バロン・まえがき


名著紹介 

                                            

『核の栄光と挫折・巨大科学の支配者たち 

             The Nuclear Barons』

       

  ピ-タ-・プリングル、ジェ-ムズ・スピ-ゲルマン著  浦田誠親 監訳 

(時事通信社・刊)



(1) まえがき


 広瀬隆というノンフィクション・ライターが書いた『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』という本を読んだのは今から四半世紀も前の1986年のことである。たしか新聞の書評欄か何かでおもしろいという評判を目にして、買い求めたように思う。しかし、この時にはすでに文庫(文春文庫)に入っていて、単行本はその4年も前に出版されていたので、評判を聞いたにしてはずいぶん時期遅れの、間の抜けた話である。それに、買うことは買ったが、この本の内容についての予備知識も皆無であった。


 1979年、映画スターのジョン・ウェインが亡くなったことは、その死因がガンだったということも含めて大きく報じられていた。なのに、それを今さら「なぜ死んだか」とは、いったいどういうことだろうか、となかば訝りながら、ページを開いたのであったが、その後、読み終えるまで、ページをめくる指を休めることはできなかった。


 話は、1954年、ジョン・ウェイン主演で、ジンギスカンを主人公にした『征服者』という映画の撮影が開始されたところから始まる。そして、映画の黄金時代のピークであったこの年にはどんな映画が公開されていたかが列挙され、キラ星のようなハリウッドスターの名前が次々と登場する。『エデンの東』『帰らざる河』『ダイヤルMを廻せ』『波止場』『麗しのサブリナ』、そして、ジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、グレイス・ケリー、マーロン・ブランド、オードリー・ヘップバーン。映画ファンにとっては、たまらない名前である。


 しかし、この『征服者』が完成してから10年も経たないうちに、この映画でジョン・ウェインと共演していた俳優や女優、それに監督やスタッフたちが次々とガンに罹って死んでいった。そして最後にジョン・ウェインも。それはなぜか?


 話かわって、『征服者』のロケが行われたアメリカ・ユタ州の砂漠から15キロ離れた、モルモン教徒の町であるセント・ジョージでは、人々が原因不明の死を遂げる事件が続発していた。それはなぜか?


 さらに、セント・ジョージのあるユタ州南西部の1951年~58年の小児ガンの発生率は、他の期間の3倍もの高さを記録したというユタ大学医学部の研究論文が発表されていた。それはなぜか?


 と、こういう風に、次々と謎が提示され、それらを少しずつ解きほぐしていくうちに浮かび上がってきたのが、ユタ州の隣のネバダ州の砂漠で、1951年から58年までの間に97回も行われていた「原爆実験」であった。つまり、これらの核実験で大気中に大量にばらまかれた「放射性物質」の被曝が原因で、これらの人々がガンに罹って亡くなっていったのでないか、というのである。


 そして、この時、『征服者』の追加撮影のために、この砂漠の砂が60トンもハリウッドのスタジオに持ち帰られ、その後、ハリウッド一帯に散布された。また、西部劇全盛の当時、原爆実験によって汚染された可能性のある砂漠を舞台に、頻繁に映画撮影が行われていた。そのためかどうか、ガン、もしくはガンと疑われる病気で亡くなったハリウッド関係者は非常に多い、と、1960年のゲイリー・クーパーから、1985年のユル・ブリンナーまで、実に69人もの物故者の名前が挙げられていた。


 さらに、大気圏内の核実験はその後禁止されたが、放射能の「死の灰」の恐怖はそれで終わったわけではなく、現代の「原子力発電所」に引き継がれている、として、全国30数ケ所の原発立地場所とその予定地が記された日本地図が掲載されて、この『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』という本は、終わっていた。


 私がまだ小学生だった1954年、太平洋のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験が行われた時、付近で操業中だった日本の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなるという事件が起きて、世界を震撼させた。汚染された「水爆マグロ」や、「放射能」の雨を浴びたら髪の毛が抜ける、など、「死の灰」の恐怖がささやかれたが、その後、「原水爆反対運動」が盛り上がって、大気圏内の核実験が禁止されるなどするうちに、いつの間にか私たちの脳裏から消えてしまっていた。


 そういえば「第五福竜丸」のあとしばらくして、「原子力の平和利用」ということが大きく喧伝されるようになった。放射線をあてると、がん細胞を退治できるとか、収穫した農作物が倍以上も大きくなるとか、その効用がいろいろと唱えられ、そんな中に原子力発電もあった。その頃運転を開始したイギリスのコールダーホール原子力発電所というのが注目を浴びていて、とにかく「平和利用」なのだから、それが危険なものだなどとは思ったこともなく、たしか社会科の時間の「研究発表」で、そのあたりのことをまとめて、みんなの前で説明したことさえあった。


 だから、原発が危険なものである、というのは少し不意をつかれた感じで、そこで次に読みはじめたのが、同じ広瀬隆の『東京に原発を!』(1986年集英社文庫、単行本初版は1981年)であった。


 このタイトルは逆説的である。


 国や電力会社は、原発は絶対に安全だというが、そんなに安全なものなら、都会を遠く離れた過疎地にではなく、その電力をいちばん消費する東京につくればいいじゃないか、とまず主張する。そうすれば、長距離送電による電力ロスはなくなるし、これまで海に捨てていた原子炉の廃熱を「スチームパイプ」を通して配送すれば、近隣の住宅の暖房などにも利用できるし、などとそのメリットを事細かく列挙し、さらには、その候補地として具体的に、その頃、東京都庁の新庁舎の建設が予定されていた「新宿中央公園」など、最適地であると指摘している。


 でも、こんなにいいことずくめの「東京原発」がなぜつくられないのか、という問いかけが導入部になって、その少し前に起きた、アメリカの「スリーマイル島」(1979年)や、ソ連の「チェルノブイリ」(1986年)の原発事故の実態、さらには、そもそも「原子力発電」とはどういうものなのか、と話は進んで行く。


 私はこの本を読んではじめて、原子力発電の仕組みを知った。要するに、ウランの核分裂反応によって発生する熱を利用して、お湯を沸かし、その蒸気で発電機のタービンを回すということで、原理は火力発電とまったく同じである。ただその発熱量が莫大であるということ、そしてその反面として、核分裂の結果、ヨウ素やセシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどの有害な「放射性物質」が産み出され、それらを外界に出さないように厳重に格納容器に閉じこめておく必要があった。


 ところがいくら厳重にやっても、ちょっとしたミスで、それらは漏れ出してきて、それが「放射能漏れ事故」となったり、また、核分裂反応を制御できなくなって、原子炉が暴走すると、スリーマイル島やチェルノブイリのような破局的な大事故となる。


 また使い終わった「核燃料」は、原子炉から取り出したあとも、発熱を続けているので、発電所内の水循環式のプールの中で半年から1年の間、冷ましつづけなければならない。そのあと「再処理工場」に送られて、まだ燃料として使える、燃え残りのウランとプルトニウム、そして、その他の使い道のないストロンチウムなどのいわゆる「死の灰」に分離される。


 そして問題なのは、これらの放射性物質がもつ放射能は 一定の時間が経ってその反応がおさまってしまうまでは絶対に消えない、ということである。それがやっと半分になる「半減期」が、ヨウ素で8日、ストロンチウムが28年、セシウムが30年、そしてプルトニウムは2万4000年であるということで、原子力発電を続ける限りかならず生成されるこれら廃棄物は世界中で膨大な量に上っているのだが、それらの放射能が消えてしまうまで、何百年、何千年、何万年もかかることになる。その間、だれが、どこで、どのようにしてそれらを保管し、処理するのか、その方法も技術はいまだに確立されておらず、次々と貯まる一方の「放射性廃棄物」は、原発敷地内の貯蔵所などに、とりあえず大量に保管されたままだという。


 また30年もすれば原子炉も老朽化して廃炉にしなければならないが、その放射能まみれになっている原子炉の残骸はどう始末するのか。再処理されて高濃度になった「高レベル廃棄物」はガラスのような固体に変えて、地中深くに埋めるといわれているが、それが何千年、何万年も変化することなく安全に保管されるという保証はあるのか、いつか腐食して漏れ出し、地下水を致命的なまでに汚染してしまったり、地上に吹き出したりすることはないのか、そういったことが起こらないように、だれが監視するのか、はたして、人類がそのころまで存在しているのか。


 これを知って、私は即座に「反原発」派となった。スリーマイルやチェルノブイリのような大事故がそうたびたび起こるとは思えないが、発電とともに必然的に生成される「放射性廃棄物」が最終的に処分できないものなのであれば、原子力発電には未来はないからである。


 こんな話を職場ですると、同僚で同じようなことを考えている人がいて、おたがいに関係した本や資料を集めてみようということになった。私は、その後読んだ、広瀬隆の著書群、すなわち、ロックフェラーら石油資本とハリウッド映画界との関係を暴いた『億万長者はハリウッドを殺す』、戦争というものの本質をついた『クラウゼヴィッツの暗号文』、チェルノブイリで撒き散らされた放射性物質による食品汚染を告発した『ジキル博士のハイドをさがせ』などを提供し、彼からは、物理学者・環境経済学者の槌田敦、技術系・経済評論家の内橋克人、ノンフィクションライターの柳田邦男の本の他、この、欧米のライターが書いた『核の栄光と挫折・巨大科学の支配者たち』という大部の本がもたらされた。


 この『核の栄光と挫折・巨大科学の支配者たち』は、できうる限りあらゆる資料を集め、それらをすべて、これでもかこれでもかとばかり、力づくで一冊の本の中にまとめ込んでしまう、という、いかにも欧米人の学者やライターにありがちなタイプの本であった。つまり、資料的にはすばらしいのだが、それらがほとんどコントラストなしに並列的に羅列されているので、通して読んでいくと、次々と新しい人物が現れては去っていくの繰り返しで、読みづらいことこのうえもなかった。


 そこで、彼から言い出したのか、私自身が思いついたのかは忘れたが、この膨大な内容の本の、細部は省いて、全体の流れが簡単に掴めるような「レジュメ」みたいなものができないだろうか、ということになり、それではと、ちょうどその頃買ったばかりの「ワープロ」の練習もかねて、この本の「要約版」をつくることになった。もちろん、内容が興味深くて、自分でもそれを十分に理解したいという欲求があったのは当然である。


 内容は、「原子爆弾」の発想から、その製造、戦後の水爆、そして、原子力発電へと、「核=原子力」というものがどのように発展してきたか、そしてどのような人物がそれに関わってきたか、という話である。とにかく、登場人物が多くて、前半部だけで70名を超えている。そして、そのうちのだれかがこの本の中心人物ということはなく、次々と入れ替わっていくので、把握しやすいように、まず冒頭に「登場人物一覧」というページを用意しておいた。同じ一覧は、「ダイジェスト」の各章の終わりごとにも挿入してある。読む前、あるいは読んだ後に、もういちど目を通せば、内容を把握しやすいかもしれない。


 なお、あらかじめ断っておくが、「ダイジェスト」は、この本の前半部で終わっている。いかに内容に興味があり、またワープロの練習がおもしろいといっても、読む尻から、それを要約文にまとめていくという作業は大変なことで、そんなことを時間を見つけてはコツコツと数ヶ月か、半年ほどは続けただろうか。もうすっかり疲れ切り、ちょうど切りのよいところまで来たので、そこまでを印刷して小冊子にし、同僚氏の他、何人かに配り、続きはそのうちにということになった。


 原本はその後、何年間も預かっていたのだが、ついに、もうすることもないだろうと見極めを付けて返却してしまったのが、かなり前のことである。その同僚氏も定年で職場を離れてしまって、会うこともまれになってしまったが、今年(2011年)3月、まさかと思っていた、チェルノブイリ級の原発事故が日本でも起こってしまった。たくさんの人々が故郷を追われ、その何十倍、何百倍、何千倍、もしかしたら私自身もその中に入っているかもしれない多数の人間が、放出された、そしていまだに放出されているかもしれない「放射性物質」に脅かされている。そんな現在、かつて、途中で中断したままになっていた、この仕事のことが気になってきている。もはや、その「ダイジェスト」の続きをする元気は残っていないかもしれないが、後半部がどんな内容だったのか、是非読んでみたい。何らかの機会を得て、この本と再会できることを願っている。

             (2011.10.16)




 と、以上の文章を書いてから、半年が経った。最後にもあるように、その続きをどうしても読みたくなって、通りすがりの古書店を覗いてみたりしたが、見つからなかった。ネットで検索してみると、数万円とかなりの値段がついているようだった。もともとの持ち主だった、くだんの同僚氏と会う機会があったので、尋ねてみると、大分前に、原子力関係の本は全部処分してしまったということだった。


 そして、今年(2012年)の3月、長年勤めた学校の仕事を引退することになって、その後の生活のひとつの核として、図書館というものに思い至った。職場にあった生徒用の図書館は時々利用させてもらっていたが、地域の公共の図書館は入ったこともなかった。いわば「食わず嫌い」みたいに、何となく、勝手に敷き居を高くしてしまっていたのだが、思い切って入ってみると、「案ずるより産むが易し」だった。そんなにたくさんの書物があるようでもなかったが、ない本は他の図書館から取り寄せてくれることになっていた。検索は、インターネットを使って自宅のパソコンからもすることができた。


 そこでさっそく、この『核の栄光と挫折』を検索してみると、他の図書館で1冊見つかり、数日後、地元の図書館に転送されてきた。かくして、約20年ぶりの再会を果たしたのである。


 あらためて全体を見直してみると、全部で28章まであって、それまでに15章まで終えていたので、あと半分というところだった。貸し出しの期限は延長しても4週間、前の時はゆうに数ヶ月もかかっていたので、はたしてできるだろうか、と思ったが、「無職」の身のありがたさ、それに内容が、それまでの原爆・水爆・原子力潜水艦といったものから、原子力発電(原発)という、まさに「現在的」なものに移って、いささか馴染み深くなったせいか、思ったよりも順調に進んで、ちょうど期限いっぱいでほぼ完了ことができた。


 この本では、話は、1940年代はじめの「原爆の着想」から始まって、「原発」の世界的な普及、そして、1979年のスリーマイル島の事故で終わっている。その後、1986年にチェルノブイリの大事故があり、そして昨年(2011年)には「フクシマ」があった。しかし、「核」の世界についての「特質」や「問題点」などは、すでにこの本で、すなわち、スリーマイルまでに、ほとんど出尽くしている感がする。


 言い換えれば、この本以後の30数年間、 技術的には大した進展もなかったのに、「地球温暖化問題」という追い風にも恵まれて、いわば「無為無策」のまま、「僥倖」を頼りに、原発は世界的に拡大されてきたことになる。そして、とうとう起こった「カタストロフ(破局)的な大事故」。たくさんの人々が半永久的に住む場所を失った。次は自分たちかもしれない、ああ、もう懲り懲りだ、となるはずのところが、必ずしもそうはなっていない。なぜか。そうはならない、正確にはそうは「ならせない」理由の一半が、この本を読めばわかるだろう。


 時事通信社の浦田誠親氏による「監訳者あとがき」によれば、著者のひとり、ピーター・ブリングル氏は、当時、ロンドンの「オブザーバー」紙ワシントン特派員で、それ以前は、ロンドンの「サンデータイムズ」記者として、12年間、中東、アフリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アメリカ合衆国の問題をカバーしていた。もうひとりの、ジェームズ・スピーゲルマン氏は、ホイットラム首相時代のオーストラリア政府で首相高級顧問など、いくつかの要職を経験、その間、最高水準の国際的な「核」政策討議にも参画した、もともとは法律家である。

(2012.4.28)



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