わがデジタル創世記

   ~ Macへの道 ~ (7)






「ビデオテープレコーダー」の購入

 ところで、「ビデオテープレコーダー」をはじめて購入したのは何時だったのか、今となってはよく憶えていないが、とにかく、結婚して何年か経った頃のことには違いない。古今東西のいろんな映画を収録したビデオテープを自由にレンタルできるなど、和洋の名画を盛んに漁っていた私にとっては夢みたいな話だったが、そんなことが思う存分にできるはずの「独身一人暮らし」の時代に、まったくその気配もなかったのは、不思議といえば不思議である。

 しかし、ネットでビデオの歴史を調べてみると、当初オープンリール式だったビデオテープレコーダーが発明されたのが1956年だった。とても高価だったので、放送局でしか使われず、テープもまた高価だったので、放送局でも「上書き録画」して使っていたそうで、今となっては貴重な宝物になったであろう当時の録画映像もほとんど残っていないという有り様だった。

 その後だいぶ経って、1971年に、のちのVHSより倍ほども大きい「Uマチック」というカセット式のテープが出た。そして、それが小型化して、VHSやベータとなって、やっと家庭に普及しはじめたのが1976年、私が結婚する直前のことであった。当時の「ビデオテープレコーダー(=テープデッキ)」の値段は25万円、120分の生テープが1本6000円もし、「ビデオのレンタル」もまだ始まっていなかったというのだから、いかに「独身貴族」であっても、手は出なかったのであろう。

 その後、テープデッキの値段は、1985年には10万円を切るようになり、多分、その頃に購入したのであろう。でも、そのとき買ったのは「モノラル式」で、すでにステレオ録音ができる「ハイファイ・ビデオ」も発売されていたが、かなり高くて、「家庭の許可」が出なかった。モノラルでは、洋画などの「バイリンガル放送」を体験できなかったので、口惜しい思いをしたものである。

 その後、自分の小遣いを貯めて、10年後ぐらいにやっと、「ハイファイ・ビデオ」を購入した。その頃はすでに、それが当たり前になっていて、楽しみにしていた「バイリンガル」も数回試しただけで、すぐに「お役御免」となった。

 私は、三菱電機製のテープデッキを購入したが、それは、その機種に「CMカット」という機能が付いていたからだった。これも今は当たり前になっているようだが、三菱電機のはその先駆けとなったものだった。その頃、テレビ番組の音声はたいていモノラルだったが、CMだけはすべてステレオ音声だった。そこで、ステレオ音声を感知する装置を付けて、ステレオになると録画が一時中止になるように設定すれば、ステレオのCM部分をカットして録画できる、という仕組みだった。

 その後、だんだんとステレオ音声のドラマなどが増えてきて、役に立たなくなってきたが、映画、とくに洋画の場合は、いつもバイリンガルになっていて、これはステレオと区別されていたから、それまでどおり、CMカットを活用することができた。

 ところで、このレコーダーを買った当初、その仕組みを、例の、私の「Mac案内人」だった、今は亡きF氏に話したことがあった。するとその時、F氏は即座に、「ぼくなら、設定を逆にしますね」と云った。

 すなわち、ステレオ音声ではなくて、モノラルやバイリンガルの時に「録画中止」になるように設定するというのである。そうすると、番組本体がカットされて、CMだけが録画されることになる。短時間に莫大な資金を投じて製作されるCMの画像に注目し、それを秘かにコレクションしていたF氏ならではの発想だった。




「衛星映画劇場」

 話は前後するが、1989年にNHKのBS(衛星)放送が始まった。地上波と比べると、「ゴースト」が皆無で、画面がとてもきれいだ、という評判だった。「衛星映画劇場」という番組があって、和洋の名画が毎日放映されていた。

 私は、垂涎(すいぜん)の思いで、新聞の番組表を眺めていた。なんとかしてそれを観ることができないものか、と歯ぎしりしたが、BS放送を見るには、専用のチューナーを買い、専用のお皿形のパラボラ・アンテナを立てる必要があって、かなりの出費を要した。テレビやビデオもそれ対応のものはかなり高く、また、自宅のそれらは、まだまだ買い替えの時期には程遠かった。

 そんなとき、ふと、ある考えが浮かんだ。

 英語科の特別教室として、生徒ひとりひとりにテープレコーダーの付いたテーブルを用意した「LL(Language Laboratory)教室」というのがあって、その準備室に、教材を録画したり、授業で放映したりするための「ビデオデッキ」が置いてあった。ところが、それがだいぶ古くなって、使いにくいという苦情が出始め、そろそろ買い替えが検討されていたのだ。

 そうだ、これだ、と思い立って、私は、買い替えるのなら、この際、最新のBS対応のものにすべきだ、と主張した。どうせなら最新機能のものがほしい、というのは人情で、英語科全員の賛同を得られることとなった。

 もちろん、このデッキは英語の教材録画や授業に使われるものであったが、その空いた時間に、例の「衛星映画劇場」の録画もできるようにしてもらった。そして、その録画用の生テープも学校で買ってもらい、録画したテープは職員室の英語科のロッカーに保管することも許可してもらった。記念すべき、録画第一作は、エリザベス・テイラー主演の『去年の夏突然に』で、モノクロ作品だったが、その画面の鮮明さには、感動した。

 ちょうどその頃、1991年のことであるが、来るべき「BSブーム」を先取りするかたちで、BS番組専門誌の『BSファン』という雑誌が共同通信社から創刊されたが、これは私個人で毎月、定期購読することにした。

 そこには、NHKの、当時3つあったBS局と、民放の有料放送WOWOWの1ヶ月の番組表、そして、それらの番組の詳しい解説記事が満載であった。さらに、映画については、その放映作品すべてについて、スタッフ・キャスト・あらすじが、ちょうどVHSテープのタイトル貼付部の大きさにまとめられていたので、それを切り抜いて、そのままテープに貼り付けることができた。また、テープの背表紙に貼る「タイトルシール」も付録で付いていた。

 こうして、少しずつ、映画の録画テープが溜まっていくと、英語科だけではなく、他の教科からも映画好きの先生方がそれを借りて持って帰るようになり、いつのまにか「福島ライブラリー」という名前が付けられて、隠れた人気を得るようになっていった。

 そんな中に、警察を定年退職したのち、嘱託として事務所の仕事をしている人がいた。警察OBということで、胡散臭い目で見る人もいたが、私とは帰りの電車でいっしょになることが多く、口をきくと、案外、人懐っこい人で、世間話などをするようになった。戦前に小樽高商を出て、警察では、外事関係の仕事をしていたということで、いかつい風貌にもかかわらず、どこか垢抜けしたところがあった。外国のモノクロ時代のサスペンス映画が大好きで、今度放映される『邪魔者は殺せ(1947 キャロル・リード監督)』はかならず録画してくださいよ、などと、リクエストを貰ったこともあった。

 この警察OB氏は、事務所では、施設の営繕関係を任されているということで、ちょっとした備品購入の権限を持っているようだった。そこで、その計らいもあって、英語科ロッカーの場所塞ぎになりかかっていたビデオ・ライブラリーのための「収納ケース」を買ってもらえることになった。

 そして届いたケースは「ビデオラック」と銘打たれているだけあって、スライド式に二重になった棚にVHSテープがぴったり収まる構造で、表の引き戸は全面ガラス、という本格的なものであった。

 その後、テープが増えるにつれて、もうひとつビデオラックが買い足されて、1998年末までの約7年半で、なんと487作品ものライブラリーになった。それらはほとんどすべてが、NHK-BSの「衛星映画劇場」からの録画である。当初はLL教室のビデオデッキだけが頼りだったが、その後、私自身が購入した、例の三菱電機製のビデオデッキももちろんBS対応だったので、学校では録画しづらかった昼間の放送もどんどんと録画できるようになり、その結果、飛躍的に数が増えることとなった。

 定期的に先生方全員に配布していた「作品リスト」が残っている。

 ちなみに、監督別で一番数が多かったのがヒッチコックで26作品、次いで、黒澤明が24作品で、この二人は、ほとんどの作品がカバーされていた。さらに、寅さんシリーズを含む山田洋次が23作品、小津安二郎が11作品、フェリーニ、ビリー・ワイルダーが各8作品、チャップリン、トリュフォーが各7作品となっている。

 結局、この1998年12月19日付けの「作品リスト」を最後に、ビデオ録画熱は急速に冷めていった。さしもの2つのビデオラックが満杯に近づいてきたこともあったが、ビデオテープという媒体そのものが限界を迎えつつあった。アナログ録画ということで、いくら「ハイグレード」を謳う上等なテープを使っても、録画時の画質劣化は避けられなかったし、また、時間とともに、テープ素材そのものが劣化して、「巻き込み」や「切断」のリスクが高まっていった。そして何よりも、1996年に開発された「DVD」が、そのコンパクトさと扱いやすさのため急速に普及してきて、「ビデオテープレコーダー」自体が一挙に時代遅れのものになってしまったのだ。

 自前の「BS対応テープデッキ」を持つようになり、私は映画以外にも、いろんな番組を家で録画するようになっていた。云ってみれば、映画は「レンタルビデオ店」に行けば、たいていの作品を、借りて観ることができる。しかし、毎日毎日、泡沫のように、放送されては消えていく「テレビ番組」は、もう一度観たいと思っても観られないものがほとんどだ。そんなものこそ、録画して保存しておくべきではないだろうか。そんな風に思うようになり、「CMカット」の設定を逆にして、映画の本編よりはCMの方を録画したいという故F氏の気持ちが分かるようになっていた。それに、テレビは自分一人のものでもないので、観たい番組がすべて観られるわけでもなく、また、勤務中の昼間や、眠っている深夜にも観たい番組はたくさんある。そのためにも、ビデオは重宝なものであった。

 こうして、いろんな、おもしろそうな番組を片っ端から録画するうちに、VHSテープはどんどんと溜まっていった。そのうちに、画質を落として、「三倍速」で録ることが多くなったが、それでも、テープは溜まっていく。VHSテープの保管には、缶ビール2ダース入りの段ボール箱がぴったりだったが、その箱が押し入れの奥に次々と積み上げられていった。




ビデオテープからDVDへ

 私がDVDを観るようになったのは、最初はパソコンである。3代目のMacへの買い替えどきになった2000年頃には、DVDドライブが付いているのが普通になっていた。私は、ノート型が欲しかったので、当時、メルヘンチックなデザインが話題になっていた「シェル(貝殻)タイプ」のiBook SE(FireWire)というのを、2000年10月に購入した。画面は13インチだったが、CD-ROMの他に、DVDも観ることができるようになっていた。













 







 そこで私はさっそく、記念すべき、映画DVD第1号を買った。もちろん、黒澤明の『野良犬』である。堅牢な箱に入り、立派な解説書と、「関係者のインタビューによる撮影秘話」という30数分の「特典映像」も付いた豪華版だったが、6000円もした。この際、銭金(ぜにかね)の問題ではなかったので、惜しげもなく購入した。この頃から、レンタルビデオ店でも、だんだんとDVD作品が増えていっていた。























 このiBookは、DVDに「書き込む」ことができなかったが、3年後の2003年10月に購入した4代目のMacには、「スーパードライブ」という、CDもDVDも、「読み込み」「書き込み」が両方できる装置がついていた。半円球ボディーに首振りの17インチ液晶モニターが付いたiMacである。CDの7倍近い容量のDVDには、デジカメで撮ったかなり長い動画でも楽々と書き込むことができた。ただ、問題はテレビ番組をどうDVDに記録するかであった。



























 まず第一に、テレビの画像は、「ビデオ・キャプチャー」という装置を通さなければ、パソコンの画面に映すことはできない。そこで、Mac雑誌をいろいろ調べて、カノープス社の「ADVC110」というのを買った。2万円以上したと思う。「デジタル・ビデオ・コンバーター」とあり、要するに、テレビ放送の「アナログ信号」を、パソコン用の「デジタル信号」に変換するという機器であった。

 変換されたデジタル信号は、Macに標準で付属している「iMovie」という動画編集ソフトに取り込んで、CMをカットするなどの編集をし、出来上がったものをやはりMac標準の『iDVD」というソフトを使ってDVDに焼くことができた。そうすることによって、テレビ番組を、パソコンやDVDプレーヤーで再生することができるようになったのである。





















 ただ問題は、それにかかる「時間」と「容量」だった。カノープスはMacと、もう一方はビデオデッキにつなぐ。そして、ビデオテープに録画されたテレビ放送をデッキで再生して、その「アナログ信号」をカノープスに通して、「デジタル信号」に変換するのだが、その時、2時間の映画番組なら、それをまるまる2時間かけて再生しなければならない。それはやむを得ないとしても、それをMacのiMovieに取り込んだ出来た「iMovieファイル」をiDVDで、DVDに書き込むには、DVD-video形式への変換などいろんな作業があって、当時の「首振りiMac」の場合、それだけで、倍の4時間ぐらいかかった。これはもう昼間では付き合いきれないので、夜、寝る前にセットして、朝になったら出来上がっている、という風にするしかなかった。

 さらに、最初にiMovieに取り込んでできる「iMovieファイル」の大きさが尋常ではなかった。2時間の番組なら25GB(ギガバイト)にもなった。iMac本体のハードディスクの容量が160GBだったので、これは相当な大きさである。本体に保存するのは無理とみて、外付けのハードディスクを購入して、そこに保存することにした。

 こうして膨大な時間をかけながらもコツコツと、テレビ番組のDVD録画と、学校の「ライブラリー」に貯め込んだ映画作品の中から精選したVHSテープのDVD化を進めていった。DVDは薄いので、市販の「ポケットファイル」に収めると、コンパクトに本棚に収まった。押し入れの中の「ビール箱」とは大きな違いである。時間がかかるのは相変わらずだったが、毎晩、深夜にiMacにDVD化の仕事をしてもらって、それらが350枚ほど貯まった2008年7月、テレビに直結する「DVDレコーダー」を購入した。




DVDレコーダーの購入

 それまで頑張っていた三菱電機製の「ビデオデッキ」が時々不調を訴えることが多くなり、そんなとき、量販店で、DVD-VHS一体型で、ハードディスクも付いた「DVDレコーダー」の掘り出し物を見つけた。東芝の「RD-W301」、製造終了品ということで、6万5000円。当時としては破格の安値だったので、その場で購入した。

 ハードディスク・レコーディングというのは初めての経験だったが、これは便利だった。番組録画だけでいえば、これだけで十分だろう。CMカットも、どういう仕組みか解らないが、その部分だけが別チャプターに区切れていて、そこを削除すればそれで済んだ。あとはどう保存するかだが、ハードディスクには限度があるので、DVDにダビングするということになる。「高速ダビング」という装置があって、2時間ものでも、15分ぐらいで終わった。

 わざわざVHSドライブが付いたのを買ったのは、学校にある「ライブラリー」や、これまで家で録り貯めたビデオテープをDVD化したかったからである。VHSから、いったんハードディスクに取り込んでおくと、必要ならば編集もできて、あとは「高速ダビング」で完了。かくして、「DVDコレクション」は飛躍的に増大していくことになった。




テレビ放送のデジタル化への対応

 ところが、ここで難問がひとつ生まれた。それまでアナログで放送されていたテレビが「デジタル化」されることになったのである。

 デジタルになると、アナログとは違って、コピーしてもまったく劣化しないということで、「海賊版」コピーが容易にできる。それを防ぐために、「コピーワンス」という措置がとられることになった。ハードディスクに録画された画像は、1回DVDなどにコピーすると消えてしまう、というのである。それをまたコピーしても、「コピー元」のDVDに保存された映像は消えてしまって、要するに、2枚以上のダビングができない、ということになった。(のちに、このコピー制限は10回まで、と緩和された) そして、それにともなって、デジタル番組は、DVDレコーダーでDVDにダビングすることができなくなってしまった。

 これには困惑してしまった。デジタルになると、地上波の放送も「ハイビジョン画質」になって、それはありがたかったのだが、好きな番組をコピーできないのは寂しい。しかし、ただひとつ、解決策が見つかった。DVDレコーダーの前に使っていた、カノープスを通して、Macに取り込むという方法である。

 ハードディスクに録画されている「デジタル放送」を再生して、その信号をカノープスに送ると、再生する段階でアナログ信号に変換されているので、「デジタルの制約」をまったく受けず、従来通りに、コピーして、編集し、存分にダビングできるということがわかったのである。もちろん、画質は「ハイビジョン」ではなく、以前と同じであるが、それは別に構わなかった。


 2010年に、Macbook Proに買い替えた。7年ぶりである。この間に、MacのCPUは、アップル・モトローラ・IBM三社合作の「PowerPC」から「インテル製」に代わっていた。かつて、インテルの「ペンティアム」というCPUを、カタツムリになぞらえた揶揄的な「比較CM」を流していたアップルだったが、いつの間にか、形勢は逆転し、「更新」が思うように進まないPowerPCは、インテルよりもかなり遅れを取っていた。インテル製にするためには、ソフトウェア上の改訂作業など、大変だったようだが、そこまでして切り替えた理由が、新しいMacbook Proを買ってよく分かった。動画処理(レンダリング)の速度が断然速くなっていたのだ。

 DVDレコーダーで再生しながら、カノープスを通してMacに取り込む時間は変わらなかったが、そのあと、DVD-video形式に変換して、DVDに焼く時間が、PowerPCの時の半分以下になり、2時間の映画のDVD化の総時間が6時間から4時間以下に減ったのである。

 これで大きな障害は乗り越えたので、DVD化に再び拍車がかかったが、ここでまた問題が発生した。DVDも900枚を超えて1000枚に近づいていくと、VHSと比べて、いかに嵩(かさ)張らないとはいっても、そのボリュームは無視できなくなってきた。私の使っている正方形のポケットファイルには36枚しか収納できなかったので、それが実に25個を超えるまでになったである。本棚には収まりきれず、またぞろ、VHS時代のように、押し入れの片隅のお世話になるしかなくなってきた。




DVDから「動画ファイル」へ

 こんな調子では、近いうちに、録画は不可能になってしまう。何とかしなければ、と知恵を絞って考えついたのが、「動画ファイル」のかたちのまま、ハードディスクに保存してしまおう、ということであった。そうすれば、DVDよりもはるかにコンパクトで、しかも、いちいちディスクを出し入れする面倒からも解放される。さいわい、500GBや1TB(テラバイト=1000GB)の大容量の「外付けハードディスク」が1~2万円程度にまで安くなってきていたので、好いことずくめの名案だった。

 ただ、iMovie形式のファイルだと、2時間の映画で25GB食うので、1TBといえども40本でいっぱいになってしまう。これでは、今度はハードディスクの山ができるだけである。もっと圧縮された形式を用いなければならない。Mac雑誌を必死で調べて見つけたのが「H264」という形式だった。これにすれば、容量は10分の1以下になる。しかも、画質はそんなに落ちない、という、まさに理想的なものであった。

 しかし、私が使っていた「iMovie HD」というソフトでは、H264に書き出すことはできなかった。すでに新しい「iMovie7」が発表されていて、そのiMovieファイルなら、H264に書き出すことができた。ところが一難去って、また一難。このiMovie 7では、大幅な改変がなされていた。どうも、自分のカメラで撮影した動画を編集するためのものになっていて、テレビ画像の取り込みには不都合なものに変わっているようだった。例えば、デジタル放送の画像の横縦比は16:9で、アナログ放送の4:3よりも横長になっていたが、iMovie HDでは、設定を切り替えることで、それに対応できるようになっていた。しかし、新しいiMovie 7では、切り替えボタンが無くなり、カノープスで取り込んでできたファイルはすべて、4:3の縦に歪んだものになってしまっていた。これは、設定をいろいろいじくり回してみても、どうすることもできず、結局、iMovie HDでなんとかするしかなかった。

 iMovie HDでも、動画ファイルへの書き出し機能はあった。それは、拡張子に .dv と付く「DVファイル」で、画像はきれいだったが、容量はiMovieファイルとほとんど変わらなかった。そこでまたMac雑誌で見つけてきたのが「HandBrake」というフリーソフトだった。そのHandBrakeに「DVファイル」を読み込んで、どんな機種にも対応する「Universal」というタイプに変換すると、2時間の映画で25GBあったDVファイルが、見事に、2GB以下の「H264」ファイルに変換されていたのである。かかった時間が20分ほど、その前のDVファイルへの変換が約50分、そして、デッキで再生しながら、iMovie HDに読み込むのが2時間で、つごう2時間の映画1本を完全に「動画ファイル」にするための所要時間は3時間余り、まあ、許容できる範囲で、やっと、落ち着いた場所にゴールインできた気持ちだった。

 ハードルを越えると、また足は速くなる。1枚に2時間分をぎっしりと詰め込んでいた「DVD」とは違って、作品ごとに、例えば、1時間弱のテレビ番組も1本として保存しているので、比較はできないが、2014年8月末現在で、3200作品を超えるに至っている。主なものは一応バックアップもとったりしているので、外付けのハードディスクの数は増えて、「テレビ録画関連」だけで5TBほどになっているが、場所的には困っていない。もう数台買っても大丈夫なぐらいである。

 しかし、問題には終わりというものがない。今度のは、コレクターにとっては「究極の問題」ともいえるものであるが、その録り貯めた「ライブラリー」をはたして、いつ観るのか、ということであった。

 血は争えない、というべきか、25年前に亡くなった私の父親に、やはり収集癖があった。高価な骨董品などであれば、ありがたいのだが、父が還暦近くになってから集めはじめたのは「新聞の切り抜き」であった。個々の記事ではなく、連載の小説やコラム、特集記事などであったが、連載が完結するごとに、その大きさに合った封筒に入れて保管していた。お金のかからない趣味だが、年月が経つにつれて、どんどん貯まっていき、その封筒の山は段ボール箱に入れて、押し入れの奥にしまってあったそうだが、何年かのち、その段ボール箱を開けてみたら、ネズミが巣をつくって、ボロボロに喰い荒らされていたという。

 それで嫌気が差したのか、いつの間にか「新聞の切り抜き」はやめて、次にはじめたのは、ラジオ番組の録音だった。中年の頃から、寝る前にイヤホーンでラジオを聴くのが習慣になっていた父だが、70歳に隠居の身になってから、「ラジカセ」というものを知り、そのテープに気に入った放送を録音するようになっていた。たちまち、そんなテープが山のように貯まっていった。父のことだから、集めっ放し、ということはなく、おそらく、しっかり読み、しっかり聴いてから、それらの切り抜きやテープを保存していたものと思われるが、それは何のためだったのだろうか。自分でもう一度、読み直したり、聴き直したりするためだったのだろうか。

 もちろん、それもあっただろうが、それ以上に、誰かのために、誰かに読んでもらいたくて、聴いてもらいたくて、保存していたような気がしてならない。

 誰か、といって、まず思い当たるのは息子の私であるが、結論から云えば、私は父の収集物には、ほとんど関わらなかった。唯一よく憶えているのは、学生時代、昼夜逆転の自堕落な生活をしていた頃、眠れない寝床の中で、お菓子をボリボリ食べながら、父が切り抜いた、司馬遼太郎の新聞小説『妖怪』を読んだことである。

 これはとてもおもしろかったが、その他の特集記事などは、内容が陳腐化していたりすることが多く、あまり食指をそそられなかった。また、亡くなったあと、大量に残されたテープを一応点検はしてみた。懐かしの歌謡曲などのほか、番組で放送された「かつての名人たちの落語」などはおもしろそうだったが、いかんせん、録音状態が悪かったり、テープが劣化していたりして、もうこれ以上の保存には不適なものばかりだった。

 父のコレクションの「末路」は、現在の私の「ライブラリー」の未来と二重写しになる。コレクションはあくまで「自分一代」のもの、まかり間違っても、後世、誰かに観てもらおう、などとは考えないことだ。

 所詮、コレクションというのはコレクターの「センス」の「自己確認」なのだ。どんなものを選んで集めているか、に意味があって、集めたものを「味わう(=観る・読む、など)」というのは、どうでもよいことなのかもしれない。

 そう開き直ってしまえば、観られることがないかもしれない録画の山がどんどん高くなっていっても、罪の意識は感じなくなる。そして、時に、気まぐれに、それらを「義務」ではなく、ひも解いてみる時、ほんとうの「楽しみ」がこんこんと湧き出してくるのであろう、と思っている。

(完)


【自註】

 やっと完結しました。ほぼ当初予定していた内容が、その流れのままに、存分に「書き通せた」と思います。私にとっては居心地のよかった、39年間勤めた「職場」の「雰囲気」を、このシリーズのあちこちにちりばめることもできました。書き進めるうちに、30代から60代まで生きてきた時代の、さまざまな事物を振り返ったり、調べたり、そんな時間がいちばん楽しかったような気がします。  (2014.9.4)


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