(11) 佃渡しで
佃渡しで娘がいった
〈水がきれいね 夏に行った海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥(あくた)がたまって揺れてるのがみえるだろう
ずっと昔からそうだった
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水は黒くてあまり流れない 氷雨の空の下で
おおきな下水道のようにくねっているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ堀割のあいだに
ひとつの街があり住んでいた
蟹はまだ生きていてとりに行った
沼泥に足をふみこんで泳いだ
佃渡しで娘がいった
〈あの鳥はなに?〉
〈かもめだよ〉
〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
あれは鳶(とんび)だろう
むかしもいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿膜(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞っていた
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水に囲まれた生活というのは
いつでもちょっとした砦のような感じで
夢のなかで堀割はいつもあらわれる
橋という橋は何のためにあったか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみがあれば流すためにあった
〈あれが住吉神社だ
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう〉
これからさきは娘には云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいって
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かった距離がちぢまってみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いっさんに通りすぎる