名著3冊



『アジア史概説』(宮崎市定) 


 歴史を読んで過去を知ることは現在を知ることでもある。「歴史は繰り返す」とよくいわれるように、現在起こっている出来事は、それがどんなに新しいことのように見えても、それと同じパターンは必ず過去の歴史の中に見出だされるからである。人間の歴史は「史上初」とか「かつてなかった」とかいう形容を簡単に許すほど底の浅いものではないということであろうか。


 そういう点でいえば、宮崎市定の『アジア史概説』(中公文庫)は文庫本500ページに先史時代からベトナム戦争までの世界史をひとつの歴史の流れとしてコンパクトにまとめた、我々の現在立っているところが歴史上のどういう地点にあたるのかを示唆してくれる貴重な本である。


 宮崎市定によれば、歴史は「古代」「中世」「近世」の三つの段階に分けられる。「古代」とは、それまで各地域にそれぞれ分立して発展してきた原始的国家群が一つの大領土国家に統合されることによって頂点に達する時代であり、やがてその古代帝国が成熟の極みに達すると、おもに外部的な要因によって分裂し、「中世」という混乱の(あるいは活性化の)時代へと入っていく。


 西アジアでいえば、ペルシャ帝国の成立によって完成した「古代」は、アレキサンダー大王の死によって終りを告げて「中世」となり、その後各地域にいろいろな王朝が栄枯盛衰する一千年が続いたのち、マホメットの登場によって西アジアが再び統一されて「近世」が始まる、ということになる。そのとき、この近世的統一の基盤となったのがナショナリズム(民族意識)の勃興であり、この流れは現代まで続いている。


 「古代」「中世」「近世」へと、このように移り変わっていくというのが歴史の基本的な流れであり、それは西アジア以外の地域にも適用される。

 つまり、東アジアにおいては、「古代」は秦・漢帝国であり、後漢滅亡後の三国史の時代から「中世」が始まり、その分裂状態は宋帝国によって収拾されて「近世」を迎える。またヨーロッパでは「古代」のローマ帝国がゲルマン民族の侵入によって滅びてのちヨーロッパの「中世」となり、ルネッサンスの開始とともに「近世」が始まる。ただ、この歴史の区切り目には三地域で時間差があって、西アジアが最も早く、その後、300年から500年して東アジア、さらに150年ないし350年遅れてヨーロッパということになる。


 もちろん、これらの地域はそれぞれお互いに完全に孤立して発展してきたのではなくて、「シルクロード」や「海上の道」のほか、中央アジア深奥の砂漠地帯、さらにその北のシベリアにも遊牧民族の交通路が先史時代から出来ていて、それらを通じて「文明」が伝播していったということである。そして、その交渉が「十字軍の遠征」のように劇的におこなわれると、双方の文化水準の落差を急激に埋める動きが生じて、イスラム文化がヨーロッパに深い影響を与え、それがヨーロッパの「近世」化(ルネッサンス)の原動力となるということも起こる。


 ちなみに、この図式は日本にも、東アジアの辺境という地理的な制約による「遅れ」と「歪み」を伴いながらも当てはまり、平安朝が「古代」で、それが外部的要因(即ち、東国武士の勃興)によって分裂して出来た「中世」は、ヨーロッパ人との接触が刺激となって(この場合、鉄砲というヨーロッパ兵器の導入がそれにあたる)徳川幕府の成立でその混乱が収まり、いったん「近世」の入口を迎えるが、それが鎖国という「内部醗酵」の時期を経たのち、明治維新となって本格的に「近世」に突入していくということになる。


 さてところで、このような巨視的な視点からは現代はいったいどのように捉えられるであろうか。宮崎市定は、第二次大戦後の世界不安の最大の原因はアメリカとソビエト・ロシアの二大軍閥の横車にあると断言する。「軍閥」という古めかしい言葉がアメリカやソビエト・ロシアの形容に使われていることにいささか当惑をおぼえるが、その理由はこうである。


 先述の三つの地域の中で最も遅く「近世」に到達したヨーロッパは国民意識の下に糾合されたエネルギーを世界探険(即ち、世界征服)に向け、その結果、十九世紀の中頃までに、イギリス、フランス、オランダ、アメリカといった欧米先進国が地球上のほとんど全ての土地を植民地または半植民地として支配するに至った。ところが、一歩遅れて「近世」に達したドイツや日本が先進国の「世界分割体制」の中に参入しようとしたところからそれまでの世界秩序が崩れて、世界大戦となる。しかし第一次大戦は予期に反して、意外な長期戦となり、もはや「戦争は政治の一手段である」というそれまでの戦争観を破産させるような大荒廃をヨーロッパ全土にもたらし、これまで上昇一途であったヨーロッパの発展を頓挫させる結果となってしまった。


 また、日本にとっては第一次大戦は僥倖に恵まれたものであったが、大戦中に膨れあがった世界の生産力が戦後になって行き場を失い、経済恐慌になって先進各国がその植民地も含めた経済のブロック化を進め出すと、輸出先を失った日本はたちまち行き詰まって強引に中国に進出することになり、これが第二次大戦の原因のひとつとなった。


 第一次大戦を上回る徹底的な破壊の後、日本やドイツは敗れて、その国家指導者たちは厳しく断罪されたが、しかし、そのやったことの中身をよく考えてみれば、戦勝国の方もまたまったく同罪といえる。そして、この大戦を契機として、世界中の植民地はほとんどが解放されて、独立を成就することとなった。もはや、一部先進国の国家エゴによるブロック経済体制は壊れて、世界中で自由な貿易ができるようになった。つまり、はじめからそうであれば、第二次大戦などおこらなかったような世界となったのである。


 そうなってみると、敗れた日本やドイツはその僅かな植民地を失ったが、自由な貿易が可能となった世界ではそれはもはや痛手とはならず、かえって植民地保有による余計な紛争から解放されて身軽になったということになり、また戦勝国の警戒心のために大きな軍備が持てなくなり、それだけ無用な負担が少なくなったということにもなって、それが戦後の両国の経済的な繁栄の大きな基礎となった。むしろ戦勝国の方に戦争の後遺症が大きかったのは歴史の皮肉といえる。


 つまり、これは、日清戦争以来、連戦連勝を続けた日本がそうであったように、戦争に勝つと、どの国においても必ず起こる現象として、軍人崇拝、軍事優先、そして「絶対不敗の信念の普遍化」というものが台頭してくる。そして厄介なことに、その信仰は一度成立すると実際に戦争に敗けてみるまで続くのである。


 例えば、大戦後に大幅に植民地を失ったフランスやイギリスは、アメリカの援軍によってかろうじて戦勝国の一員となったにすぎないのに、戦後はまたしても軍部の力が強くなり、インドシナの再征服を企てたり、時代の流れに逆行してアルジェリアの独立運動を鎮圧しようとしたり、あるいはエジプトのスエズ運河国有化に武力干渉したりしていずれも手痛い失敗を繰り返し、ますますその国運を傾ける結果となった。


 そして、そうなると、最もその後遺症が大きかったのは、かつての大国が植民地を次々と手放していく中で、唯一、同盟国(衛星国)の名のもとに属国や領土を拡張してきたソビエト・ロシアと、国内の破壊を免れて、一時は世界の富の半分以上を占めた、圧倒的な経済力と軍事力によって世界支配を推し進めていったアメリカということになる。


 そして実際、この両国のそのような政策は、戦勝の功績を誇る軍人たち(あるいはそれにつながる勢力、即ち、「軍閥」ということになる)によって推進されて、その結果、周辺諸国、あるいは世界各国との緊張を高めるとともに、国内的な矛盾も拡大していった。(例えば、1988年度のアメリカの軍事支出はGNPの6.7%、ソビエト・ロシアは15.5%で、ともに国内経済を大きく圧迫し、両国の長期的な凋落の最大の原因となっている。)


 ゆえに、この両国が外戦に敗れるか、国内に革命が起こるかしない限り、世界に真の平和はやってこない、と宮崎市定は最後に結論づけているが、この『アジア史概説』が最終的に上梓されてから17年たった現在のソビエト・ロシアやアメリカの状態を見れば、著者の彗眼はまさに敬服に値するものといえよう。




『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)


 ところで戦争といえば、ジョージ・オーウェルの近未来小説『一九八四年』に描かれている超管理社会にもそれが大きな影を落としている。


 この小説の主人公の住む国は「偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)」とよばれる独裁者(および彼の率いる党)によって徹底的に支配されており、例えば、政府の末端に勤める下級党員である主人公たちは、あらゆる部屋に取り付けられた送受信兼用の壁掛けテレビによって、常時、党のスローガンを吹き込まれるとともに、カメラやマイクによって、四六時中、「思想警察」に監視されている。また過去の記録は、歴史はもちろん、数日前のものまで日々、改竄を加えられ、個人が日記をつけることも許されていない。さらに党は、国民の思考力を奪うために、極端に簡略化した言語を編み出して、それを公用語として使用させようとしている。


 主人公はそういう生活に疑問を感じ、若い女性党員の同志を見つけだして、彼女との交渉を通じて人間性を取り戻していくのだが、最後は、同志のふりをしたある幹部党員の罠に嵌まって捕らえられ、猛烈な拷問によって洗脳されて、ついには「偉大な兄弟」を愛するようになってしまうのである。


 1949年に発表されたこの作品は、その13年前のスペイン市民戦争でオーウェル自身が体験したロシア共産党の裏切りの記憶を反映したもので、「偉大な兄弟」のモデルはスターリンだといわれているが、スターリン型の社会主義を究極まで推し進めればどのような社会ができあがるかという、一種のシミュレーション小説である。それとともに、こういう社会が成り立つための条件、あるいは基盤とはいったい何か、ということを考察する政治論として読んでもなかなかおもしろい。


 小説の中では肖像写真などのイメージでしか登場しない(だから本当に実在するのかどうかは主人公にはわからない)「偉大な兄弟」の政敵にゴールドスタイン(トロツキーがモデルらしい)というのがいて、主人公たちは毎日二分間、スクリーンに写しだされたこの「人民の敵」に向かって、むき出しの憎悪をあらわすことを強制されているのだが、あるとき先に述べた幹部党員からゴールドスタインが書いた「少数独裁制集産主義の理論と実際」というタイトルの地下出版物を貸してもらう。


 結局はこの幹部党員の罠に嵌まるのだから、この本が本物かどうかは大いに疑問なのだが、この中に書かれているこの国の支配のからくりはなかなか説得力があるので簡単に紹介しておこう。


 そもそも歴史を遡れるかぎりにおいて、世界には「上層」「中層」「下層」の三種類の人間が存在してきた。権力を握る「上層集団」の目的は現状維持で、「中層集団」は折りあらば「上層」と入れ代わろうとするのを目的とし、「下層集団」は常に重労働で押し潰されているために生活するだけで精一杯で目的など持つ余裕がない存在である。歴史はいつも、力が衰えた「上層」を、「中層」が「下層」を味方につけて打倒することによって動いてきた。そして、「中層」はその目的を達するや、「下層」を再び隷属状態に突き戻して「上層」に成り上がるということも歴史の常であった。


 だから現在、権力を持つ「上層」が永久的にその地位を守るには、自分たちを脅かす「中層集団」を抑圧して彼らに力をつけさせないようにする必要があって、それを完全にシステム化したのが『一九八四年』の世界である。だからそこでは、国家(または党)によって徹底的に管理されるのは主人公たちの「中層集団」のみであって、「下層集団」は「上層」を脅かす力などもともと持たない動物と同等の存在と見なされていて、それほどの規制は受けていない。


 次に、この時代には世界は三つの超大国に統合されていて、いずれも似たような体制の三国は恒常的に戦争状態にある。三国は同盟したり、離反したりしながら戦い続けているが、決定的に勝利することができない。というより、勝利しようとはしないし、勝利する必要もない。なぜなら、戦争は階層制社会を維持することを目的とする純然たる「内政問題」だからだ。


 戦争の効用はまず、生活水準を上げずに工業製品を消耗できること。


 物が豊かになり、生活にゆとりができると人々は自分でものを考えるようになり、そうなると少数の特権階級が権力を握ることが難しくなる。階層制社会は「貧困と無知」に基づいた場合にのみ可能だからである。また、戦争しているかぎり兵器が必要であり、兵器を生産することは消費物資を生産せずに労働力を費消する方法でもある。また、戦争は人間に絶え間ない緊張と非日常的な昂揚状態をもたらすため、国民が自らが強制されている過酷な境遇を容認するのを容易にするという心理効果もある。


 ところで先頃、東ヨーロッパでドミノ的に崩壊し、現在ソビエト・ロシアでもその存続が危ぶまれている「社会主義」とは、実はスターリン主義という社会主義の一変種であって、本物の社会主義が破産したわけではないという議論もある。それではスターリン主義とはいったい何かということになるのだが、その本質は「戦時社会主義」だというのである。


 つまり、ロシアに11月革命が起こってボルシェビキが権力を握ったとき、この新政権を取り巻く状況は、国内に反革命派を抱えているうえに周辺諸国からは武力干渉を受け、また革命による混乱と外国の投資の引き揚げのために、経済は壊滅状態といった具合で、その前途は非常に危ういものであった。


 だから革命政府が非常体制を敷いてそれらに対処することは当然で、そういう「戦時下」であれば、物資が不足したり、自由が制限されたり、また3月革命でいったん廃止された帝制ロシアの「秘密警察」がレーニンの手によって復活されたりすることもやむをえないことであったといえる。革命の理想と使命に燃えた人々はそれらに耐えて、銃を持って戦い、また生産点での過酷な労働にも従事したのであるが、問題はそのあとであった。


 内戦と外国の干渉が一段落したのちも「戦時体制」は継続され、それがさまざまに理屈づけられて社会主義の本家を名乗りはじめる。しかし、それはもはや革命の防衛のためではなく、いまや官僚と化した「社会主義」政府の指導者たちの地位と特権を守るためのものに変質してしまっていた。すなわち『一九八四年』に描かれているとおりである。


 もうひとつ、『一九八四年』を読んでいてふと思ったのは次のようなことである。


 第二次大戦後に生まれた者は、生まれてからずっと米ソ対立を基軸とする世界に生きてきたので、アメリカとソビエト・ロシアは不倶戴天の敵だと思い込んできたのであるが、しかしよく考えてみれば、これまでにアメリカとロシアが直接戦ったことは一度もないのである。逆に、帝制ロシアはアメリカにアラスカを譲渡したり、日露戦争ではアメリカが仲介してアメリカのポーツマスで講和会議がもたれたりしているし、革命後も、その直後にモスクワに乗り込んでレーニンと直談判して商談をまとめ、それを基礎に今日の財を築いたアメリカの怪物的政商アーマンド・ハマーの自伝を読めば、レーニンは革命後のロシア社会のモデルをアメリカに求めていたふしもある。


 そうしてみると、米ソ対立というのは、両国によって、対外的というよりむしろ国内向けに設定された「戦略」、すなわちフィクションではなかったか、という気がしてくる。つまり、ソビエト・ロシアあるいはアメリカという敵国を仮想してつねに国民に緊張を与えておけば、自らの立場を有利にして発言力を強めることができる。誰がかといえば、宮崎市定のいうとおり軍部およびそれとつながる勢力ということになろう。


 戦争があれば科学技術は飛躍的に進歩するとよくいわれるが、それは国運を賭けた戦争という名目があれば採算を度外視した巨額の費用を技術開発にかけることができるからである。そのお金はもちろん、その間やむなく耐乏生活を強いられる国民の税金から得られるのであるが、その技術の果実を最終的に手にするのは、国民の中のごく一部、アメリカでいえば、財閥の系列につながる巨大企業でしかない。


 例えば、第二次大戦中はドイツに対抗して、そして戦後はソビエト・ロシアをライバルとして開発が続けられてきた原子力兵器の技術は、のちに民生用に転用されて原子力発電の技術となり、ゼネラル・エレクトリック、ウェスチングハウスの両社は全世界の電力会社に原子炉を売り込んで莫大な利益をあげた。


 航空機産業もそうで、またこれは戦争ではないが、やはりソビエト・ロシアに対抗して、国の威信を懸けて実施された「アポロ計画」はコンピューター技術の飛躍的な発展をもたらした。結局、日本その他の技術後発国のその後の激しい追い上げにも耐えて、いまだにアメリカ企業が他の追随を許さないのはこれらの巨大技術のみであって、だから三匹目のドジョウを狙って、今度は「戦略防衛構想(SDI)」を計画しているのだといわれている。さてそこではいったいどういう技術の発展が期待されているのであろうか。





『ヨオロツパの人間』(吉田健一)


 最後に、三冊目の本として、吉田健一の『ヨオロツパの人間』(新潮社)をとりあげてみよう。1973年刊行のこの本は、ヨーロッパ史についてのこれまでの通俗的な見方を根底からくつがえす、きわめて魅力的な名著である。


 吉田健一によれば、ヨーロッパの歴史は中世から始まる。ヨーロッパ人というのはギリシャ・ローマの後裔ではなく、それを滅ぼしてその地に住みはじめた北方の「蛮族」の子孫であって、その文明度を人間の一生に譬えれば、中世のヨーロッパ人は幼年期から少年期にあたるのだという。


 そしてこの無邪気で乱暴きわまりない「蛮族」を教育して、とにかくものを考える癖をつける方向に導き、彼らをヨーロッパというひとつの概念にまとめあげたのがキリスト教であった。だから、ギリシャ・ローマとルネッサンス以後の近代との中間という意味での「中世」という命名自体おかしいわけで、また、「子供」という本来残忍なものがおこなう「蛮行」をもってして中世を「暗黒時代」と呼んだり、また十九世紀の浪漫主義者のように、それを猟奇趣味を満足させる恰好の材料と考えたりするのはまったくの見当はずれということになる。


 ヨーロッパ人はその後、しだいに成長し、ルネッサンスを経て、十八世紀に至って、成熟期を迎え、吉田健一の用語でいえば「文明」の状態に達する。すなわち、人間がもっとも人間らしい、バランスのとれた、自由と寛容の時代となる。それが成熟の極みに達して崩壊するきっかけとなったのがフランス革命であった。


 吉田健一の表現を用いれば、この時以来、人間は、人間の限界を見失っていった。もっと正確にいえば、人間の限界が見えなくなったのではなくて、限界があるからこれを越えるべきだと考えるようになった。その結果、人間の限界ではなくて観念の限界をためすということが行われようになり、それまで優位にあった人間に対して観念がそれを占めるようになったのである。


 これには科学の発達も加担している。


 科学の世界では、観念は必ず物質の世界での現象と密接に結びついていて、そのため観念が同時に事実でもある。例えば天王星の運動を観測していてその軌道が惑星運行の法則に合致していないことから、その外側にもうひとつ別の惑星があるはずだと予想し、その法則に則って計算された位置に実際に海王星が発見されたということがある。


 この場合、「そうであるべきだ」という法則(すなわち観念)は、「そうである」という事実と完全に一致している。このように、科学の仮説はあとで実験によってそれを確かめるというのを前提として立てられ、いったんそれがそのとおりだと確かめられれば、それはだれにとっても正しい「真理」となる。つまり、理論が正しければ事実もそうであるというのが科学の論理であり、物質の世界では確かにそのとおりである。


 ところが十九世紀になって、その科学の論理が物質以外の、その理論が正しいかどうかを確かめるのが不可能なことがらにも適用されるようになってきた。


 例えば、「進化論」が科学の領域でひとつの事実であることから、それがそれ以外の領域にも拡張されて、人間あるいは人間の世界は限りなく進歩していくという「進歩」の観念が生まれ、広く信じられるようになった。そして、実際、科学技術のめざましい発達は確かに人間は進歩しているのだと思わせる雰囲気をかもすのに大いに貢献したのである。


 十八世紀には人間が生きていくうえでの知恵というものであった道徳は、十九世紀になって道徳の観念に変わり、いろいろな徳目が遵守可能かどうかということを無視して、必ず守るべきものとして設定された。


 その結果、例えば、昼間はサロンで純潔の大切さを熱弁していた紳士がその夜、家に帰って召使の部屋に平気で忍んでいって涼しい顔をしているということも起こった。おそらくその紳士にとっては、純潔を説くことも、召使を相手に欲望を満たすこともともに真実でまったく矛盾しないことであったに違いなく、要するにその時々の彼は全然別の人間ということで、言い換えると、「建て前」と「本音」を使い分けていたということになる。


 また観念が人間を支配するようになった結果、礼儀作法も形式のための形式と化して、十九世紀のヨーロッパの紳士はズボンの折り目を崩さないために、それを着ている間は絶対に腰掛けないという服装を一着は用意していなければならなかったが、そんな本末を転倒したことをもはや誰もおかしいとは思わなくなっていた。


 つまり、俗物的な偽善が世の中を支配する時代となったわけだが、それを嫌悪し、反発した人々ももちろんいて、例えばフランスの詩人ボードレールに始まるいわゆる「世紀末」の文学者たちがそうであった。だから彼らを「病的」と決めつけたこれまでの通俗的な評価はまったく間違いで、「病的」なのは、そう決めつけた人々、あるいはその時代の方だったのである。


 いろんな名詞に「主義」ということばをつけて「何々主義」というのが氾濫しはじめたのも十九世紀からだといわれている。


 カール・マルクスはその著作がいまだに我々に新鮮な刺激を与えつづけている偉大な思想家であるが、それに「主義」がついてマルクス主義となると、彼の残したことばは本人の意向とはまったく無関係に、完全無謬で一言一句おろそかにできない「教典」となり、いわば観念の一大生産工場となってしまう。


 その「教典」の解釈をめぐる正統性、あるいはその権威をいかにして自分たちの正当化に利用するかを争うのが「社会主義」の世界のいわゆるイデオロギー論争というもので、そこではことばは観念化して、それぞれ善悪いずれかの様相を帯びている。


 例えば、帝国主義というのは、吉田健一によれば、もとはそれなりにこれを提唱する者もあれば支持する者もあるひとつの政治論であったのが、十九世紀の終わりには、今日使われているように、とにかく悪いことだということになり、それがなぜ悪いのかということを考えることもなくなってしまった。そして第二次大戦後には国名に「帝国」とつく国はひとつもなくなり、表向きは地球上から帝国主義はなくなったものとされたが、それに当たる行動がいまだに跡を絶たないのは周知のとおりである。


 ちょうど、どの国も軍事を扱う役所に「国防」とか「防衛」とかの名称をつけて、いかにも自国を守るためにだけ軍備を整えているようなふりをしても事実はそうでないのと同様である。また、現代社会における「差別」ということをそこに当てはめて考えてみればもっと理解しやすいかもしれない。


 だからイデオロギー論争では、お互いがこのように善玉悪玉に区分けされた用語を相手に投げつけ合うことに終始するということになる。すなわち「帝国主義者」「反革命」「反動の手先」「階級の敵」などといったレッテルを貼りつけて相手を攻撃し、「革命的」「民主的」「人民の友」「平和勢力」などといって自分を守ることになる。


 ただそれは、それらの用語がそういう善悪のイメージをともなった一種の符牒として流通し、「帝国主義者」といわれればみんなが畏れおののくという状況の下ではじめて有効なのであって、その外にいる者や、中にいても居直ってしまっている者に対しては無力なのはいうまでもない。


 そういうイデオロギー的な罵倒語のひとつとして、これまでよく使われてきたものに「修正主義者」というのがあるが、スターリン主義の修正だけではなく、レーニン主義やマルクス主義の修正さえ「社会主義」国の中で考慮されている今日、ゴルバチョフを「修正主義者」といって非難する者はどこにもいない。文字通りの修正主義者を「修正主義者」だと非難してもしようがないということだろうが、だとすれば、これまで「修正主義者」と非難してきたものはいったい何だったのだろうか。


 このように、観念が人間を支配し、ことばがその内実を離れてある決まった価値を持つ符牒として流通する世界では、人間がものを考える余地はなくなってくる。というよりむしろ、人間があれこれ考えなくてもよいようにそうなっているのかもしれなくて、確かにその方がある意味では効率的であり、そういう効率性が十九世紀以降の産業社会の発展のためには不可欠だったのかもしれない。


 社会主義とは、生産手段(土地、資源、機械、工場など)を社会化(国有化もしくは協同組合的所有)し、計画的に経済を運営するシステムだといわれている。


 十八世紀後半のイギリスから始まった産業革命は生産力を飛躍的に増大させた一方、深刻な社会問題をもたらした。イギリスでは、農村を追い出されて首都ロンドンに流れ込んだ人々があちこちにスラムを形成し、なかには住む家もなく、公園で寝泊まりして翌朝そこから工場に通う者も多かったという。そして工場で彼らを待っていたのは、人間を人間として扱わない、奴隷に近い労働であって、このように、利潤の追求のためにはなりふりをかまわない初期「近代資本主義」の暴虐をなんとか制御しなければならないということで、社会主義の考えが出てきたのは周知のとおりである。


 しかし一方、経済というのはいわば「人間の欲望を数量化したもの」ともいえ、「生き物」という形容がよく使われるように、ちょうど台風などの自然現象に近い性質を持つものである。


 その「自然」を人間がなんとかコントロールしよう、あるいは最終的にコントロールできるはずだと考えるのは、人間の限界を無視し、逆に限界があるからこそそれを克服すべきだと考えることでもあって、その点で社会主義も十九世紀以降の観念優先の思潮の産物であることを免れることはできなかったといえる。それどころか、自らの主張を「科学的」と規定したり、資本主義の次には社会主義がくるとその歴史的必然性を説いたりすることによって、積極的に「科学」の思想や「進歩」の思想と結びつき、結局、十九世紀の観念優先主義の典型を二十世紀まで持ち込む元凶となったといえようか。


 また、経済が「数量化された人間の欲望」だとすれば、経済をコントロールする試みは当然、人間の欲望をコントロールすることにもなり、その結果、「人間の欲望の洗練化」ともいうべき文化の統制に向かうことは必然であるといえる。そのことは、いわゆる「社会主義」国家や、やはり計画経済を唱えていた戦前の日本、ドイツなどのファシズム国家における文化の、政治に服従した醜い姿を見れば明らかであろう。


 たしかに人間の欲望やその数量化である経済をまったく野放しにすることはできない。それは「自由経済」(あるいは「市場経済」)を旨とする国家でも同様であって、とくに1930年代の大恐慌を経てからは、財政政策を通して政府が経済の流れをコントロールしようとするのは当り前となった。また、国内産業を保護育成するために政府がきめ細かい「指導」をおこなったり、相続税や所得税の累進税率を高めて大富豪が出来にくくしている戦後の日本のような国は、実質的に社会主義に近い国だという説もある。


 結局、「資本主義」か「社会主義」か、という問題の立て方自体が間違っていたのだといえそうである。


 「資本主義」というのは理念ではなく、経済の状態をあらわすことばであるのに対して、「社会主義」とは、こうあるべきだという理念であって、現実をあらわすものではない。この範疇の異なる二つを無理に比較しようとするところから混乱が起こり、また重大な詐術も生まれてきた。


 例えば、「労働者」が支配する「社会主義」国には労働問題は存在しないとして労働組合の活動を抑圧するなどというのがそうで、この種の欺瞞によって、人道的な共感を社会主義に抱いてきた人々の善意がどれほど苦しめられてきたであろうか。


 現実を冷静に見つめれば、ロシア革命が起ってからも世界の経済はずっと資本主義の原則によって動いてきたのは確かで、「社会主義」国といえどもその例外ではなく、ロシアは今も昔もアメリカの農産物の最大の顧客である。


 「社会主義」の看板を出しているからといって、同じことをやっても「資本主義」国とは違うということにはならないのは勿論のこと、その国が必ずしも社会主義的であるとも限らない。「資本主義」についても同じことがいえる。そして、先日行われた東ドイツ初の「自由選挙」の結果が西ドイツのそれとほとんど同じであったという事実は、「社会主義」とか「資本主義」とかいう看板に関わりなく、そこに住んでいるのは同じ人間に変りはないということを我々にあらためて教えてくれる。


 だから、二十世紀も末になって我々が遭遇した「社会主義」の崩壊が我々に人間を取り戻させる契機となるためには、観念にとらわれて、あるいは観念に自分をまかせて思考停止するのではなく、現実のひとつひとつを自分の目で確かめ、自分の頭で考える、すなわち人間の「叡智」をはたらかせるということしかなくて、そうすることによってのみ、人間は再び「文明」の状態に向かうことが可能だということができるであろう。



(初出誌: 「雑想」第3号 1990年7月)