詩を暗誦する6





詩を暗誦する(6)



『酔っぱらった船』以後

 自分の中に唯一残った100行の『酔っぱらった船』を毎日浴槽で復唱しつつも、私は次の作品を求めていた。私の脳髄から消えてしまった12編297行の詩のことはさほど惜しいとは思わなかった。過ぎさった過去よりもこれからの未来の方に目を奪われていたためだろうか。せっかく覚えたランボーなので、他の作品も手がけてみたいとおもったが、『地獄の季節』や『イリュミナシオン』の作品は長い散文詩ばかりでさすがに手が出ず、その時、訳者の宇佐美斉氏から勧められたのが、後期韻文詩のひとつである (14) 『いちばん高い塔の唄』という36行の作品であった。

 この詩は『地獄の季節』の中に、少し違ったかたちで引用されている作品で、冒頭の Oisive jeunesse(無為な青春時代)という詩句に「のらくらの青春」という訳語があてられているのがユニークであった。

 ただ、内容的には、奔放で無鉄砲な青春の果てに傷ついて去っていくという、私が勝手に描いていた「攻撃的」なランボーのイメージとは全く正反対のものだった。じくじくと後悔の念にさいなまれて弱音を吐くランボーは、この詩人の別の一面をあらわしていて、それはそれで魅力的なのだろうが、『酔っぱらった船』の強烈な一撃に、それこそ「酔っぱらって」しまっていた私には、そこまで思い至ることができず、ランボーはちょっとひとやすみすることにした。



(14) いちばん高い塔の唄


何かにつけて服従する一方の

のらくらの青春よ

こまやかな心遣いのために

ぼくは自分の一生を棒にふった

ああ 時よ来い

みんなの心と心が寄り添うかの時よ


ぼくは呟いた もういいじゃないか

姿をくらましてしまえ

もっと高尚な喜びを

味わおうなんて期待しないで

何があっても引き返すんじゃない

厳かな退却だ


ぼくは本当に我慢をした

永久に忘れ去ってしまうほどに

恐れも苦しみも

空に向かってとんでった

身を蝕む渇きのために

ぼくの血管は黒ずんでいる


まるで草原のようだ

忘却にゆだねられて

広がりゆき 迷迭香(まんねんろう)

毒麦の花が咲いている

沢山の汚らしい蝿が

ぶんぶん唸り狂っているなかで


ああ こんなに哀れな魂の

やもめ暮らしにゃ際限がない

その魂が抱きしめるのは

聖母の面影だけなんだ

祈りを捧げようってのか

聖処女マリアに


何かにつけて服従する一方の

のらくらの青春よ

こまやかな心遣いのために

ぼくは自分の一生を棒にふった

ああ 時よ来い

みんなの心と心が寄り添うかの時よ


(宇佐美斉訳)




 折りしもちょうど長い冬が終わりを告げようとしていた。季節の変わり目といえば、やはり清岡卓行の「四季のスケッチ」であるが、この時期は (15)『早春』である。

 この詩は、かつて学生時代にすこし親しんだ作品で、最後の「見知らぬ美しい女に/オパールを買ってあげようかと/たずねてみたい。」という箇所に秘かに胸をときめかせたのを覚えている。41行という長さはいまや怖れるものではなくなったが、それでも結構時間がかかり、この次に、中原中也の有名な (16)『サーカス』を終えると、夏となり、今度は「四季のスケッチ」の (17)『真夏』となった。この作品も学生時代に読んだことがある詩で、終わりから8行目で思わずため息のようにもれる「....ああ 海に行きたい!」というフレーズがそのあとずっと私の耳についていたものである。



(15) 早春


すべての復讐を忘れたかのように

どこまでも無関心に

澄みきって

晴れあがった空。

オフィスの分厚い窓ガラスごしに

そんなにも遙(はる)かな青や

街路の並木にほころぶ若い芽の

うっすらと親しげな緑を

まるで思いがけない贈物(おくりもの)のように

ぼんやり 眺めていると

ぼくはなぜか

ぼくを恥じる。

そして 向(むか)いのビルの

北向きの暗く狭い入口(いりぐち)

砂埃(すなぼこり)や紙屑を高く舞いあげている

あの肌寒そうな風は

数日前 近くの海で沈んだ漁船の

腐ったような生ぐさい臭いを

微かに運んできているのではないかと

奇妙な空想をめぐらすのだ。

ぼくは いつまで

こんな都会の片隅を愛するのだろうか?

目の下の 臨時板ばりの車道の上には

(やかま)しい自動車の行き来が

昆虫の列のように絶えないが

その板ばりの下の土地は

(おそ)ろしいほど深く掘りかえされ

巨大な地下駐車場が工事中である。


そこでは 昨日

三百年ほど前の大人や子供の

中頭型(ちゅうとうがた)の頭蓋骨が

いくつもいくつも見つけだされた。

気味わるく 懐(なつか)しい

少しばかりいにしえの日の同胞(はらから)よ!

ぼくには まだ

友達というものがあるのだろうか?

ああ 午後の陽がさしそめている

あの街角で ぼくは

見知らぬ美しい女に

オパールを買ってあげようかと

たずねてみたい。




(16) サーカス


幾時代かがありまして

  茶色い戦争ありました


幾時代かがありまして

  冬は疾風吹きました


幾時代かがありまして

  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)

    今夜此処での一と殷盛り


サーカス小屋は高い梁(はり)

  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ


頭倒(さか)さに手を垂れて

  汚(よご)れ木綿の屋蓋(やね)のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


それの近くの白い灯が

  安値(やす)いリボンと息を吐き


観客様はみな鰯

  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


     屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)

     夜は劫々(こふこふ)と更けまする

     落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと

     ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん





(17) 真夏


午後二時。

新しい仕事が

ぼくをまた駆り立てる。

ビルの七階の冷房のオフィスから

うだるアスファルトの車道の自動車へ。

締めなおした蛇皮のベルトは

人一倍暑がりの肉体への

戯れの鞭。

自動エレヴェーターの中で

ぼくは行先のほか すべてを忘れ

先ず 右手の人差し指となる。

一階を示すボタンを押し

そこに蛍のような灯(あか)りをともす。

頭上には扇風機

髪だけが 撫でられるように涼しく

ぼくはついで 二本の足となり

下降の軽いめまいを支える。


公衆電話ボックスほどの大きさの

上下に移動するその直方体の箱は

牢獄に似ているか?

子宮に似ているか?

それとも

立てられた棺桶に?

白昼の都会の多すぎる人間たちの中で

ふと

誰からも完全に隔離されるその密室。


そのふしぎな解放の中で

ぼくには考えることが何もない。

いや

何も考える気がしない自分に

ぼくは微かに身ぶるいする。

世界は 遠く おぼろに

ぼくの思いは けだるく 後ろめたく

そんな無意味な恥じらいの

一体 何度目の繰返し?

  ああ 海に行きたい!

そこに閃(ひらめ)く言葉に

わずかに

季節の移ろいがこだまして

やがて停止するエレヴェーターの

音のない扉が

開かれるとともに閉じられる

二十四秒の孤独。






中原中也と、加藤登紀子・武田鉄矢

 ところで前後するが、中原中也の『サーカス』がテレビの教育番組でも取りあげられるような代表作だとは、それまで不明ながらも知らなかったのだが、その出だしの「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました」には聞き覚えがあった。加藤登紀子の唄に『いく時代かがありまして』という作品があって、私の好きな唄だったからだ。


いく時代かがありまして

茶色い戦争もありました

いく時代かがありまして 

死んだ人もありました 

いく時代かが過ぎてゆき

忘れ去る事の限りを続け

淋しさは この体に 

消えてはともる ちらちら灯りのように

仮の世のたわむれに 酔うてさわいで夜が明けた

.....



 すこしことばを変えてあり、その後の展開はまったくの別物となっているが、その出だしは中原中也そっくりではないか。レコードに添付されたライナーノートによれば、作詞者は「加藤登紀子」とあって、中也については一切触れられていないが、「いく時代かがありまして」のあと「茶色い戦争.....」と、個性的なフレーズが続くのは偶然とは思えず、おそらく中原中也の詩にinspireされた(着想を得た)のではないかと思われる。


 また以前、映画『男はつらいよ』シリーズの併映作品として、武田鉄矢主演の『思えば遠くへ来たもんだ』という映画を見たことがあった。新米教師役の武田鉄矢が赴任した高校で悪ガキどもを相手に悪戦苦闘する、という、いわゆる「坊っちゃん」ストーリーの作品であるが、このたび、中原中也の詩集のページを繰っていて、『頑是ない歌』という作品の冒頭に「思へば遠く来たもんだ」というフレーズがあるのを発見した。この映画のタイトルは、武田鉄矢の同名の曲をもとにしたものだというが、それを作詞した武田鉄矢も、やはり中原中也にinspireされたのだろうか。

 加藤登紀子の場合も含めて、その真相は明らかではないが、いずれにしても、中原中也の詩句に酷似したフレーズが半世紀も経たのちの「流行(はや)り歌」の中に立派によみがえっていたのは確かで、だとすれば今の時代ならば、中原中也はさしずめ超一流の「コピーライター」ということになるのだろうか。



頑是ない歌 (中原中也)


思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しようぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ




思えば遠くへ来たもんだ (武田鉄矢)

踏み切りの側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく

十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた

思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

筑後の流れに子鮒釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた

二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す

眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく

思えば遠くへ来たもんだ 振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなるような気がします
思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら



 それにしても夏は長い。清岡卓行の『真夏』をすっかり暗誦してしまってからも、暑い日は絶え間なく続き、そこで思い立って、中原中也のアンソロジー詩集の中から、暑い夏にちなんだ作品を適当に選り出して、覚えることにした。 (18)『夏の日の歌』、 (19)『夏の夜に覚めてみた夢』、 (20)『残暑』、の3作品である。

 かたっぱし、と言ってよいぐらい荒っぽい選択だったが、どうせ私の場合、作品の善し悪しは暗誦してしまうまでは分からないので、それは問題ではない。いずれの作品も、灼熱の太陽にすべてをかき消されたような眩しい夏の空を窓から眺めながら、汗みどろになって畳の上で寝っ転がっていた当時、いや正確に言えば、そのときは部屋はよく冷房が効いていて汗はそれほどかいていなかったので、はるか昔の、おそらくは中学生ぐらいの時の物憂い夏休みのある昼下がり、家族が出払った家でひとりぼっちで昼寝をしていた自分を思い起こさせるような作品であった。



(18) 夏の日の歌


青い空は動かない、

雲片(ぎれ)一つあるでない。

  夏の真昼の静かには

  タールの光も清くなる。


夏の空には何かがある、

いぢらしく思はせる何かがある、

  焦げて図太い向日葵(ひまわり)

  田舎の駅には咲いてゐる。


上手に子供を育てゆく、

母親に似て汽車の汽笛は鳴る。

  山の近くを走る時。


山の近くを走りながら、

母親に似て汽車の汽笛は鳴る。

  夏の真昼の暑い時。





(19) 夏の夜に覚めてみた夢


眠らうとして目をば閉ぢると

真ッ暗なグランドの上に

その日昼みた野球のナインの

ユニホームばかりほのかに白く――


ナインは各々守備位置にあり

(ずる)さうなピッチャは相も変らず

お調子者のセカンドは

相も変らぬお調子ぶりの


(さて)、待つてゐるヒットは出なく

やれやれと思つてゐると

ナインも打者も悉(ことごと)く消え

人ッ子一人ゐはしないグランドは


(たちま)ち暑い真昼(ひる)のグランド

グランド繞(めぐ)るポプラ並木は

蒼々として葉をひるがへし

ひときはつづく蝉しぐれ

やれやれと思つてゐるうち……眠(ね)






(20) 残暑


畳の上に、寝ころばう、

蝿はブンブン 唸つてる

畳ももはや 黄色くなつたと

今朝がた 誰かが云つてゐたつけ


それやこれやと とりとめもなく

僕の頭に記憶は浮かび

浮かぶがまゝに 浮かべてゐるうち

いつしか 僕は眠つてゐたのだ


覚めたのは 夕方ちかく

まだかなかなは 啼いてたけれど

樹々の梢は 陽を受けてたけど、

僕は庭木に 打水やつた


    打水が、樹々の下枝(しづえ)の葉の尖(さき)

    光つてゐるのをいつまでも、僕は見てゐた







詩の〈音楽性〉について

 中原中也は日本の近代詩人の中でも、最も〈音楽性〉を感じさせる詩人であるが、その先達となった存在が萩原朔太郎だといえよう。

 私の若いころの「詩」体験は、学校の国語の教科書がすべてといってよいが、萩原朔太郎の場合もそうで、それは (23)『竹』という作品であった。

 この詩の特徴は、「ますぐなるもの地面に生(は)え、 / ..... / なみだたれ、 / なみだをたれ、 / .... / けぶれる竹の根はひろごり、 / .... / 根がしだいにほそらみ、/ .... / かすかにふるえ。/ .... / 青空のもとに竹が生え、 / 竹、竹、竹が生え。」のように、全22行中、18行が「イ音の連用形止め」になっていて、その連続が、スピード溢れる疾走感を醸し出しているというところであった。

 詩集を繰ってその作品を探してみると、同じような「韻」を踏んだ (22)『地面の底の病気の顔』という不気味な作品があって、『竹』の「前段」のようになっており、『竹』も同じタイトルのよく似た調子の作品が2つ並んでいた。だからこの3作品はひと続きのようにして覚えることにしたが、その前に、「口慣らし」として、「ふらんすへ行きたしと思へども / ふらんすはあまりに遠し / .... 」で有名な、 (21)『旅上』を暗誦した。



(21) 旅上(りよじやう)


ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道(やまみち)をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。




(22) 地面の底の病気の顔


地面(ぢめん)の底に顔があらはれ、

さみしい病人の顔があらはれ。


地面の底のくらやみに、

うらうら草(くさ)の茎(くき)が萌(も)えそめ、

(ねずみ)の巣が萌えそめ、

巣にこんがらかつてゐる、

かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、

冬至(とうじ)のころの、

さびしい病気の地面から、

ほそい青竹(あをだけ)の根が生(はえ)えそめ、

生えそめ、

それがじつにあはれふかくみえ、

けぶれるごとくに視(み)え、

じつに、じつに、あはれふかげに視え。


地面の底のくらやみに、

さみしい病人の顔があらはれ。





(23) 竹


ますぐなるもの地面に生(は)え、

するどき青きもの地面に生え、

(こほ)れる冬をつらぬきて、

そのみどり葉(は)光る朝の空路(そらぢ)に、

なみだたれ、

なみだをたれ、

いまはや懺悔(ざんげ)をはれる肩の上より、

けぶれる竹の根はひろごり、

するどき青きもの地面に生え。


光る地面に竹が生え、

青竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛(せんもう)が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。


かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、

まっしぐらに竹が生え、

(こほ)れる節節(ふしぶし)りんりんと、

青空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。




 ところで、〈音楽性〉というのは、詩には不可欠なもので、〈音楽性〉すなわち〈韻律〉があるからこそ〈散文〉と区別されるのだが、それを推し進めて、固有の〈メロディー〉を持ち、楽器による伴奏もついたものになると、いわゆる「(音楽の世界における)歌」になる。そして、音楽の作品には、「歌」(すなわち「ことば」)のない、器楽だけのものも多数あって、私たちはそれらを聴くことにも慣れているので、例えば外国人が自国語で歌っている、私たちにとって意味不明な「歌」であっても、〈音楽〉として十分に楽しむことは可能である。ひとは「歌」を聴くとき、タイプとして、その「歌詞」か「曲」か、どちらか一方に比重を傾けて聴いてしまうそうだが、私の場合はあきらかに後者の「曲」派であった。

 かつて20歳代のとき、ビートルズをかなり夢中になって聴き込んでいたときも、そのユニークさがよく指摘されていた〈歌詞〉にそれほど注目することはなかった。私が魅せられていたのは、彼らの曲のメロディー、リズム、和音とその進行、それらを奏でる彼らの演奏、そして彼らの歌う〈声音〉だったといえようか。

 だから、いわゆる「演歌」などは、歌詞が耳に入ってこなければ、どんな歌も同じように聞こえてしまってつまらなく思ってしまう。ある一定のパターンの曲の上に、多彩な歌詞を乗っけて、それを歌手が自分の歌唱技術を駆使して歌い上げる、つまり、究極的には、浪曲や文楽・歌舞伎の浄瑠璃などの延長線上にある「語り物」の世界になってしまうからであろう。

 歌詞と曲、〈ことば〉と〈音楽性〉、それらがバランスよく、どちらの面でも非凡な工夫がなされている〈詩〉がよい詩ということになるのだろうが、前世代の絢爛たる「文語定型詩」の〈音楽性〉偏重から〈詩〉を脱皮、発展させたのが、萩原朔太郎、中原中也らといえるだろう。ただ、詩にとって〈音楽性〉は「両刃の剣」でもあって、そのなかに気持ちよく浸れる分だけ、ことばが醸し出す〈視覚的〉イメージなどは影が薄くなっていく。

 中原中也、萩原朔太郎の詩をいくつか暗誦していくうち、少しずつ私の中に避けがたく溜まりはじめた「疲れ」のようなものは、その所為だったかもしれない。


 いつしか夏が終わり、秋も深まりはじめていた。そんなとき、くだんの宇佐美斉氏から「現代詩手帳2008年11月号」のコピーをもらった。この号は、歿後2年を経た清岡卓行の特集号で、もらったコピーはその核心となる『虚点を貫く~詩人清岡卓行の全体像』という座談会記事であった。出席は、高橋英夫、新井豊美、宇佐美斉の3氏で、各人自分の清岡卓行体験を語ったのち、それぞれが選んだ清岡卓行の詩を10編ずつ披露して、それをもとに語り合うという趣向で、清岡卓行の専門家である宇佐美氏が全体の「取りまとめ」の役割を果たしていた。そして、対談のおわりには、選ばれた清岡詩が掲載されていて、いわば、厳選された「アンソロジー」となっている。その中で私は、詩人が80歳の最晩年に出版された詩集におさめられた (24)『冬至の落日』という作品が気に入って、これを暗誦することにした。

 この詩は、私の手持ちの詩集にはなかった作品で、77行とかなり長かったが、書き出しの、胸の中のものを詩にするためのきっかけとなるひとつの単語を求めて、自宅の狭い庭の中をさまよい歩く、という箇所に、創作の秘密を何気なく明かすこの詩人に対してまず親近感を感じた。

 庭の中のさまざまな樹木や花々を渉猟したのち、視線はふと、たまたま冬至であったその日の太陽が沈んでいる姿をとらえる。そして、みるみる沈んでいくその太陽が、都会の中の数多くの障害物を巧みに、奇蹟のようにすり抜けて、まるで地平線に沈んでいくかのように見とおせるのを知ったとき、ささやかな日常の中に思いがけず、〈永遠〉を発見した喜びを感じ、そのとき、やっと見つかった詩のための単語が、ずっと昔に住んでいた大陸の都市の名前だった、という内容である。

 ところで、いまこの原稿を書いているとき、大切に保存してあったこの雑誌のコピーをもう一度読み返してみたが、そのとき、宇佐美氏の発言のなかに、「70年代に清岡卓行がNHK-FMで自作朗読した『スタジアムの寂寥』のテープを何度も聴き返している」という箇所を見つけた。「その朗読は、音節の数を極度に切り詰めた、詩人のあの筆圧の高い楷書体の自筆とどこかで通底するような、一語一語に思いを込めた読み方をしていて、そこには独特の、切迫感のあるリズムが感じられる」というのである。

 私はこれまで、清岡卓行に限らず、口語体の詩を暗誦、朗読する際、まるで散文の文章を読むようにすらすらと滑らかに読むように心がけていた。するとそれはテレビでよく見る、映像構成された詩作品のナレーションのような感じになって、それはそれで心地よかったのだが、試しに、この清岡卓行流で『スタジアムの寂寥』や『冬至の落日』を読んでみると、たしかに、全く違う。それこそ、強い筆圧で一語一語、ことばを紙に刻みつけるように読み上げていくと、字面の上では、単に行分けされた散文にしか見えないような詩句が、独特のリズムを持つ、まさに〈詩〉、〈韻文〉に他ならないものだとわかってくるのである。これは大きな発見であった。




24) 冬至の落日


胸のなかに鬱屈して

解き放つことができない深い情緒を

ひとつの詩として

白い紙の肌の上に

外在させはじめるきっかけとなるような

ひとつの単語。

そんな鍵がどうしても欲しく

わたしはさまよいつづけていたのだ。


広大な山野(さんや)ではなく

狭小(きょうしょう)な庭のなかを

言葉の群れとたわむれる歩きかたで。


花柚(はなゆず)は鮮やかな黄色の実をたくさんつけ

柚湯(ゆずゆ)の匂いをふと想像させる。

そうだ きょうは

冬至の日

と月日に疎(うと)いわたしも気づく。


日暮れに近い淡い明るさ。

山茶花(さざんか)はうす紅(くれない)の五弁花(ごべんか)

(つぼみ) 満開 落花とたどる変化における

さまざまな〈今〉の姿を

むしろ乱雑に示している。


ミモザは微細(びさい)な黄緑(きみどり)の蕾(つぼみ)

細く伸びたいくつもの枝に無数につけ

暮れ残る青空を背景に

それらをまるで冬を越すための

のどかな飾りのようにも

冷たい微風(びふう)に揺らせている。


こんな樹木に囲まれてうろつきながら

ひとつの単語に焦心(しょうしん)していたわたしが

不意に見たのだ

わたしの人生における

たぶん初めての冬至の落日

ことさら求めることなどなかった

なんらかの特別な日における落日を。


それは多くの偶然が重なって

奇蹟のように現われた一瞬の美であった。

驚きのなかに

わたしは茫然と立っていた。


隣りの家やすぐ近くの公園などに

植えられている落葉樹の隙間や

設けられているフェンスの隙間

それらがいくつもいくつも

なぜかじつにうまく重なって

小さな太陽が燦然と輝く

西の果てまで見せていたのだ。


さらにいえば

この家に住んで二十数年

わたしが冬至の日没のときに

この庭のこの位置に立つということも

初めてであった。


巨大な都市のはずれにおける

ささやかな暮らしのなかの

貧しげな庭の片隅

そこにこんな

永遠が隠されていたとは。


驚きのなかで感覚された

自然の美による

快い佇立(ちょりつ)の酔いが

それをもたらしたところの

偶然の重なりへの

目が覚めるような思いに刺戟(しげき)されて

ひさしぶりの深い感動へと加速されたのか。


とにかく そのとき

茫然と立ちつくす

わたしの頭のなかの白い紙の上に

待ちに待っていたひとつの単語が

それとわかる

音楽の磁気をおびて

力づよく浮かんできたのである。


それはこのところ忘れていた

都市の名前。

わたしが生まれて育ったところで

海を越えて遠い異郷にある

都市の名前。

わたしの青春の

幸福と不幸をかたどる

都市の名前。





「漢詩」の暗誦

 長い詩だったので、『冬至の落日』を暗誦し終えたのはもう2008年の師走に入っていたが、このころちょっとしたきっかけで、「漢詩」をいくつか暗誦することになった。

 同じ職場で漢文を教えているやや年下のK氏は、大学を出てからも学問をつづけ、最近では、社会人の人々を相手に「唐詩」を読むサークルをつくっている。これまで日本では全訳されたことがない詩人、例えば、王昌齢や孟浩然の全詩を読むというアマチュアのサークルで、その成果として、その全詩の「訓読」と「現代語訳」が本になっているが、このたびその『孟浩然全訳詩集』が出て、それに関して、大阪の民放ラジオに出演することになった、という話を聞いた。さっそく、夕方の帰宅途中の時間帯であったが、持参した携帯ラジオで聴いてみた。

 孟浩然といえば、いわずとしれた「春眠暁を覚えず」が有名で、おそらくだれもが学校で最初に習った漢文教材であろう。番組でも、この作品が取りあげられて、そのとき、K氏が、「春眠、暁を覚えず....」と訓読を読んだあと、中国語ではこうなります、と、中国語で発音した。すると、漢文独特の硬質な歯切れのよさとは全然違って、何か、ふわぁーとして、のどかな、聞いていて眠くなってくるような調子で、まさに、目が覚めたが、まだ眠くて眠くてたまらない、という感じが出ていた。

 この感じを現代語訳すればこうなります、と、K氏が披露した訳はこうであった。


 「春の眠りの心地よさ 夜明けの時を知らず / いつの間にやら鳥の囀(さえず)り喧(かまびす)し / さて思い遣るは 夜半の風雨に曝されて / さぞや散りなん春の花々」


 私はすっかり感心して、さっそくK氏からその本を購入した。『春暁』というタイトルのこの作品がだれ一人知らぬものがないほど有名なのに対して、その他の作品は全くといっていいほど無名であったが、そんな作品の「訓読」と「現代語訳」が実に263編も収めてあった。

 取りあえず、 (25) 『春暁』の「訓読」と「現代語訳」を覚え、次いで、 (27) 『夜渡湘水』という詩を覚えた。この作品を選んだ理由は、適当な長さであったこと、そして、ちゃんと詩らしい現代語訳がついていたことであった。というのは、この膨大な263編の「現代語訳」をすべてK氏がしたのではなく、7名の研究会メンバーも分担して担当しており、その訳は「訳詩」というより、詩の内容をわかりやすく解説したような「訳文」であることが多く、またK氏担当分でも、多くがそうで、『春暁』の訳のように、暗誦してみようと思わせる訳はそうたくさんはなかった。

 『全訳詩集』と謳っているのに、とそれとなくK氏に質してみると、漢詩というのは、どんな訓読をつけるかがすべてであって、いわゆる現代語訳はおまけみたいなものなのだ、ということであった。

 だからその次は、現代語訳は気にせずに、訓読だけで選ぶことにした。実は、K氏のサークルでは、孟浩然(689~740)の前に、同時代の王昌齢(698~765)の「全訳詩集」も発刊していて、そのときはK氏に献呈してもらったのだが、例によって、パラパラとめくっただけで終わっていた。その本を本箱の奥から探し出して、そこから選んだのが (29) 『過華陰』であった。

 一方、年が明け、季節が移り変わっていくと、例の、清岡卓行の「四季のスケッチ」で残っていた、 (26) 『冬のレストラン』、さらに、これも季節感のある (28) 『固い芽』の暗誦がはさまったが、これらの清岡作品も、先ほど述べた「清岡流」の読み方で暗誦し直してみなければならないと思っている。




(25) 春暁


春眠不覚暁    春眠 暁を覚えず

處處聞啼鳥    処処 啼鳥を聞く

夜來風雨聲    夜来(やらい) 風雨の声

花落知多少    花落つること 知りぬ多少(いくばく)



春の眠りの心地よさ 夜明けの時を知らず
いつの間にやら鳥の囀(さえず)り喧(かまびす)し。
さて思い遣(や)るは 夜半の風雨に曝されて
さぞや散りなん春の花々。
              (公庄博訳)


ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨マジリ
散ッタ木ノ花イカホドバカリ
           (井伏鱒二訳)




(26) 冬のレストラン


それが何であろうと 心をこめた

一日の長い仕事ののちの

爽やかさ。

冬の夕ぐれの繁華街の

あわただしい雑踏に

静かに粉雪が降りかかりはじめ

いくつかのネオンの原色が

それを微かに照明している。

それは平凡な しかしまた

そのとき一度きりの群衆の横顔。

そんな優しさ きびしさを

レストランの窓ぎわのテーブルから

飽かずに眺めているぼくは

どこかで むごたらしく

欺されているのだろうか?

すいた胃袋に

何かの感情の眼ざめのようにしみて行く

冷たい火のオン・ザ・ロック。

昨日は同じ席で

同じ時刻に

ヨーロッパの中世のお城から

今ぬけでてきたばかりの少女といった

あるふしぎな髪の夫人と

レモンの酸っぱい生牡蠣をすすりながら

ぼくは年齢について話していた。

――十九歳から二十歳になるときが

一番絶望的で 甘美で

真珠の中には それよりも大きな

水蜜桃がかくされています。

二十九歳から三十歳になるとき

おつぎはもう四十歳とあきらめ

暴風雨の中に ぼくはせめて

音楽の沈黙を聞こうとしました。

ぼくは奇妙なメタフォールまじりのせりふを

内心深く恥じながら 附け加えたのだ。

――だから 四十歳になるとき

おつぎは五十歳だと観念する

にちがいないと 思ったのですが

そのとき 実際に感じたことは

ぼくはもう死ぬんだという

ごくありふれたことでした。

――まあ!

  気が早いんですね。

彼女は驚いてそう受けながら

遠くを夢みるような眼ざしで

真剣にたずねかえしてきたのであった。

――それで

九つから十になるときは

どうでした?





(27) 夜渡湘水   夜、湘水を渡る


客行貪利捗    客行(きゃくこう) 利捗(りしょう)を貪(むさぼ)

夜裏渡湘川    夜裏(やり) 湘川(しょうせん)を渡る

露氣聞香杜    露気(ろき)に 香杜(こうと)を聞き

歌聲識採蓮    歌声(かせい)に 採蓮(さいれん)を識(し)

榜人投岸火    榜人(ぼうじん)は 岸火(がんか)に投じ

漁子宿潭煙    漁子(りょうし)は 潭煙(たんえん)に宿(やど)

行旅時相問    行旅(こうりょ) 時に相い問う

潯陽何處邊    潯陽(じんよう)は 何処(いずこ)の辺(あた)りかと




旅を急ぎ、 
夜をおかして湘水を渡る。
降り注ぐ、露の中、香杜(やぶしょうが)の香りをかぎ、
娘たちの歌声に蓮の実とりをしていると知る。
舟びとは岸辺の明りを目指し、
漁師は淵に火を焚き眠る。
旅の徒然(つれずれ)に時に問う
潯陽のまちは何処の辺りと。
                (公庄博訳)




(28) 固い芽


長い冬が終るまえに 春が

夢の匂いのようにはじまっている

落葉樹の森の まばらな透明。

その向うでは 海が やがて落日。


寒さにあらがい 暖かさに羞じらい

金の枝枝に散らばるものは

愛の誓いをせがむような

とがった乳首。跳ねない小魚。


芽の固さのなかには なにがある?

緑の氾濫と悔恨と その涯(はて)

不気味な沈黙の都市のほかに?


夕焼けが奏でる どこか未知の空への

ひそかな郷愁の恍惚のなかで

誓いの言葉は 未来を語るだろうか?





(29) 過華陰 【華陰(かいん)を過(よ)ぎる】


雲起太華山    雲は起(た)つ太華山(たいかざん)

雲山互明滅    雲と山 互(たが)いに明滅(めいめつ)

東峰始含景    東峰(とうほう) 始て景(ひかり)を含(ふく)

了了見松雪    了了(りょうりょう)として松雪(しょうせつ)を見る

羈人感幽棲    羈人(きじん) 幽棲(ゆうせい)を感じ

窅映轉奇絶    窅映(ようえい)すれば 轉(うた)た奇絶(きぜつ)

欣然忘所疲    欣然(きんぜん)(つか)るる所を忘れ

永望吟不輟    永望(えいぼう)して(ぎん)じて輟(やま)

信宿百余里    信宿(しんしゅく)す 百余里

出關玩新月    關(かん)を出(い)で新月(しんげつ)を玩(がん)

何意昨来心    何の意ぞ昨来(さくらい)の心

遇物遂遷別    物に遇(あ)いて遂(つい)に遷別(せんべつ)

人生屡如此    人生 屡々(しばしば)此(かく)の如(ごと)

何以肆愉悦    何を以(もって)か 愉悦(ゆえつ)を肆(ほしいまま)にせん



太華山(たいかざん)に雲が湧き起こり 山と雲とが見え隠れする。
東の峰に太陽の日がさし、くっきりと松にかかる雪が見えた。
旅人は俗世間を離れた静かな暮らしに心動かされ、ここまでやってきたが、
遠くの山に日が当たると、さらに素晴らしい風景が目に入る。
あまりの美しさに疲れも忘れ、遠くを眺めて詩を吟じてやまない。
わずか百余里を二泊して、潼関(どうかん)を出て新月を楽しむ。
昨日来の心のもやもやは一体何だったのか、
この風景に出会ってすべては抜け落ちた。
人生はしばしばこのようなもの、
心の底からとことん楽しもうではないか。





ポーの 『ANNABEL LEE(アナベル・リー)』

 いつしか、2009年も初夏に入っていた。詩のリズムということでは、もう大分前にかじった、ポーの (6) 『El Dorado(黄金郷)』が、英語の脚韻など、さすがと思われて印象的だった。そこで、あの頃よりは暗誦力もついてきただろうから、本格的に英語の原詩を覚えてみようと選んだのが、やはりポーの (31) 『ANNABEL LEE(アナベル・リー)』であった。

 この作品に関して、私は、恥ずかしながら、ある偏見を持っていた。

 この詩をはじめて知ったのは、高校3年生のときである。クラスでつくった「卒業文集」のなかで、ある女生徒がこの詩の翻訳を載せていたのだ。なかなか分かりやすい訳で、「アナベル・リイとは、一説に14歳にしてポーに嫁ぎ、さすらい人ポーを暖かく包むうちに胸を患って、24歳でこの世と訣別した従妹、ヴァージニア・クレムという幸い薄き女性を指している」という注もつけられていた。

 当時、彼女とはほとんど話をしたこともなく、失礼ながら、彼女が文学が好きだとか、英語がよくできるとも見えなかった。そんな彼女が訳した、とても分かりやすい詩だったので、その後ずっと、この詩がとても有名な詩だと知ってからも、なぜかやや軽んじるところがあった。しかし実は、この作品は、ポーの最後の詩作品で、死後2日目に地元に新聞に発表されたものだという。恋人(または妻)の死というテーマは、ポーがいろいろなかたちで繰り返し採りあげてきたものであり、謎めいた死のために40年で突然幕を閉じた彼の人生で、最後に到達した詩境だったといえよう。

 同じクラスの女生徒の訳は、いま、残存しているこの文集を読み返してみて、一部誤訳はあるものの、擬古調のなかなかしっかりしたもので、一高校生の訳とはいえ、公刊されている福永武彦の訳にも引けを取らない感じさえする。どうもお見逸れいたしました。



(31) ANNABEL LEE


It was many and many a year ago,

In a kingdom by the sea

That a maiden there lived whom you may know

By the name of ANNABEL LEE;

And this maiden she lived with no other thought

Than to love and be loved by me.


I was a child and she was a child,

In this kingdom by the sea,

But we loved with a love that was more than love --

I and my ANNABEL LEE --

With a love that the winged seraphs of heaven

Coveted her and me.


And this was the reason that, long ago,

In this kingdom by the sea,

A wind blew out of a cloud, chilling

My beautiful ANNABEL LEE;

So that her highborn kinsmen came

And bore her away from me,

To shut her up in a sepulchre

In this kingdom by the sea.


The angels, not half so happy in heaven,

Went envying her and me --

Yes! -- that was the reason ( as all men know,

In this kingdom by the sea )

That the wind came out of the cloud by night,

Chilling and killing my ANNABEL LEE.


But our love it was stronger by far than the love

Of those who were older than we --

Of many far wiser than we --

And neither the angels in heaven above,

Nor the demons down under the sea,

Can ever dissever my soul from the soul

Of the beautiful ANNABEL LEE:


For the moon never beams, without bringing me dreams

Of the beautiful ANNABEL LEE:

And the stars never rise, but I feel the bright eyes

Of the beautiful ANNABEL LEE:

And so, all the night-tide, I lie down by the side

Of my darling -- my darling -- my life and my bride,

In the sepulchre there by the sea --

In her tomb by the sounding sea.




アナベル・リイ (西川明美訳)


その上(かみ)の事

  海沿いの王国に

アナベル・リイと言う名で知られた

  乙女が住んでいた

そして、此の乙女

  私と恋し合う以外、何の余念もなかつた


海沿いの此の王国で

  私も童子、乙女も童子

しかし、私と私のアナベル・リイとは

  恋以上の恋で恋しあつていた

(あま)の上(かみ)の至上天使すらも

  乙女と私とを羨むほどに


海沿いの此の王国で

  その上(かみ) 雲より一陣の風吹いて

吾が美わしのアナベル・リイを冷やしたのは

  まさに此の為であつた

それ故に、乙女の高貴の同胞(はらから)訪い来たりて

  乙女を私のもとから拉致(らち)し去り

海沿いの此の王国で

  乙女を奥津城(おくつき)に葬ってしまつた


(あま)の上(かみ)にあつて半分も幸福でなかつた天使達は

  乙女と私とをねたんで去つて行つた

さよう! まさに此の為であつた(海沿いの

  此の王国で誰もが知つている事だが)

夜に、雲より風の吹き来りて

  吾がアナベル・リイを冷やし殺したのは


しかし私たちの恋は

  大人の恋よりも

  賢き人の恋よりも はるかに強かつた

天上はるかに住む天使よりも

  海の底に住める悪魔すらも

美わしのアナベル・リイの魂から

  私の魂をはなし得なかつたほどに


と言うのは、月の輝けば

  美わしのアナベル・リイの夢の中に私が入り

星のまたたけば

  美わしのアナベル・リイの明眸(ひとみ)に私が映る故

そして夜毎に私は 吾が愛しの

吾が愛しの 生命と共に花嫁の傍に眠る

  海沿いの奥津城の中に

  海沿いの墓の中に




アナベル・リイ (福永武彦訳)

今は多くの年を経た、
  海のほとりの或る王国に、
一人の少女が住んでいてその名を
  アナベル・リイと呼ばれていた。ーー
そしてこの少女、心の想いはただ私を愛し、
  愛されること、この私に。

彼女は子供だった、私は子供だった、
  海のほとりのこの王国で、
それでも私らは愛し合った、愛よりももっと大きな愛でーー
  私と、そして私のアナベル・リイとはーー
天に住む翼の生えた熾天使たちも私らから
  偸(ぬす)みたくなるほどの愛をもって。

そしてこれがそのわけだった、遠いむかし、
  海のほとりのこの王国で、
雲間を吹きおろす一陣の風が夜の間に
  私のアナベル・リイを凍らせたのは。
そのために身分の高い彼女の一族が駆けつけて
  彼女を私から連れ去った、
彼女を墓のなかに閉じこめるために、
  海のほとりのこの王国で。

天使らは天国で私らの半ばも幸福ではなく
  彼女と私とをそねんでいた。ーー
そうだった! ーーそれがわけだった(誰も知るように、
  海のほとりのこの王国で)
雲間を吹きおろす一陣の風が凍らせて、
  私の美しいアナベル・リイを殺したのは。

しかし私らの愛ははるかにもっと強かった、
  私らより齢(よわい)を重ねた人たちの愛よりもーー
  私らよりはるかに賢い人たちの愛よりもーー
そしていと高い天国にいます天使らの一人とて、
  また海の底深く住む悪霊どもの一人とて、
決して私の魂を引き離すことはできはしない、
  かの美しいアナベル・リイの魂から。ーー

なぜならば月の光はかならず私にもたらしてくれる、
  かの美しいアナベル・リイの夢を。
そして満天の星ののぼる時、私はかならず見る、
  かの美しいアナベル・リイのきらめく眼を。
このように、夜もすがら、私は憩う、その傍らに、
わが愛するーーわが愛するーーわが命、わが花嫁の、
  海のほとりの彼女の墓に、
  鳴りひびく海のほとり、その墓に。




大作『The Raven(大鴉)』を暗誦する

 41行の『ANNABEL LEE(アナベル・リー)』を暗誦し終えたのが、6月、そして、それに自信を得て、ついに108行の大作 (32) 『The Raven(大鴉)』に挑戦、それを征服したのは、2009年の8月末であった。

 私はすでに自分の記憶力の容量にも限界があることはわかっていた。ランボーの『酔っぱらった船』以後、清岡卓行の『冬至の落日』77行を覚えたときにも、『酔っぱらった船』を含めた、それまでの11編の詩の記憶はリセットされていた。そして、今度もまた.....

 最初のときは、次を覚えればよい、と意に介さなかったが、こうして、限界が明らかになると、当初描いた、100編のアンソロジー詩集を頭の中に蓄えて、いつでもどこでも口ずさめるようにしたい、などということは、まったく叶わぬ夢となってしまった。だから、やっと覚えた108行の『The Raven(大鴉)』もまた失ってしまうのか、と思うと、この先を進む足がぴったりと止まってしまった。以降、現在に至るまでの1年半、私はずっと、入浴中に『 The Raven(大鴉)』を復唱し続けている。


 この一種の行き詰まりを感じていたのか、『 The Raven(大鴉)』の暗誦をはじめた頃から、この『詩を暗誦する』の原稿を書き始めた。そろそろ「(中間)総括」が必要だと、感じたからかもしれない。

 これまでの暗誦の過程を振り返り、そのときの心持ちを再現するためには、いったん消えた記憶を甦らせなければならない。すべてというわけにはいかないが、その時々の原稿のメイン・テーマとなった詩はもう一度暗誦しなおした。 (2) 『谷間に眠る男』、 (4) 『羊雲』、(30)『太陽(平家物語巻第7・篠原合戦より)』、 (8) 『唄・一九六一』、 が、それである。途中、谷川雁の (33) 『革命』と吉本隆明の (35) 『涙が涸れる』が付け加わったが、それらの暗誦作業と同時に、『 The Raven(大鴉)』の入浴中の復唱は絶やさなかった。せっかく覚えたものを忘れてなるものか、ということである。

 さすが、『 The Raven(大鴉)』は世界的に有名な詩だけあって、ネット上にもその朗読の音声データはたくさんあった。また、1連6行ずつをいろいろな18人のひとがそれぞれのスタイルで暗誦しているという動画もあった。英語の聞き取りは苦手な私だったが、やはり暗誦しているというのは強みで、一言一句漏らさず聞きとることができた。108行もあれば、native speaker(英語を母国語とする人)がよどみなく読んでも10分近くはかかる。アメリカ人といえども、この詩をすべて覚えて暗誦できる人ははたしてどれぐらいいるだろうか。多分そんなにはいないはずだ。それを自分はできるのだ。

 いつの間にか逆転してしまった彼我の関係に満足しつつ、ひそかな優越感に浸ったりもした。




  1. The Raven


Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
Over many a quaint and curious volume of forgotten lore,
While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,
As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.
"'Tis some visitor," I muttered, "tapping at my chamber door---
--------------- Only this, and nothing more."


Ah, distinctly I remember it was in the bleak December,
And each separate dying ember wrought its ghost upon the floor.
Eagerly I wished the morrow; --- vainly I had sought to borrow
From my books surcease of sorrow --- sorrow for the lost Lenore ---
For the rare and radiant maiden whom the angels name Lenore ---
---------------Nameless here for evermore.

And the silken sad uncertain rustling of each purple curtain
Thrilled me --- filled me with fantastic terrors never felt before;
So that now, to still the beating of my heart, I stood repeating,
"'Tis some visitor entreating entrance at my chamber door ---
Some late visitor entreating entrance at my chamber door; ---
---------------This it is, and nothing more."

Presently my soul grew stronger; hesitating then no longer,
"Sir," said I, "or Madam, truly your forgiveness I implore;
But the fact is I was napping, and so gently you came rapping,
And so faintly you came tapping, tapping at my chamber door,
That I scarce was sure I heard you"--- here I opened wide the door; ---
†---------------Darkness there, and nothing more.

Deep into that darkness peering, long I stood there wondering, fearing,
Doubting, dreaming dreams no mortal ever dared to dream before;
But the silence was unbroken, and the stillness gave no token,
And the only word there spoken was the whispered word, "Lenore?"
This I whispered, and an echo murmured back the word, "Lenore!" ---
------------------Merely this, and nothing more.

Back into the chamber turning, all my soul within me burning,
Soon again I heard a tapping somewhat louder than before.
"Surely," said I, "surely that is something at my window lattice:
Let me see, then, what thereat is, and this mystery explore ---
Let my heart be still a moment and this mystery explore; ---
------------------†'Tis the wind and nothing more."

Open here I flung the shutter, when, with many a flirt and flutter,
In there stepped a stately raven of the saintly days of yore;
Not the least obeisance made he; not a minute stopped or stayed he;
But, with mien of lord or lady, perched above my chamber door ---
Perched upon a bust of Pallas just above my chamber door ---
------------------Perched, and sat, and nothing more.

Then this ebony bird beguiling my sad fancy into smiling,
By the grave and stern decorum of the countenance it wore.
"Though thy crest be shorn and shaven, thou," I said, "art sure no craven,
Ghastly grim and ancient raven wandering from the Nightly shore ---
Tell me what thy lordly name is on the Night's Plutonian shore!"
------------------Quoth the Raven, "Nevermore."

Much I marveled this ungainly fowl to hear discourse so plainly,
Though its answer little meaning?\ little relevancy bore;
For we cannot help agreeing that no living human being
Ever yet was blest with seeing bird above his chamber door ---
Bird or beast upon the sculptured bust above his chamber door,
------------------With such name as "Nevermore."

But the raven, sitting lonely on the placid bust, spoke only
That one word, as if his soul in that one word he did outpour.
Nothing further then he uttered?\ not a feather then he fluttered ---
Till I scarcely more than muttered, "other friends have flown before ---
On the morrow he will leave me, as my hopes have flown before."
------------------Then the bird said, "Nevermore."

Startled at the stillness broken by reply so aptly spoken,
"Doubtless," said I, "what it utters is its only stock and store,
Caught from some unhappy master whom unmerciful Disaster
Followed fast and followed faster till his songs one burden bore ---
Till the dirges of his Hope that melancholy burden bore
------------------Of 'Never --- nevermore'."

But the Raven still beguiling all my sad soul into smiling,
Straight I wheeled a cushioned seat in front of bird, and bust and door;
Then upon the velvet sinking, I betook myself to linking
Fancy unto fancy, thinking what this ominous bird of yore ---
What this grim, ungainly, ghastly, gaunt and ominous bird of yore
------------------Meant in croaking "Nevermore."

This I sat engaged in guessing, but no syllable expressing
To the fowl whose fiery eyes now burned into my bosom's core;
This and more I sat divining, with my head at ease reclining
On the cushion's velvet lining that the lamplight gloated o'er,
But whose velvet violet lining with the lamplight gloating o'er,
------------------She shall press, ah, nevermore!

Then methought the air grew denser, perfumed from an unseen censer
Swung by Seraphim whose footfalls tinkled on the tufted floor.
"Wretch," I cried, "thy God hath lent thee - by these angels he hath sent thee
Respite --- respite and nepenthe, from thy memories of Lenore
Quaff, oh quaff this kind nepenthe and forget this lost Lenore!"
------------------Quoth the Raven, "Nevermore."

"Prophet!" said I, "thing of evil! --- prophet still, if bird or devil! ---
Whether Tempter sent, or whether tempest tossed thee here ashore,
Desolate yet all undaunted, on this desert land enchanted ---
On this home by horror haunted--- tell me truly, I implore ---
Is there - is there balm in Gilead? --- tell me --- tell me, I implore!"
------------------Quoth the Raven, "Nevermore."

"Prophet!" said I, "thing of evil - prophet still, if bird or devil!
By that Heaven that bends above us - by that God we both adore -
Tell this soul with sorrow laden if, within the distant Aidenn,
It shall clasp a sainted maiden whom the angels name Lenore -
Clasp a rare and radiant maiden whom the angels name Lenore."
------------------Quoth the Raven, "Nevermore."

"Be that word our sign in parting, bird or fiend," I shrieked, upstarting ---
"Get thee back into the tempest and the Night's Plutonian shore!
Leave no black plume as a token of that lie thy soul hath spoken!
Leave my loneliness unbroken!--- quit the bust above my door!
Take thy beak from out my heart, and take thy form from off my door!"
------------------Quoth the Raven, "Nevermore."

And the Raven, never flitting, still is sitting, still is sitting
On the pallid bust of Pallas just above my chamber door;
And his eyes have all the seeming of a demon's that is dreaming,
And the lamplight o'er him streaming throws his shadow on the floor;
And my soul from out that shadow that lies floating on the floor
------------------Shall be lifted --- nevermore!



ポーの『構成の原理(The Philosophy of Composition)』


 また、『構成の原理( The Philosophy of Composition)』もはじめて読んでみた。

 これは、ポーが自作の『The Raven(大鴉)』の作成過程を詳細に解説して、その「創作の秘密」を明らかにしていることで有名な文章である。私は、『 The Raven(大鴉)』とは長らく無縁であったので、これまで読むのをずっと憚ってきたのだが、今や、やっと読む資格を得たのだ。

 これによると、詩人というのは一般に、我を忘れた熱狂的な精神状態のなかで「霊感」を得てその詩が生まれた、と思わせたがるものだが、実際はそうではなく、そのような「直観」や「偶然」には左右されない、まさに数学的とでもいえるような緻密な計算がある、というのである。

 まずその長さ。どんな文学作品でも長すぎて一気に読み切れないならば、「印象の統一」という大きな「効果」を失ってしまう。詩が詩であるのは、魂を高揚させ、激しく興奮させるからに他ならないが、そういう興奮は心理的にもそう長くは続かない。しかしある程度の効果を得るには長さも必要で、その結果、100行程度が、いちばん適当なのだそうだ。(そういえば、ランボーの『酔っぱらった船』も100行であった)

 次に、読者の魂をもっとも高揚させ、興奮させるものは何かといえば、それは「美」である。そしてその「美」を最高に際立てる〈調子(tone)〉は「悲しみ」すなわち「憂愁」であって、人がもっとも「憂愁」を感じるのはおそらく「死」だ。その「死」と「美」が結びつくと「美しい人物の死」というもっとも詩的な主題が浮かび上がってくる。そしてその主題は、恋人と死別した男の口から語られるのがもっともふさわしい。

 こうしてできあがった「詩の基調」を盛り上げていくのに必要なのは、「繰り返し」のことば(refrain)である。ふつう「繰り返し」は、音声とその中身(意味)の両方が同時に繰り返されて盛り上げていくのだが、ややもすれば単調に陥ってしまいがちである。そこで、音声は変えずに、その中身を次々と変化させていく、つまり同じことばを次々と変化していく状況の中で繰り返すと、より斬新な効果が得られるだろう。そのとき「繰り返し」が長いことばであれば、その意味も大きくなって、それを次々違った状況で用いていくのは不可能になっていくので、「繰り返し」は1語でなければならない、それも、響きがよくて、長く伸ばして「強勢」をおけることばでなければならない。そして選ばれたのが、Nevermore、であった。

 でもこのNevermoreが何度も何度も繰り返されるためには、それが不自然にならないような「口実」が必要である。Nevermoreがもっともらしく繰り返される「理由」を見つけるのは困難だったが、やがてそれが、Nevermore、と繰り返す人間の動作の「単調さ」と、その人間が内面に抱える「複雑さ」が両立しないためだとわかった。それでは、Nevermoreと繰り返すことはできるが、複雑な「理性」など持たない存在、例えば、オウムに言わせたらどうだろうか、であれば、オウムよりももっと不吉な陰影を持つ大鴉(raven)の方がいいだろう、ということになる。

 こうしてお膳立てが出揃ったところで、恋人の死を嘆き悲しむ男の「ひとりごと」のような問いに対して、大鴉(raven)が唯一しゃべれる言葉の「Nevermore」を繰り返して「応える」という骨組みができあがった。そして最初は平凡だったその男の問いかけが、だんだんと深刻なものに変化していくにつれて、男は度重なる反復のうちに、この鳥が不吉な鳥だということを思い合わせて、もともとそんな「迷信」には無頓着だったのに、ついにはその「迷信」の虜になってしまって、思いがけない半ば狂ったような問いを発するに至る、という「ストーリー」ができあがる.....


 ポーの論考はまだまだ続くが、それにしても見事なものである。でも、「構成」の経緯はわかったとしても、その骨組みのあいだを埋めて行く、あの見事に韻を踏んだ「詩のことば」がいかにして紡ぎ出されたのか、というところはわからない。

 また、ポーのいろんな作品に繰り返しあらわれる、この「恋人(妻)の死を嘆き悲しむ男」という「主題」は、この論考によれば、計算ずくで選んだものということになっているが、あの薄幸の妻バージニア・クレムをモデルにしたものではなかったのか。

 もしかすると私たちは、ポーのこの『構成の原理』をいわゆる「詩論」として読んではいけないのかもしれない。これは、彼がたくさん書いた「ものがたり」、例えば、『メールストローム』のような作品と同じような読み方をしなければならないのではないだろうか。

 『メールストローム』では、船ごと大渦潮に呑まれた主人公が、くるくると渦巻きながら落下していく船の中から周りのものを観察し、大きいものよりも小さいものが、また、同じ大きさでも、円筒形の方が落ちるのが遅い、ということを瞬時に看破して、傍にあった樽に自分を縛りつけて海中に身を投じて助かった、という話がいかにも「もっともらしく」語られているが、これに似た「もっともらしさ」がこの『構成の原理』にも感じられる。ただ、それは、本当かしら、とつい疑いの目を向けてみたくなるような類いのものではなくて、「さもありなん」と納得しつつも、自分でそれを試してみようとは思わない、なぜかといえば、それは自分とは次元の違う「ものがたり」の世界だから、といったものではないだろうか。

 だから私たちは、『構成の原理』を参考にして、詩を書くことはできないが、でも、あのポーならば、たしかにそうやって、つまり、興に乗って一句浮かぶ、のではなくて、紙の上に何やらわけのわからない図形や表や計算式をいっぱい書きながら、詩のことばをひねり出していたに違いない、それにあのバージニア・クレムにしても、彼女が彼の作品を生む契機になったのではなくて、まず彼の作品があって、その結果として、薄幸の幼な妻バージニア・クレムが生まれたのではないだろうか、とさえ読者に思わせる余地を与えている。というのもポーの深謀遠慮なる「計算」の範囲内のことであろうか。


 さてとにかく、こうして、覚え直したいくつかの詩が何度も忘却のなかに消えていっても、『 The Raven(大鴉)』は私の中に残りつづけた。でも毎日毎日、浴槽の中で唱える作品がこの詩だけであればさすがに飽きてくる。ちょうど、この原稿が『酔っぱらった船』のところにかかってきたので、すっかり忘れてしまっていた『酔っぱらった船』をもういちど覚え直すことにした。最初の時の3ヶ月までは行かなかったが、1ヶ月以上はかかった。

 そしてそのあと、『ANNABEL LEE(アナベル・リー)』を覚え直した。これで現在、私が自分の「暗誦詩集」として保持しているのは、この3編、合計249行のみである。これが、量的に多いか少ないか、それは考え方だろうが、暗誦をはじめて3年8ヶ月、一応の「中間総括」もこれでできたとして、これまでのことはあまり考えず、また新しい作品に挑戦していこうと思う。

 それにしてもこの間、つくづく凄いと思ったのは、〈歌手〉という仕事の人たちである。私はもはや、歌がうまいから〈歌手〉だ、などとは思わなくなった。彼(女)らは、まずその前に、歌の歌詞をすべて覚えていて、それをみんなの前で何も見ずに堂々と歌えるから、〈歌手〉なのである。いくら歌がうまくても、歌詞を見ながらのカラオケでしか歌えないなら、それはプロの〈歌手〉とはいえないだろう。

 例えば、あの石原裕次郎はいい声をしていて、歌もうまく、レコードは次々とヒットしていたが、自分は俳優が本業で、歌は素人だからといって、「紅白歌合戦」出場は辞退しつづけたそうだ。事実、彼は歌詞を見ないで歌える自分の歌は数曲しかなくて、テレビ番組でたまに歌うときには、カメラのうしろにかならず歌詞を大書した紙が掲げられていたという証言もある。

 それに対して、美空ひばりなどは、レコーディングした歌だけでも1000曲以上あり、他人の歌も結構覚えていたというそうだが、それらを自由自在に自分の中から引き出して、いつでもどこでも、みんなの前で披露することができるとするならば、まさにそれは、それだけでも凄い才能だといわざるをえない。ささやかな「暗誦詩集」という夢でさえ、無残にも藻くずとなってしまった私から見れば.....  

(完)                                    



自註: 本文中にもあったように、いったん終了、新たな気持ちで、暗誦を再開するということである。新しい暗誦がたまったら、この続きが書けるかもしれない。

(2011.3.29)


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