたもののひとつが、黒人のリズム・アンド・ブルースであり、それを更に極端化させたロックンロールであるといえる。

 激しいリズムに酔うフィーリングが穏やかな詞の世界を粉砕し、美しいバラードを歌う歌手の洗練された情感を押しのけて、人間の生の情念が爆発したのである。でも初期のロックンロールはまだ未成熟なところがあった。

 チャック・ベリー、リトル・リチャード等のリズム感あふれるボーカルはやはり黒人独特の底知れぬ楽天性をそのまま生かしたものであり、又、『暴力教室のテーマ ~ ロック・アラウンド・ザ・クロック』でロックンロールを世界的に広めるきっかけをつくったビル・ヘイリーも、よく聴けば、前時代風の洗練の名残りがあり、強烈というよりは軽快で、ダンス音楽の域を出ていない。真にロックンロール的なドロドロとした情念に表現形式を与えたのはエルヴィス・プレスリーであった。

 彼はビル・ヘイリーが口先きだけで表現したものを全身で力の限り表現し、従来分化していた白人・黒人の二つの音楽的な流れを超越した新しい迫力を生み出した。

 独特の、全身リズムと化したアクションで、彼は湧き上ってくる止めどない情念を歯を喰いしばって抑えに抑え、ついに抑え切れなくなって猛獣のような坤きを発する。そこでは歌詞のもつ詞の世界は破壊され、ことば自体も意味を失った、人間の底からの純粋の叫びとなる。その一瞬、歌手プレスリーは吹っ飛び、吐け口を持てあます一人の青年の獰猛さだけが残る。

 現在のプレスリーは年令相応に円熟し、ファッショナブルな歌手になってしまったが、彼の登場は衝撃的であり、又、思想的でさえあった。プレスリーは音楽と風俗(=行動)をはじめて直接的に結びつけたのだ。

 彼のロックンロールは、もはやダンスにはあきたらず、疑似犯罪の世界にしか自分を見出せぬ疎外された世代の象徴となった。殴り、殴り、殴り倒す瞬間の空っぽな頭の中、が彼の歌の本質であった。欲求不満の解消という生易しい口実は通用しない。彼の歌、そして彼自体が性的にまで昂められた欲求不満そのものであり、異常にはち切ったエネルギーは音楽の枠の中には収まりきれぬものを持っていた。

 初期のエルヴィス・プレスリーは永遠の個性である。彼はある特定の年代のもつ苛立たしさを永遠に代弁するものを持っていた。もし、彼の若さとエネルギーが何時までも保持されたならば彼は超時代的な衝撃であっただろう。

 しかし当然のことながらプレスリーも不死身ではなかった。彼はその後、若さと共に、生臭いエネルギーを失っていき、成熟と洗練を身につけざるを得なくなるのである。彼はいつの間にか、疎外された世界の象徴から、穏健な市民社会のアイドルになっていた。

 当時数多く作られたプレスリー主演映画の殆んどは大学などを舞台にした健康的なカレッジ・ドラマである。そこにはミシシッピ生まれの運転手から稀大のロック・スターにのし上った野望は残り香すらなく、可愛いい女子学生に甘い愛を囁く「古き良きアメリカ」的青年がいる。

 要するに、彼の若さは、その後の若さの後退という必然を前提としてのみ爆発できたのだ。その若さの根底には「大人になりたい」という素朴な欲求が渦巻き、その渦の中に発生する欲求不満が爆発的なエネルギーの根源となっていたのである。

 「大人になりたい」というのは初期のロックンロールの基本テーマであり、当時の若い世代の共感を最も強く引き出したものである。それはプレスリーによって完成の域に達したのであるが、結局のところ「大人になる」とともに自然におさまってしまう性格をもともと持っていたのも確かである。

 プレスリーの大成功によって当然のことながら彼の真似をする若い歌手が至る所に現われ、ロックンロールは世界中を席巻した。しかし、その結果おこったのはロックンロールのおそろしい水増し現象であった。

 ロックンロールから掬い上げられたのは音楽のリズム性の強調という技術的なものだけで、その底にある生きた人間の叫びは全く無視されたのである。大成功の果てに、もはや興行的に手におえなくなりつつあったプレスリーに代って輩出した亜流歌手たちにはプレスリーに匹敵する個性は見当らず、小器用にその真似をするだけで、たちまちファンにあきられ、増々、ロックンロールを危機に追い込むばかりであった。

 初期ロックンロール衰退の原因と思われるものはいくつかある。そのひとつは、プレスリーをはじめとする傑出したスター自身の肉体的後退によるエネルギーの喪失、もうひとつはあまりに若者(子供)向きを意識しすぎた音楽づくりの安易さである。この二つが致命的となって一時世界を騒がせたロックンロール旋風も自然消滅に向っていくのである。

 ビートルズの登場はプレスリーが第一線を退いた後の相次ぐ洗練化によって全く骨抜きにされていたロックンロールに初期の原始的なエネルギーを呼び戻したものだと評価された。文章によってビートルズの分析を行った最初の人物といわれるボブ・ウーラーは1961年に次のように書いている。


 「ビートルズはなぜこれほど人気があるのだろうか。かれらはアメリカの黒人歌手に由来するロックンロール音楽のオリジナルを復活させたのだ。それはクリフ・リチャードのような歌手によって骨抜きにされていた。人間感情に炎を点じるようなエネルギーは消え失せていた。その疲れ切った状態の所で、ビートルズが爆発したのである。ビートルズは叫びの構成分子だ。ここには青春の反逆のシンボルであるところの肉体的、聴覚的興奮がある」(ハンター・デヴィス『ビートルズ』小笠原豊樹・中田耕治訳より)


 この見解は永い間ビートルズについての定説の位置を保っていた。確かに初期のビートルズが歌っているロックンロール・ナンバーにはコピーソングと思われるほど、チャック・ベリーやリトル・リチャードの影響は強い。おそらく彼らにとって、これら黒人ロックンローラーは永遠の師であったといえる。

 しかし、そこから発展していく過程はプレスリーなどとは全く別のかたちをとっていた。ビートルズはプレスリーを崇拝しつつも、乗り越えるべきライバルと意識していたらしい。ステージ時代のビートルズはプレスリーのパロディとなろうとしていた感じもする。それだけにプレスリーとの対比図は明瞭である。

 例えば『のっぽのサリー』を聴き比べてみると、プレスリーは例のドスの利いた低い声でまず情念を押し殺すように歌いはじめ、そして徐々にそのバルブを開放しつつ、急速にロックの激しいリズムに乗っていく。一旦ロックの波に乗ってしまうと彼はロックそのものとなり、極く自然にビートに酔い、雰囲気に酔い、自分に酔って、そして歌い終ると軽くバチンと指をならして何気ない微笑みをニッコリと浮かべている風である。

 ところがビートルズの『のっぽのサリー』は出だしから思いつめたような絶叫ではじまり、次々とドライブしてくるリズムに追いたてられるように急速に高みに昇りつめ、ついには動物的なわめきに達していく。

 まるで体質的にアルコールを受け付けぬ人間のように、その酔いはあくまで意識的であり、常に迫ってくる歯切れよい伴奏と必死になって拮抗しあう姿の中に、一本、張りつめた緊張感が走つている。ポール・マッカートニーのボーカルはリトル・リチャードのコピーであるが、その絶叫は彼ほどわざとらしくなく、むしろ必然的な感じがする。

 この極く自然に酔えるか、酔えないかの違いが、そのままプレスリーとビートルズの音楽の決定的な違いになっている。すぐ簡単に酔ってしまうプレスリーはどんな歌を歌ってもプレスリーであるという驚くべき画一性を示し、どうしても酔えないビートルズは醒めた意識の中で新しい刺激を求めつつ、自らの音楽の世界をどんどん拡げていく。

 プレスリーが大人になりたくて苛々している、男臭く油切った青年とすれば、ビートルズは成熟を拒否し、少年の世界の中で美しき夭折を夢みる神童という感じがする。

 ビートルズはロックの世界から「大人になりたい」という願望を追放してしまったのだ。彼らのエネルギーは決して社会に向けて放出されることなく、むしろ自分の中に向けてひたすらに芸術的完成を目指していく。彼らの制覇すべき世界は外にはなくて、内なる世界であり、そこに絶対的な音楽王国を築くことであった。こうなってくると、単なるポップスの音楽家の域を超え、彼らは一挙に数百年前の古典派の音楽家と同じ次元に近づいていくのだ。

 ビートルズの音楽の新しさは実にこの点にあったのだと思う。彼らは最初から独創的であった。そして常に自分の脱皮を図り、新しいものを吸収し、それを消化して自分たちの王国に加えていった。それらの作業が実に楽しげに、むしろ他人の目からは面白半分といった感じで行なわれていたことは、本当は、真に驚嘆すべきことなのである。

 もうひとつビートルズについて注目しなければならないのはその高音のボーカルである。

 もともと絶叫が特徴であるロックンロールは高音域に重点が置かれていたが、ビートルズはその高音を更に一段高くした。高くすることによって絶叫の質を透明に近いものに変えてしまったのである。もはや彼らは誰かに向って叫び、訴えかけるのではないのだ。遙か天上を仰いでその叫びは吃立し、吸い込まれるように彼方へ直線的に消えていく。

 ポップスにおける高音域の時代はビートルズとボブ・ディランによって拓かれたといわれるが、ビートルズはボブ・ディランと全く対照的である。

 ビートルズにはボブ・ディランのような情緒の幅は全くない。むしろそれを拒否しているといえるぐらい「無表情」だ。「無表情」ということは、歌の内容と現実との間に常に一定の距離を置いていることをも意味する。

 「おそろしくフラットな歌唱」というのがビートルズのボーカルの定評だった。だから『蜜の味』や『アンナ』などを歌ったビートルズは歌が下手だといわれた。しかし、彼らは「上手になろう」とはせず、逆に「下手な」自分たちの歌唱でしか歌えぬ歌を自分たちで作り出したといえるのだ。勿論、彼ら自身は自分たちが下手だとは夢にも思っていなかっだだろうが。

 これは重大なコペルニクス的転換である。実際やってみれば何でもないことなのだが、この簡単などんでん返しに音楽家たちは永い間、気がつかなかったのだ。これまでの歌手がいわゆる上手に歌うことを第一義に考えてきたのを、ビートルズは「上手」という概念そのものを狂わせてしまったのである。

 あとから振りかえってみると、これまでの歌がいかに窮屈な狭いパターンの中に閉じ込められていたか、そしてその狭い世界でいかに歌手たちが禁欲的な努力を強いられてきたことか。

 ビートルズが自分たちで曲を創作しはじめたのは単に従来の歌の中に自分たちを満足させるものが殆んどなかったというためにすぎなかったが、結果的にはこれが既製のポップスに対する痛烈な批判となった。

 作曲家としては全く無名であったレノン=マッカートニー・コンビの作品が何年もにわたってヒットパレードのトップを取り、又、それらの曲が他の数多くの様々な演奏家によって取り上げられるという事実によって、これまでのポップスの堕落と怠慢が徹底的に暴露されたのである。ビートルズは音楽の世界の暗黙の制約を打破し、新しい息吹きと可能性を与えた。これがビートルズ登場の最大の意義であったかもしれない。

 ところでビートルズはどんな音楽をつくったのか? 彼らは音楽に「架空」の領域を復活させたのだ。

 題材として彼らはいろいろなもの ~ 恋、愛、人生観、風刺、日常生活、寓話など ~ を歌っている。しかし、そのどれをとっても「本気で」歌われているものはない。むしろ、意識的に、本気で歌おうとしなかった、といえるぐらいだ。

 「無表情」で歌い流される彼らの曲は全て現実感が稀薄である。一見テーマらしきものはテーマでも何でもなく、彼らの歌には訴えかけるものが感じられない。それも道理で、彼らはもともと音楽によって何か或るテーマを訴えようとは微塵も考えていなかったのだ。彼らにとっては結局、絶対的な感覚としての「快感」とその結果起こる底知れぬ感動が音楽の全てであったに違いない。

 最近、ジョン・レノンの作詞のことばのナンセンス性が注目されているが、彼らにとってはLOVE、NOWHERE MAN、WALRUSということばも意味よりは韻律的に重要なものであったと思われる。

 だからまともに意味を探っていくと万更ナンセンスともいえぬ巧妙さに引っ掛って、例えば麻薬推奨の暗喩であるとか、人類愛が彼らのメイン・テーマである等の途方もない結論が導き出されて変な評価を生むのである。一見それらしいテーマは全てまやかしであり、小道具のひとつに過ぎないのだ。「世の中なんて、どうってことないさ。全て軽いもんだ」という不遜なうそぶきがいつもその底にはあり、この健康的で痛快な厭世観が彼らの大きな魅力のひとつとなってさえいるのである。

 彼らの言語感覚は音と結びついた感覚だけが全てといってもよいと思う。いわば半ば楽器化しているのだ。だから彼らの歌は言語を超えた直接性をもっている。

 これは歌詞の内容に重きを置くボブ・ディランと対比させると明らかである。吟遊詩人のように叙事詩を歌うボブ・ディランの歌のよさは、その詞が言語として解らなければ半減するのに対し、ビートルズの場合は単語の断片さえ聴きとれれば充分である。あとは音として聴けばよいのだ。その詞は音韻に充分工夫がこらされ、一語一語が音楽と対応している。その対応の完璧さは感情的な歌唱の入り込む余地を全く与えない。まさに「フラットに歌う」ことによってはじめて全てが律動的に機能する音楽構造なのだ。感情表現ゼロの「無表情」なボーカルがここでは特別の意味を持ちはじめるのである。

 「自分は音楽家だから、思想や感情を音を使ってしか表現できない」というのはモーツァルトのことばであるが、ビートルズの音楽的位置もこれに近似しているように思える。

 「架空」の領域の復活と名付けたのはこういうことで、ロマン派以降の「ことばのかわりに」音楽で思想や感情を表現する、という標題音楽的なテーゼと真っ向うから対立して、音楽に対する意味づけを一切拒否した絶対音楽的な志向を打ち出したことを意味する。

 だからこのような音楽は完璧になればなるほど、ことばの世界から遠ざかっていき、ことばによる批評が不可能なほどの絶対王国を形成していく。現実的な効力をもたぬ「架空」の存在でしかないが、厳然と実在しており、人間の中において概念的な規定を許さぬ固有の領域を占める別世界が提示されるのである。

 ハンター・デヴィスによれば、ビートルズ音楽の変遷は次のように要約される。


 「ロックンロールの最初の段階は、1964年の春ごろ、『キャント・バイ・ミー・ラヴ』で終った。単純なビート・グループの陣容が終りを告げたのは1965年8月の『イエスタデイ』によってであり、ここであたらしい楽器が導入された。本当に真剣な実験が始まったのが、1966年8月、『リボルバー』の最終部分においてであり、これは『サージェント・ペパー』につながる」(前出書)


 このような変遷の最大の結節点となった事件はビートルズのステージ公演の廃棄であった。これはビートルズ自身にとっては深刻な問題であったようだ。


 「世界で最後の生演奏は1966年8月29日、アメリカ公演の最終日であった。『サン・フランシスコでの最後のショウのあと、ブライアンは非常に悲しんで、ほとんど悲愴といってよかった』とナット・ウェイスは語る。『あんなに悲愴な彼を見たのははじめてだった。彼が不意に言うんだ。おれはどうしよう? おれの人生はどうなったんだ? そう言ったんだよ。大学へもどって別な勉強をしようか? とね。』」(同)


 ここにひとつの終りが語られている。

 ブライアン・エプスタインはもとは一介のレコード店主に過ぎなかった人物だが、ビートルズを知るに及んでそのマネージメントを手がけ、ビートルズを世界に売り出した人物である。初期のビートルズはエプスタインの影響が大きいようだ。

 この、世界中で最も深くビートルズを理解し、最もビートルズに夢中になっていた男は、それまで品の悪いクラブバンドであったビートルズに独特の洗練を加えた。ビートルズとそれ以前のロックスターを分ける、あの一種貴公子的な雰囲気はおそらくエプスタインが植えつけたのだと思う。ビートルズの基本的イメージはビートルズとエプスタインの合作であり、ビートルズの中の英国伝統的な部分といえるものはエプスタインが持ち込んだものではなかっただろうか。

 ともかく、海外公演の終了は「ブライアン・エプスタインのビートルズ」の終焉を意味した。そしてビートルズはプレスリーのパロディの役を果たし終えて、その「前期」は終るのである。いわゆる世間でいうビートルズはここで終ってしまっていたのかもしれない。ジョージ・ハリスンは次のように回想している。


 「ちょうど一つのサイクルの終りのようなものだった。ハンブルグでは8時間ぶっとおしで演奏しても演奏が好きで好きでたまらたかったし、お互いに気心がわかってきたし、何ができるかということもわかってきた。当時、ぼくたちのやったことはほんとうに斬新といえば斬新だが奇型的なことばかりだったし、はげしかったんだ。

 「リヴァプールにもどってから時間的にはずっと短い演奏になったけど、それでも楽しかった。ぼくたちも聴衆の一部だった。そういう人たちといっしょに生きていたんだ。演奏のリハーサルなんか一度もやらなかった。あとになればなるほど芸をますます磨かなければならなくなったが、キャヴァン当時は天衣無縫だった。何でも自然にとび出してくるんだ。冗談がぽんぽんとび出す、笑いも自然でね。とても親密だった。

 「それから旅公演に出ることになって、最初はすばらしかった。短い時間の演奏でさえ芸は磨かれて新しい歌が生れてくる下地になった。しかし、これはもうそれだけのものになってしまった。おれたちは身についてしまったテを使って世界じゅうまわったんだ。毎日毎日、お客さんは違うのに、おれたちはおなじことをやった。もう満足がなくなってしまった。だれも聴いてくれやしない。ただ、とてつもなくデカいショウというだけなんだ。おれたちは毎日毎日、それまでに身につけたクズをやって見せて、音楽家としては最低になってきた。もう、どこにも満ち足りたものがなくたった。」(前出書)


 生演奏時代の傑作は『オールディーズ』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『プリーズ・プリーズ・ミー』などのアルバムに収められているが、これらの曲を聴いてみて、その圧倒的な出来ばえに感心しながらも、何かどこか欠けているような気がしてならない。やはり生演奏のための作品なのだ。つまり、レコードで聴く限りではどうしてもあの爆発的な興奮が再現できない。生演奏のステージの、あの言いようのない熱気の中で聴かなければ駄目ではないかとさえ思うのだ。

 一杯にあげたアンプの増幅音、スティックも折れよとばかりに叩き出すドラムの振動が今、自分が呼吸しているその空気を伝わってガンガンと自分に迫ってくる、という直接性の迫力はまさに肉体的である。マイクの前で必死に絞り出される声などどうでもよい。耳さえいらない。空気を伝わってくる振動が肌をとおして自分を揺るがせればそれで充分だ。そしてその時、ステージで夢中に楽器をかきならしている姿をこの目で確認できればもうそれでいい..... 

 このような音楽は結局のところエルヴィス・プレスリーと同質のものでしかなかつた。つまりビートルズを最終的に満足させるものではなかったのだ。直接的に聴衆を圧倒し、興奮の中にたたき込むような音楽をビートルズは目指していなかった。最も古いレコードの『ラヴ・ミー・ドゥ』や『プリーズ・プリーズ・ミー』などを聴いてみれば、この頃からデリケートな音の組み合わせに関心があったことがわかるはずである。

 スタジオでのビートルズは様々な楽器を取り入れはじめた。『イエスタデイ』『エリナ・リグビー』でのストリングス、『ノールウェーの森』やジョージ・ハリスンの作品でのインド楽器シタール、『ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ』でのジャズ・サウンドなど、実験的な試みは特にアルバム『リボルバー』の中で多くなされている。この結果、曲の中での伴奏(インストゥルメント)の比重が増し、音楽をトータルに把える方向に向ってきた。

 『サージェント・ペパー』はこの点での最大の成功作である。1枚のLPレコードがさながら一夜のショーのように構成され、夢の中に眠るようなサウンドが基調となっている。

 最初の2曲はショーのはじまりを示すようなざわめいた中での実況録音で、それがいつの間にか消えると『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』のたゆたうようなメロディーがはじまる。ジョン・レノンのボーカルは子供のように甘く、それが更にエコーされて一挙に夢の世界の幕が開けられる。

 そのあと『ゲッティング・ベター』『フィキシング・ア・ホール』『シーズ・リーヴィング・ホーム』『ミスター・カイト』と続くにつれて夜の眠りはますます深まっていき、霧のかかった視界の中でロックのリズムがぼやけた陰影を描いている。

 B面に入るとまるで浅くなっていく眠りの中で徐々に夢の活動が活発になるように、内容はぐっと多彩なものになってくる。ジョージ・ハリスンのインド音楽風の瞑想的な『ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー』、ポールがコミカルに歌う『60才になった時』、そしてエコーが夢幻的効果をかもし出す『ラヴリー・リタ』のあと、白みはじめた夜明けを思わせる『グッド・モーニング』がはじまる。

 まるでガラクタのごった煮のように、犬やニワトリ、馬などの声も入って昼の世界のはじまりの慌ただしさを出したあと、一転して、場面はイントロダクションのホールに戻り、4人の「そろそろショーも終りです。みなさんどうもありがとう」というコーラスが挿入され、生ギターの静かな伴奏で最後の『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』がはじまる。

 新聞や映画を通して見た日常のやや異常な出来事を切々と歌うジョンのボーカルの上に、クラクションのようなストリングスが覆い被さり、最後はピアノによる有名な「終りなき和音」の余韻と照れ笑いするビートルズの影の声で締めくくられる。

 ここでは4人の個性は全体像(ルイス・シーガルによれば「日常生活の中にある、つかみどころのないアンリアルな奇妙な雰囲気」)の中に眠り込み、統一的イメージが優先されている。

 『サージェント・ペパー』はビートルズ4人のグループとしての総合力と野心が最もよく調和されたかたちで発揮されたおそらく唯一の作品で完成度も高い。このアルバムは一連の音楽的実験の頂点に立ち、以後の『ザ・ビートルズ』『アビイ・ロード』では音楽的野心が融和され、アカ抜けしたシンプルなサウンドヘと移っていく。と同時に、表現方法もあふれでるような自由奔放感を感じさせる。

 そしてグループとしての最後の燃焼が『アビイ・ロード』の後半だといえそうだ。B面の『ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー』から『ジ・エンド』まで殆んど途切れずに演奏される8曲は、ビートルズのオリジナルなスタイルにここ数年の様々な試行の成果を盛り込んだ佳作で、その自由自在な構成と暗示的歌詞でビートルズの挽歌としてふさわしいものとなっている。



3


 2枚組アルバム『ザ・ビートルズ』が発売された1969年1月頃、ぼくのビートルズ熱は最も昂まった状態にあった。あらかた古いレコードも聴き尽くし、益々ビートルズに惹かれてウズウズしていた時であったから、早くからラジオなどで予告され、一足早い輸入盤が一部放送されていたこのレコードは待ち遠しくてたまらなかった。ビートルズを聴きはじめて新譜を待つというのは初めての経験であった。発売2週間ほど前からレコード屋に予約しておき、その時にもらった曲目リストのカナ書きの題名を横文字におきかえ、訳してみてその内容を空想したりしていた。

 その前に買ったのは『マジカル・ミステリー・ツアー』というアルバムである。これはクリスマス用としてBBC放送のためにビートルズが製作したテレビ映画のサウンドトラック盤である。既にEP盤3枚組で発売されていたが、ぼくはB面に『ストローベリー・フィールズ・フォーエヴァー』『愛こそはすべて』などが入ったLP盤が欲しくて、日本発売を待ち切れずに、セロファンで封をされたキャピトル盤を買ったのである。

 この映画は日本でも1回だけテレビで放映された。大した映画ではなかったが、ビートルズが出るというだけでぼくは満足てあった。最も印象的なシーンはやはり唯一の演奏姿が見れる『アイ・アム・ザ・ウォルラス』である。

 ビートルズの演奏シーンはこれまであまり見ていない。映画『レット・イット・ビー』のラストの屋上シーンは中でも秀逸であるが、それ以外は映画『ハード・デイズ・ナイト』『ヘルブ』と宇宙中継による『愛こそはすべて』だけである。例の日本公演のテレビ中継は確かに見たけれど、まだ関心がなかったのでよく憶えていないのが残念だ。後日、ビートルズについての片言隻語を目を皿にして捜していた時分にたまたまこの公演の来日風景のフィルムをテレビで見て、ハッピを着たポールがタラップの上から出迎えの人たちに何か大声で叫んでいる姿に何故か感動してしまったのを憶えている。

 『マジカル・ミステリー・ツアー』はぼくの好きなアルバムのひとつで、とりわけ『アイ・アム・ザ・ウォルラス』が気に入っている。

 この作品はジョン・レノンのもつ才能が存分に発揮されたもので、I am he as you are he as you are me and we are all together. といつた奔放な歌詞が、パトカーのサイレンを模したといわれる2拍子のリズムにのって次々と速射砲的に吐き出されてくる。ことばの音韻連想によって文がつくられているため、内容は荒唐無稽であるが、リフレインされる I am the eggman oh, they are the eggmen, oh I am the walrus goo goo g'joob. というナンセンスなクローズが妙に全体の突き放したムードに合っていて傑作である。

 この曲は『ザ・ビートルズ』所収の『ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン』(「幸わせは発射直後の熱い銃身」という意味で、銃器雑誌の中の広告コピーからとったという)と並んでビートルズの曲のひとつの傾向をあらわすものである。

 『ザ・ビートルズ』はやはり素晴らしいアルバムだった。『サージェント・ペパー』のような統一感はないが、これまでの断片的な多様性が一斉に開花した感じで、まるでビートルズ音楽の無尽蔵の宝石箱を一挙にばらまいたようであった。ぽくの気に入った曲には『ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン』の他に『バースデイ』『ヘルター・スケルター』『サヴォイ・トラッフル』などがある。

 中でも『ヘルター・スケルター(狼狽して)』という曲はぼくに不穏な幻想を抱かせた。

 この苛々した感じの曲を何回も聴いているうちに Will you, won't you want me to make you, wah? という部分がどうしても Do you, don't you wanna gonna American War?(おまえはアメリカ的戦争をしたくないのか?)という風に聞こえてきたのである。

 アメリカ的戦争とは即ちアメリカとの戦争、と短絡してみると、何だか英国下層階級出身のビートルズが音楽を通して世の中の既成価値をかたっぱしからひっくり返して、ついにはその牙城たるアメリカを制覇してしまった、という戦闘的なイメージが湧き上ってきたのである。

 そういえば最後に入る絶叫も I've got pressed the biggest !(オレは最大のものを押し潰したぞ !)としか聞こえないではないか。

 この発見が以前からのぼくの自己変革願望と結びついた時、事態は不穏な色を帯びはじめた。

 大学から遠ざかって毎日家でごろごろしているうちに蓄積していた様々な夢想が将来に対する漠然とした不安感にあおられていつの間にか熟成しており、それにビートルズの世界制覇イメージがからまってひとつの具体的な幻想が現われはじめたのである。

 それは資本主義的破壊主義とでも呼ぶべきもので、おそらくビートルズの伝記などを読んで刺激されたのだろうが、この世の中の富のからくりを見抜いて、そこに徹底的な混乱を与え、莫大な遊び金をかきあつめてそれに君臨する「偉大なる虚業家」になることは可能ではないだろうか、という夢想であった。

 具体的には、当時ジョン・レノンが小野洋子と結成したプラスチック・オノ・バンドを日本に呼んで、広島や長崎で「被爆者慰霊大ロックコンサート」を開催し、それによって社会的信用と運転資金を手に入れたのち、浄罪寄付によって非公害リクレーション施設と文化出版組織を設立するという途方もないプランである。丁度その頃準備中であつた万国博覧会の理念と新興宗教を混ぜあわせたような構想で騒然とした当時の世情の中で何だか実現しそうな気さえしたのであった。

 ぼくはそれまでの秘かなビートルズ愛好が急に陽の目を見たような戸惑いを感じつつも、これによって自分の過去を打ち消し、新らたなる再生が出来るのではないかと思った。わくわくした頭の中でこの幻想はますます膨脹し、まるで自分がブライアン・エプスタインになったような気がした。急に自信が湧いて、自分の隠れた才能が次々と現われ、それらが急速に回転して自分の行く道を切り拓いていくように思えたのである。

 こうしてそれまでの退嬰的学生は敢然と「昼の人」になり、エネルギッシュな活動をはじめた。活動は順調で実現は刻々近づき、さあこれでやっと永年の想いが果たされる、と思った。その途端、大きく膨らんだこの幻想の風船はパーンと音をたてて破裂したのである。

 その音にふと目を覚ますと、ぼくはとんでもない袋小路に立っているのに気がついた。現実はひとつも動いておらず、ぼくの行動とは、全て妄想の生み出した観念的な襞に過ぎなかった。混乱した頭の中にのみ、自己変革の列車が疾駆していたのである。結局はつまらない挫折感を味わっただけであった。

 これ以来、ぼくのビートルズ熱も下降線をたどりはじめる。熱狂的なファンの目から冷静にみつめる音楽好きの目に変りつつあったのだ。

 時を同じくするようにビートルズにも暗い陰りが出来はじめた。小野洋子の介入、ジョンとポールの訣別、訴訟、そして解散と事態はとんとん拍手に進んだようである。この間の事情は最近邦訳された『ビートルズの不思議な旅』という本に詳しく書かれている。主に経理の面でのビートルズ末期を分析したものだが、実に残酷な本である。今までぼくたちが抱いていた「ビートルズ=奔放な億万長者」という図式を徹底的に破壊するものだからだ。ビートルズも社会のひとつの歯車にすぎなかったという当然すぎる認識はぼくには辛い感じがする。

 4つに分解したビートルズのその後について少し述べておかねばならないだろう。

 一時はジョン・レノンの活動が活発だった。『ジョンの魂』『イマジン』『サムタイム・イン・ニューヨーク』と立て続けにパーソナル・アルバムを出し、一応の評価を得た。この中でジョンは自分の肉声を歌おうとしているといえるが、ぼくにはこの試みは全く彼の個性を殺してしまうものとしか思えない。

 ジョン・レノンの本領はやはり音楽に対するナンセンスで攻撃的な迫り方にあると思えるからだ。常に肉質なものと一定の距離を保っていたビートルズのセンスはそのままジョン・レノンのセンスであったはずである。現実から少し浮き上った「架空」性によってビートルズはミスティフィケイトされていたのである。それが地上に足をついて現実の地面を歩みはじめるとしたらビートルズの神話はそこで崩壊してしまう。

 この神話について意識過剰なまでに懐疑的な彼がビートルズの「架空」の日常を小野洋子との現実の日常に置き換えてしまうことによって神話破壊を試みたのだとすれば話は別であるが、その時、既に彼はビートルズではなく単なるジョン・レノンに過ぎないのだから、彼とてもビートルズとしての過去を打ち消すことはできないのである。

 ジョンとポールは稀有の名コンビであった。実際には、2人の名前の作品も別々に作られたことが多かったらしいが、2人の間の緊張感がある限り、たとえ別々にでも傑作は生まれつづけたのである。その緊張を持続させたのはビートルズという共同性に他ならず、この共同性が崩れるとともに、2人は糸の切れた凧のようにとんでもない所へ飛んでいってしまった。

 ポールはジョン・レノンなしのビートルズを再生させる努力をしているように思えるが、『イエスタデイ』のポールは対立的個性としての『アイ・アム・ザ・ウォルラス』のジョンがいなければ飛躍できないようである。

 音楽的にははじめから2人と別に仕事をしていたジョージ・ハリスンが一番有望であるかもしれない。『ドント・バザー・ミー』から現在に至る彼の歩みはおそらくビートルズという共同性の崩壊に関係なく一貫しているといえる。しかし、最近の作品はじっくりと聴いていないから速断はできないが、彼の無個性のボーカルはもはや大きく開花する可能性を残していないような気がする。結局のところ、彼はビートルズ以外のロックスターの中の一人としてしぶとく生き続けて行くのではあるまいか。

 共同性の崩壊によってビートルズ音楽も崩壊したのだ。そして崩壊ののち、バラバラになった4人も含めて多数のロックミュージシャンによってロックの風化が再び起ろうとしている。

 ビートルズが切り拓いた独自の分野は以後あとを継ぐ者もなく孤立して今も輝いているが、それに刺激されて出てきたスターたちは全く別の世界を作り出してしまった。ロックのスーパー・スターということばが一時もてはやされたが、技術的、理論的に卓越したスーパーな存在という概念の登場は実はビートルズ以前への逆もどりに過ぎないのだ。

 その大げさな紛飾にもかかわらず、その内容はひと昔前のただひたすらに人を興奮させようとする音楽にすぎない。ビートルズのあのシンプルでしかも底知れぬ感動とは程遠いものである。にもかかわらず、現在において、ロック音楽が地位的に上昇しつつあるというのは、ロックにとっての最大の危機である。

 埴谷雄高は太宰治の一生を「衡量器との闘い」と評した。この言い方を借りれば、ビートルズはまさに「衡量器との闘い」に勝ったのである。しかし、その自滅的崩壊以後、ふたたび音楽を鑑定する「衡量器」が復活してきたようだ。

 もし現在のロックが面白くなく、又、全てを捧げてもよいと思うスターが存在しないとすれば、それは全て「衡量器」の上にのっかった存在でしかないからだ。ぼくがビートルズの解散について感じる最大の悲しみはこの闘いの唯一の勝者、即ち、天才というものを同時代から失ったことにある。

(初出誌:「樹海」1973年創刊号)


***


【自註】

 同人誌「樹海」は、京都大学文学部同窓の、宇佐美斉、鮫島光、福島勝彦の3人によって、1973年11月に創刊され、1980年10月の第8号まで刊行された。


 内容の未熟さはともあれ、まだ本格的なビートルズ論を目にすることが少なかった1973年に、これだけの分量を書けたのは、自負してよいことだと思っている。   

                  (2017.9.14)


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