アトランタ4





アトランタの教訓 (4)




「するスポーツ」と「観るスポーツ」


 我々が「スポーツ」という時、それは何を意味しているだろうか。


 例えば「ぼくは野球が好きだ」という時、ふつう野球を「する」のが好きだということを指しているのかもしれないが、それ以外に、野球を「観る」のが好きだ、という意味もあるはずである。つまり、ひとくちに「スポーツの楽しさ」といっても、スポーツを「する楽しさ」とスポーツを「観る楽しさ」の2つがあるということである。これを、スポーツをする側からいえば、スポーツには「自分でして楽しむスポーツ」と「他人に観せて楽しませるスポーツ」の2種類があるということになる。仮に前者を「健康スポーツ」、後者を「競技スポーツ」と命名すれば、大学のサークルでやっているのは「健康スポーツ」で、大学の体育会でやっているのが「競技スポーツ」ということになる。


 おそらくスポーツの本来の姿は「して楽しむもの」である。では、我々がそのスポーツを「観たい」と思うのはいったいどういうときであろうか。
 その場合を思いつくままに列挙してみると、


  (1) 自分がしているスポーツの技術的な参考にしたいとき 
  (2) 自分の知っている人間がそのゲームに出場しているとき
  (3) 常人では不可能な卓越した技量が見たいとき


などが挙げられるだろう。


 (1) は、例えば、学校でバスケットボール部に入っている生徒が国体やインターハイのバスケットの試合を観戦したりする、などがその典型である。また、衛星放送でNBAのプロバスケットを観たりする時でも、レベルが違いすぎて「技術的な参考」にはならないとしても、自分もやっているということで選手とそれだけ「一体化」しやすいために人一倍おもしろいであろう。


 (2) は、自分の子供が出ている運動会は文句なしにおもしろいという類いである。つまり、家族、親戚、知人、同級生や出身校の後輩たち、あるいは同郷の者が出場しているゲームにはそれだけ「一体化」しやすいということである。甲子園野球や、オリンピックで日本選手を応援したりするのもこの延長かもしれない。


 (3) は、完成された素晴らしいプレーは無条件に人間を感動させる、というものである。例えば、ワールドカップのサッカーやウィンブルドンのテニスなど、世界のトップクラスのゲームは、その動き、リズム、スピードなど、どれをとっても無駄なところはほとんどなく、まさに「美」そのものであって、ルールも知らない人間が初めて観ても十分に魅了される、いわば「芸術的感動」に近いものを持っているといえるだろう。


 実際には、「スポーツを観る楽しみ」にはこれらの要素がいくつも混ざり合っている。例えば、(3) で、初めてその競技を観てその中のスーパープレーに魅了された人が、次に観たときにその選手を憶えていて、前のあのプレーを思い出し、懐かしくなってつい観る目にも力が入る、というときには、そこに (2) の要素が付け加わってきたことになる。そしてそれが積み重なれば、今度はその選手を観るために競技場へ足を運ぶということになって、このようにして「ファン」というものが生まれていくのであろう。つまり、スポーツは自分でしなくても、観ているだけでも十分に楽しいものでもある。そして、そういう場合、我々は映画や演劇を観ているのと同じようにスポーツを観ているといえるのではないだろうか。まさに文字通り、「スポーツとは筋書きのないドラマ」であり、我々は卓越した肉体と技術が一定のルールに則って激突する瞬間に生まれる偶然のドラマを楽しんでいるのである。


 「勝つことよりも参加すること」というスローガンに代表される近代オリンピックの理念は、多分、我々が日常的に行う「健康スポーツ」の中の代表選手が集まり、スポーツを通じて交流し、友情を育み、温め合うというものであっただろう。現在の身体障害者の「パラリンピック」がそうであるように、そこにあるスポーツには「する」という要素はあっても、「観せる」という要素はなかった、あるいは想定されていなかったであろう。しかし現実には、たくさんの観客がお金を払ってオリンピックの競技を観に来ている。言い換えると、お金を払ってでも観るに値するものがそこにあるということだ。



スポーツが生み出す経済効果


 オリンピックに限らず、一流スポーツ選手のもつ経済効果(集客力)には目覚ましいものがある。例えば、プロ野球、オリックス・ブルーウェーブの
イチローなどその最たるものであろう。


 阪急ブレーブスを買収して1989年からスタートしたオリックスは、常にリーグの上位を占める強いチームであったが、ブレーブス以来の地味なチームカラーが災いしてか、その人気は今ひとつ伸び悩んでいた。ところが94年、鈴木一朗改め「イチロー」が彗星のごとく登場してからは様相がガラリと変わった。空席がちであった神戸グリーンスタジアムが常時満員となったのである。


 本格デビュー1年目で年間安打数210本の日本新記録をつくったそのシュアーな打撃だけでなく、イチローには俊足を生かした走塁、広い守備範囲、強肩によるバックホーム、それに試合前の練習中にみせる「背面キャッチ」にいたるまで、そのプレイの一挙手一投足すべてが魅力に富んだものであったから、それを実際に観てみたいと、大勢の観客が詰めかけるのも当然のことであろう。イチローひとりの人気でオリックスのゲームの観客は少なく見積もっても1試合1万人は増えているといえるだろう。とすると、入場料が1人平均1,500 円としてもそれだけで1,500万円、球団主催ゲームが67試合だから年間約10億円の増収である。(経済効果としては相手球団主催ゲームにも貢献しているのでこの2倍ということになるし、さらに入場料収入に匹敵する売店収入もそこに加算しなければならない。)だから、イチローは弱冠24才にしてすでに3億円を超える年俸を貰っているといわれているが、彼が稼ぎ出す数字からいえば、それでもまだまだ安いということになる。


 また人間はうれしいことがあればつい財布の紐をゆるめるものである。とにかくお金が動けば経済は活発化する。阪神タイガースが久しぶりに優勝したり、日本のサッカーチームが初めてワールドカップに出場したりすることなどによって数千億円もの経済効果が生まれることもあるというのであるから、見世物としてのスポーツも莫迦には出来ない。そして「体育会」的なクラブ活動の効用もこの延長線上にあると考えてよいだろう。




アマチュアの「競技スポーツ」の効用


 学校における「体育会」的なクラブ活動が目指すものは「競技スポーツ」すなわち「観せるスポーツ」である。といっても当の部員やその指導者にはその意識はないかもしれない。しかし、そのクラブが強くなり全国レベルぐらいにまで達すればマスコミなどにも報道されるだろう。そのクラブの競技力が一般の人々にとっても十分に鑑賞に値するレベルにまで達したからである。そしてその結果は学校の知名度を高める宣伝効果となって母校に還元されてくる。それは当の部員たちの誇りとなるだけでなく、その学校に在校する全ての生徒、学校関係者、卒業生たちの誇りともなって学校全体の意気を大いに盛り上げる効果を持つであろう。


 現に我々の多くが、例えば全国の大学の中で最初にその名前を憶えたのはスポーツを通じてではなかっただろうか。早稲田、慶応しかり、関・関・同・立しかり、いずれもスポーツの面でも伝統校で、多数の名選手をスポーツの世界に送り出してきた。もちろんこれらの大学はスポーツでのみ秀でているわけではなく、他にいくつも素晴らしいものを持っていて、実際にはそれらがその大学の真の人気の源泉となっているのであろうが、外部からはなかなか見えにくいそうした美点への大きな窓口として、スポーツで培った知名度が大いに貢献していることは否定できない。最近では、野球の
東北福祉大学、駅伝の山梨学院大学神奈川大学などが、スポーツによって急速にイメージアップした例としてすぐに浮かんでくる。


 企業にしても同様である。例えば
神戸製鋼は7年連続日本一を果たし、つい最近まで日本のラグビー界の頂点に君臨してきたので、鉄鋼業界の大手の中では下位であるという実態以上の企業イメージを獲得していたであろう。またその逆に、東芝、三洋電機、トヨタ自動車などはその間、神戸製鋼にどうしても勝てなかったがために、神戸製鋼以上の日本を代表する大企業であるにもかかわらず、少なくとも新聞のスポーツ面では長らくその後塵を拝せざるを得なかった。世の中にはスポーツ面しか読まない人間も少なくないので、この影響は想像以上のものがあるかもしれない。私自身も、ある年齢に達するまでは、パ・リーグで「万年最下位」であった近鉄が関西の「私鉄王」であるなどとは夢にも思わなかったし、東大や京大は、大学野球でいつも大敗している桁外れに弱い大学でしかなかった。


 企業が自社のスポーツクラブをどう位置づけ、その部員をどのように待遇しているのかについては詳らかではないが、以上のような事情を考慮に入れれば、その強化は重要なことである。これまでは厳しい「アマチュア規定」のためにいろいろな制限もあっただろうが、最近はそれも大幅に緩和され、またプロ選手の参加も認めるという「オープン化」がどの競技でも常識になってきているので、日本の企業スポーツも急速に変わっていくだろう。採算面もあって全面的なプロ化は難しいとしても、個人のプロ選手を契約社員として雇う方式はすでに存在している。環境がもっと整えば、今後そういうケースが増えていくことであろう。



「体育会」的なクラブが敬遠される理由

 高校においても「体育会」的なクラブが同様の効果を生み出していることは、野球やサッカー、バレー、バスケットなど人気スポーツにおいて顕著である。しかし一方では、生徒がそのようなクラブに入ろうとするときにそれを躊躇させるものがあることも確かである。その理由をいくつか挙げてみよう。


 (a) 練習内容がきついので体力的、技術的についていけない。
 (b) 練習時間が長くて自分の時間が持てず、場合によっては勉学に支障をきたす場合もある。

 (c) クラブ内の上下関係の厳しさがいやだ。


 (a) については、「体育会」的なクラブは「競技スポーツ」すなわち「観せるスポーツ」を目的としているというその基本的な性格に基づいている。つまり、そこで暗黙に求められているのは、そのスポーツをやりたい、して楽しみたいという気持ちよりも、そのスポーツの技量や素質だといえるからである。まず強いチームをつくるというのが第一なので、初心者や下手な者は正直なところあまり歓迎されないだろうし、もし入部できたとしても活躍の場はあまり巡ってこず、最後まで下積みでいなければならない可能性が強い。しかし、そのクラブでやっているのは「して楽しむスポーツ」ではなくて「観せて楽しませるスポーツ」であり、また、学校を代表して他校と闘い、それに勝って全校の意気をあげるのを使命としているのだから、それも当然のことかもしれない。その結果、練習は厳しいものとなり、そのスポーツは部員にとって楽しいものではなく、辛いものとなることも多いであろう。


 (b) については、放課後遅くまで練習するため、帰りが毎日9時、10時になる、とか、日曜・祝日も試合や練習が入っていて、1年間で休めるのは盆と正月だけ、など、そのクラブに入れば自分の全ての生活をそのクラブに捧げなければならない、という話をよく聞く。これはその競技に強い学校ほど著しく、大学ではクラブの合宿所に入って100%「クラブ漬け」になることも多く、なかには大学の校舎がどこにあるのかも知らずに卒業?していく野球部員もいたということは、昨年の文化祭での
田尾安志氏の講演のなかにもあった。これらはすべて極端な例だとしても、「体育会」的なクラブの究極的な姿がそこにある、即ち、強くなるにはそこまでしなければならない、と思わせるだけで「一般生徒」の入部の気持ちをぐらつかせるには十分であろう。


 (c) は、自分の「生活」だけではなく「人格」までもクラブに捧げなければならないということに対する嫌悪感であろう。「1年ゴミ、2年は奴隷、3年で人間、4年は天皇」とか、かつて人気コミック
『嗚呼、花の応援団』で徹底的に戯画化された「年功序列による上下関係」が私生活の隅々にまで侵入してくるとすれば、それには耐えられないと思う者も多いであろう。しかし、このようにして固められた秩序と団結があってはじめて、(a) や (b) の厳しさが維持されるのかもしれない。


 そしてまた、この「上下関係」は「体育会」的なクラブの持つ大きな美点だともされている。目上の者に対する口の聞き方も知らない若者が増えている現状では、上下のきちんとしたケジメを仕込んでくれるのはありがたいだろうし、集団生活のなかで身についた「気配り」の術なども社会に出てすぐに役に立つと、世間の評価は高い。そういえば、近頃テレビのバラエティー番組の出演者などで「体育会的ノリ」を売り物にするタレントも目につく。といっても「豪快」とか「質実剛健」といったイメージではなく、「社交的で、気配りができ、座持ちがよくて、その場を盛り上げるのがうまい」ということだそうである。バレーボール出身の
川合俊一などが代表格だが、大相撲のかつての朝潮(現若松親方)のインタビューに対するてきぱきして人をそらさない応対ぶりなどもそのへんの実業家顔負けで、これも体育会的人格のひとつの典型といえるのかもしれない。


 しかしこういう効用は本筋からはずれたものであり、肝心の技量向上の面では「体育会」的なクラブのこういう体質ははたして役に立っているのだろうか。言い換えれば、「競技スポーツ」をやるにはこのような方法しかないものだろうか。こういった点について、私自身は現場に疎いので、いろいろなところで読んだり、聴いたりしたことを参考にしながら考えてみたいと思う。



ジョナ・ロムーの絶句

 1年前のスポーツグラフィック誌『ナンバー 412号』(1997.2.27)に、ニュージーランド・オールブラックスのWTBとしてW杯ラグビーで大活躍したジョナ・ロムーと、日本のエース・ウィング吉田義人(秋田工ー明治大ー伊勢丹)の対談が掲載されている。ラガーマンとしての実力をお互いに認め合っているこの2人は、自分たちのラグビーやトレーニングについて意気投合しながら和気あいあいと語り合っているのだが、その中で一箇所、両者の考えが齟齬をきたす場面があった。


 それは対談の導入部分で、92年にニュージーランドで行われたオールブラックスと「世界選抜」の試合で世界選抜の一員だった吉田が決めた伝説的なダイビング・トライを、16歳のロムーがスタンドで観戦していて大興奮した、というエピソードが紹介された直後の次のようなやりとりである。



吉田「16歳っていうと高校生ですね。僕が秋田工にいた頃は、毎日練習して、夏の合宿では午前と午後あわせて1日7時間くらい練習してましたね。NZではどうですか?」


ロムー「7時間 !?  それは信じられない。僕が経験した中で一番長かった練習は3時間でした。理想は2時間以内だと思いますね。」


 得々と語る吉田の口から出た「1日7時間」という言葉に思わず絶句するロムー。相手の思いがけない反応に当惑を隠せない(?)吉田。両者のその瞬間の表情が目に見えるようであるが、このハプニング的なやりとりの中にこの二人のナマの姿と彼らが背負っている両国のスポーツ文化の違いが滲み出ているような気がする。


 「こんなにたくさん練習している我々が他のチームに負けるはずがない」という〈自己暗示〉が日本的「猛練習」の根拠としてあるようだ。確かにそれはそれで効果的だろうが、それだけに終わってしまえば勿体ない。ここで前々号にA氏から提起された、「練習」を Exercise(技術の習得)と Training(体力・筋力の鍛練)に分けて考える視点が必要になってくるだろう。


 例えば、ロムーの練習スケジュールは本人によると次のようなものである。


 朝5時起床。勤務先(銀行)のそばの練習場へ車で行き、ウォームアップとストレッチのあと、6時半から約1時間半、スピードワークと敏捷性を高めるトレーニングをする。9時から4時半まで働いて、練習は6時から。月・水・金がチーム練習だが、土曜が試合なので金曜は軽め。練習は試合のさまざまな場面でどのように役割を果たすかをイメージしながら、短い時間でシャープに行う。フィットネス=Training(体力・筋力の鍛練)は個人でやるべきことだからチームで集まった時にはしない。火曜と木曜には自分に必要なものを考えて自主的なメニューを作ってやっている。日曜は完全休養日で、土曜の試合で痛んだ体を回復させるためにプールに行ったりする日に当てている。


 一方、吉田のスケジュールも似たようなものだが、日本では日曜に試合をすることが多いので土曜日も練習するとのこと。日本でも社会人ともなればそれまでに十分な経験を積んでいるし、また練習時間も限られているので、メンバーが集まってする練習はExercise(技術の習得)が中心のようだ。でも、吉田の高校時代の1日7時間の練習の中身はどんなものだったのだろうか。Exercise(技術の習得)ばかりでは、ロムーも言っているように集中力が続くはずがないので、Training(体力・筋力の鍛練)の部分もかなりあったのであろう。しかし、はたしてそれが必要な「体力・筋力の鍛練」と意識して行われていたであろうか。




ささやかな体験談


 もう35年以上も昔のことであるが、私自身、高校時代、2年間ほど運動クラブに入っていたことがある。種目は卓球。当時は「卓球ニッポン」の勢いがまだ残っていた時分で、日本では人気スポーツのひとつであった。町のあちこちには私営の卓球場が営業していて、ラケットとピン球を借りて狭いところに並べられた卓球台でよく遊んだものである。いまでも観光地のホテルのゲームコーナーには卓球台が1台ぐらい置いてあるが、ちょうどそういう雰囲気であった。卓球は場所を取らずに「手軽に」できるスポーツということで、まだ経済的に貧しかった日本ではちょうど手頃な大衆的なスポーツと考えられていたのだ。(のちに日本に取って代って世界一になった中国が、国を挙げて推進するスポーツとして卓球を選んだのもその経済性のためだったようだ。)こうした環境にあって、たいていの者はラケットを握ったことがあり、その割には卓球部のない中学校が多かったこともあって、高校の卓球部は新入生には大人気で、毎年4月には50名近く入部者がいたと思う。


 私の高校はスポーツではまったく無名で、なかでも卓球部はマイナーな存在だったが、練習はそれなりにきちんとしていた。指導してくれる顧問教官はいなかったが、そのかわりにちょうど浪人中の先輩が2人、交代で週に3回ほど来校し、私たちの指導に当たってくれた。しかし、彼らは希望に燃えた私たち新入部員にとっては鬼のような存在であった。


 すぐにでもラケットを握り、町の卓球場で鍛えた(?)腕前を磨きたいとうずうずしていた私たちは全員、卓球台のある体育館ではなく、高校の向かいにあった公園に集められた。そしてまず、2キロほどランニングしてから、腕立て伏せ、腹筋運動、ダッシュ練習などでフラフラになるまで絞られたのである。そのあとラケットの素振りを何百回とやり、まだ時間があれば、体育館に戻って、上級生たちが台を使って練習している後ろで球拾いをする、ということが毎日続いた。1学期の間はほとんど台に立って球を打つということはさせてもらえなかったと思う。


 運動部なんだから、身体を鍛えるのだから、まず基礎体力をつけなければならないのは当然ではないかと頭では理解していても、来る日も来る日も基礎練習ばかりで、時には厳しい先輩にしごかれてヘドが出ることもあったりすると、さすがに嫌気が指す者が続出してくる。そして夏休みになる頃には、はじめの50人は10人を割っていた。


 卓球は決して「手軽な」スポーツではない。私たち新入部員の、町の卓球場仕込みの腕前は全く通用しなかった。最後の球拾いの時、たまに台が空いていれば、上級生が相手になって球を打たせてもらえることもあった。そしてその時、私たちはつくづく自分の腕前の未熟さを思い知らされたのである。要するに自分が打った球が全然相手のコートに入らないのだ。


 軽いピン球をネットを超えて相手の狭いコートに打ち込むには、ピン球に下向きのドライブ回転を掛けなければ打球は全てコートをオーバーしてしまう。そしてそういう回転の掛かった打球はコートに入った途端鋭い角度に急反発してくるので、それを打ち返すためには手首を返して、ラケットを打球に多いかぶせるようにしてドライブボールを打たなければならない。これは所詮、打つのではなく「当てている」だけの町の「ピンポン」の技術ではとうてい歯が立たないものであった。実は、ヘドの出るような基礎練習ではなく、「ピンポン」の癖がつきすぎて「卓球」に転換することができずに挫折した新入部員も多かったはずである。(なお、卓球部員はping-pong という言い方を嫌い、英語でいうときには table tennis というのが常だった。)だから、そのような正統派の打ち方(水平に振り抜くのではなく、その終点が額の上に来るような45度のスウィングにならねばならない。)をマスターするにはひたすら素振りをしてフォームを固めなければならないのである。


 また世界選手権に出てくるヨーロッパや中国、韓国の選手の堂々たる体格を見ても分かるとおり、卓球もまたパワースポーツである。いくら軽いピン球とはいえ、威力あるボールを打ち込むには腕の振りのスピードが求められ、そのためには鋭い反射神経やすばやいフットワークの他に、強靭な筋力も必要である。だから、フォームの固まらぬ初心者の間はボールを打たずにひたすら基礎練習に精を出し、体力と正しいフォームを身につけるのが完全に正解だったのである。


 しかしそんなことは後になって理解できることであって、その時はただもうシゴかれているという意識だけだった。数少ない卓球台には50人という新入部員は多すぎるので、とにかく「人減らし」をするためにだれもが嫌がるような「猛練習」をするのだという噂もあったが、それはなかば当たっていたようだ。というのはその時、練習をしている新入部員だけでなく、練習させている先輩や上級生でさえ、その練習の意義が分かっていたかどうか疑問だからである。つまり、1年後に「させる」立場になった私たちもそうであったように、ランニングなどの「しんどい」基礎練習は上級生になれば、(本当は技術レベルが上がればもっと必要なはずなのに)あまりしなくなってなってしまったからである。そしておそらくそれとともに、卓球の技術の上達もストップしてしまったようである。その時、それを指摘してくれるコーチや、あるいは、それを身を持って実践している先輩がいたならば、もう少し何とかなっていたかもしれないのに、と今思う。


 これは、私のいた高校の卓球部がその程度のものだったからにすぎないということかもしれない。しかし、そうでない学校の場合でも、部員一人一人が自覚していたというより、こわいコーチや先輩がいたから、しかたなく「しんどい」基礎練習を続けていたというケースは多くなかったであろうか。
 今はどうか知らないが、「ゲームに負けたらグランド10周」とか「ミスをしたら腕立て伏せ」のように、基礎練習が〈罰〉として使われていたことが多かったような気がする。とくにランニングはどんなスポーツをするにも必須の基礎練習だが、その意義が十分に伝えられないまま、ややもすれば懲罰的に使用されることが多かった。そのため「ランニングはいやなものだ」という先入観を植え付けられてしまった者も少なくない。そういう人間から見ればマラソンなど「苦行」でしかなく、それを嬉々としてやっている者など変人以外の何者でもないということになるのだが、マラソンはアマチュアスポーツのなかではもっとも人気のあるスポーツのひとつで、走ることほど楽しいものはない、という人はどんどんと増えているそうだ。


 また、懲罰的な基礎練習のなかでもとくに厳しいものとして「うさぎとび」というのがあった。かつて我々はふうふう言いながらも、足腰を鍛えるためにはしょうがないかと慰めながらその苦しさに耐えたものだが、後年、それが足腰を痛める「誤った」方法だと判って禁止されていると聞き、唖然としたものである。


 このように誤った練習方法によって、本来は楽しいはずのスポーツが苦しいものになってしまったり、身体を鍛えるためにやったことで逆に身体を壊してしまったりするならば、本当にやりきれないことである。





日本とアメリカのコーチの違い


 昨年の文化祭での
田尾安志氏の講演が予想以上におもしろかったので、それに刺激されて田尾氏が毎週月曜日の深夜に関西TVでやっている『田尾スポ』という番組をよく見るようになった。その中にゲストに立花龍司氏を迎えた回があり、それがとてもおもしろく、またこの論考にも参考になりそうなので少し詳しく紹介してみたい。


 立花龍司氏は1964年生まれ。高校時代に投手をしていたが、肩を壊して選手生活を断念、以後、ほぼ独学で科学トレーニングの理論と方法をマスターし、1989年、近鉄にトレーニングコーチとして採用された。94年、ロッテに移籍。その間、毎年シーズンオフには私費で渡米し、アメリカやキューバなどの最新のトレーニングやスポーツ医学を吸収し、それを日本に採り入れる努力を続けてきた。しかし、日本球界の「投げ込め、走り込め」一点張りの経験主義、精神主義の壁は厚く、それを乗り越えるためには「メジャーコーチ」の肩書きで箔をつけるしかないと決心し、昨年、アメリカに渡った。


 アメリカでは日本ほどの待遇は得られないし、近鉄時代からの親友、野茂英雄からも反対されたが、元ロッテ監督の
ボビー・バレンタインが監督に就任したニューヨーク・メッツにアシスタント・フィットネスコーチとして採用された。それまでテレビでしか見たことがないメジャーのスーパースターたちがはたして英語もろくに喋れない日本人の自分の言うことなど聞いてくれるだろうか、というのが一番心配だったそうだが、誠心誠意、自分の持てるものを全てぶつける仕事ぶりが選手や監督にも認められ、大いなる信頼を得て、充実したシーズンを終えた。メッツからもっと良い条件での契約更新の話もあったそうだが、自分の夢は日本の「野球」を「ベースボール」にすることだからと日本に帰国し、その後再度ロッテに入団している。


 メッツでは自分がこれまでアメリカで学んだ様々なトレーニング方法を駆使したが、意外なことにアメリカで開発された方法がアメリカではまだそんなに普及しておらず、選手たちには新鮮だったようだ。だから技術的には新しく学んだものは特になかったが、メジャーのコーチの姿勢や教え方などには大いに感ずるところがあったそうである。以下、そのさわりの部分を採録してみる。



田尾「日米のコーチの一番の違いは何ですか。」


立花「選手に考えるチャンスを与えることですね。例えばノックをしていて ショートが何度も同じミスをすると、日本ではコーチが怒鳴りつけます   ね。何をしとるんだと、選手を呼びつけて。アメリカではコーチの方が  選手に駆け寄って、その肩を抱いて、どうしたのだ、おまえ、どうして同じエラーをすると思う、って、選手に考えさせるんですよ。そして、返ってきた答えからどう展開してアドバイスしていけるかでコーチの技量が決まってきます。選手とコーチが同じ目標を持ってノックをし、ノックを受ける。だから上手くなるんですね。主役はあくまで選手でコーチはサポート役、というのが徹底しています。」


田尾「日本ではコーチと選手は先生と生徒みたいな、師弟関係になっていま すね。」


立花「アメリカでは対等、もしくはコーチの方が下といえるときもありま す。とにかく、選手が上手くなるという同じ目標を持つ仲間ですね。そして、お互い野球という好きなことをしているんだから、と、楽しむ気持ちが根底にありますね。」


田尾「そうすると、選手は引退するときは自分の力がなくなったからだと、 はっきりいえますね。あのコーチに潰された、ということを言う選手はいませんか。」


立花「ぼくはおそらく一人もいないと思いますね。俺はやるだけやって3A で止まった、と納得しているから、だから次の仕事ではがんばろうと。日本では、やめていく選手の、全部ではなくてごく一部ですが、あのコーチにさえ出会わなかったら、もっとやれた筈だ、という選手がいます。」


田尾「ほんと、ぼく自身、そういう選手を何人も見ていますからよく分かり ます。アメリカではある意味では、逃げ道をつくっていないんですね。責任は全て選手にあると。でも、これが本当のプロですよね。
 とかく日本人は体力で劣っているのを精神面でカバーしようとします ね。だから長い長い時間の練習をしたり。でも今ではどこをどうすればどこが強くなるというのが科学的に分かってきていますから、以前ほどではないと思いますが。」


立花「アメリカ人でも精神力は大事にしていますよ。でも彼らはどうすれば 自分の力が100%発揮できるか、やる気が出てくるか、に重点を置いています。それに対して、日本では試練を与えられてその苦しさにどれだけ耐えられるかという「忍耐力」ばかりです。そんなのは数ある精神力のうちの1つでしかありません。

 アメリカの野球選手はその全選手生命の総時間のうち、試合をしている時間の方が長いのです。日本では圧倒的に練習の時間の方が長い。練習でつらいことをいっぱいやって、それで試合でエラーしたのであれば仕方がない、とされます。確かに、ろくに練習もしないでエラーをするよりはずっとましですが、アメリカでは、練習をどれだけしようが、試合での結果が第一です。練習よりもどんどん試合をしていくのですから。

 例えば、ナイターの翌日がデーゲームの時でも、日本ではきっちりと練習しますが、アメリカでは、2時開始なら、0時50分集合で、1時からストレッチ体操と軽いランニングで体をほぐすだけで、バッティングも守備練習もなしにいきなり試合です。ただ、室内練習場は朝からずっと開いていますから、練習したい者は練習できるのです。日本の選手がいつも少し疲れた状態で試合に入っているのに対して、彼らはいつも試合のために余力を残しています。でないと年間160試合以上も闘えないですよ。」


田尾「日本では試合が少ないですよね。アマチュアの大会はトーナメントば かりで、負ければそれでおしまいだから、プレッシャーが凄い。もっと試合があれば、失敗してもまた次があると、もっと楽しくできるんですがね。ところで、日本のコーチはどうしてあんなに怒鳴るんですかね。」


立花「その方が楽だからでしょう。それに自分たちもそうされてきたから。 そんな日本の文化の中にいれば、アメリカのコーチは信じられないぐらい辛抱強いですね。」


田尾「いくら教えても教えてもできない、っていうのは実は当たり前なんだ と、そう思わなければコーチなんかやっていられない、ってあるコーチから聴いたことがあります。ところが、どうしてお前はこんなことができないんだ、って言ってしまうんですね、かつて一流選手だった人は。」


立花「アメリカでは選手とコーチは全く別の仕事になっています。どんな スーパースターでもいきなりメジャーのコーチや監督にはなれません。安い給料でまず1Aのコーチになり、自分でバスを運転して選手を球場まで運び、荷物を運び、バッティング・ピッチャーをして、そして試合では采配をとる。終われば、選手に日当を配り、次のホテルの手配をし、そしてまたバスを運転して、という生活を続けて実績が上がれば、2A、3Aと昇格して、やっとメジャーのコーチになるんです。」


 
 教師をしている身には実に耳の痛いことばかりであるが、それもそのはず、ここで浮き彫りにされているのはまさに「教育」の問題だからだ。
 その後、冬休みに、NHKの衛星放送で2回にわたって
野茂英雄に対する長時間インタビューの番組があった。その中で少年時代からの野球との関わりを尋ねられて、「少年野球、中学、高校を通じてとにかく練習をやらされていた。」と野茂が答えていたのが印象的だった。そしてさらに、そこから得たものもあるでしょう、と質されると、「上下関係は確かに学びましたが、あんなに厳しく教えられなくても、それは自然に身についたと思いますよ。」と答えている。


 今年になってヤクルトの吉井理人がフリーエージェント制度を利用して、メジャーに移籍した。その吉井も「日本ではいつも練習をやらされていた。」というコメントを残している。さらにダイエーにいた松永浩美や内山智之ら、日本では峠を越したと思われる選手たちや、さらには一昨年に引退した元読売の水野雄仁までも果敢にメジャーに挑戦しているという。ということは、彼らはもはや「より高い段階の野球を経験したい」という〈上昇志向〉を突き抜けて、本当はもっと楽しいはずの野球を思う存分にやってみたいという、もっと根源的な欲求に促されているのではないだろうか。となると、日本には日本のやり方があるのだ、と居直ってばかりもおられないようである。                     

(以下次号)



初出誌: 『Mini 雑想』 第4号 (1998年3月14日発行)



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