スポーツと教育の分離が必要


 日本ではスポーツは教育の重要な手段のひとつとなっているが、スポーツもゲームの一種だと考えれば、それは教育とはまったく別の物である。囲碁、将棋、トランプ、麻雀などがそうであるのと同様だといえるだろう。ただ、結果的に見れば、スポーツにも教育効果はある。(もっとも、結果的な教育効果を持つものはスポーツ以外にもたくさんあるが。)それが着目され、スポーツは明治以来の学校教育に正課(体育)として採り入れられて、生徒の「体力増強」「健康増進」に貢献し、また、学校では欠かせない「集団訓練」の重要な方法をも担ってきた。また、日本ではスポーツの普及は近代学校制度の普及と軌を一にしていたので、いわば「西洋文明」導入の先兵としての役割も持っていたかもしれない。しかしいずれにしても、「結果」的に生じる効果を「目的」に転化させたならば、それは「本末転倒」だと言わざるをえないだろう。


 でもこれが学校の授業(体育)の中に留まっていればまだしも、その「教育性」が課外活動である「運動系クラブ」にまで及んだ結果、もともと楽しいはずの課外スポーツは苦しい自己犠牲を強いる修行の場と化してしまった。そして学校のクラブ活動(正式には「部活動」と呼ぶそうなので以下、その名称を使う。「クラブ活動」というのは文部省の用語では、「必修クラブ活動」を指すようである。)を底辺として日本のスポーツの世界が形成されていった結果、日本全国至るところで「教育としての」スポーツが強調され、ときには非科学的で有害な練習方法ですら「精神力養成」という名の下に正当化されるということも起こって、我が国のスポーツに大きなマイナスを与え続けてきたことはこれまで何度も述べてきた。


 ただ、日本のスポーツが学校中心の「お上主導型」という色彩を持たざるをえなかったのは、「追いつけ、追い越せ」をスローガンとする「後進」国家には避けがたい歴史的宿命で、そういう歪みはスポーツ以外にもいくらもある。しかし、一時の便法としてやむを得なかったとしても、もうすでにその時代が過ぎ、それが大きな弊害を生み出し始めたならば、速やかに改めなければならないのは当然である。なのに、その時期がすでに来ているにもかかわらず、それが出来ていない、あるいはそうするという動きさえも見えていない日本のスポーツ界の現状が、いくら努力しても実を結ばない苛立たしさを生み出しているのではないだろうか。


 それらに関しての問題提起はもう既に十分にしたと思うので、これからは、それではどうすればよいのか、あるいは何が出来るのか、ということを、スポーツの側からではなく、「学校」の側から考えてみたい。そして、少しずつ論点をずらして、学校教育の問題、また昨今、各所で声の挙がっている「教育改革」のベストのかたちはどういうものなのか、という点にも迫ってみたいと思う。




競技スポーツの「脱学校」化のために必要なこと


 まず、スポーツ、とくに競技スポーツを学校と切り離すにはどうすればよいかを考えるとき真っ先に浮かぶのは「公式戦」の問題である。


 自分で楽しむ「健康スポーツ」と違い、他人に見せて楽しませることをめざす「競技スポーツ」では、各選手の技量を高め、全体のレベルを向上させるために、選りすぐりの選手を集めてともに競い合うことが絶対に必要である。そのため、あらゆる競技においてさまざまな「公式戦」が用意されているが、ほとんどの競技においてそれに出場できるのは、正式に登録された学校もしくは企業のチームのみであることは前にも述べた。


 見方を変えれば、学校や企業チームの大会以外の「公式戦」はほとんどなかったといえる。そのため、その競技を続けるには、勉強したくなくても上級学校に進学しなければならなくなり、その結果、まるっきり授業には出ずにその競技に専念する大学運動部員も現れはじめた。その存在は当然、他の学生たちの勉学意欲によい影響を与えるはずはなかったが、スポーツのもつ経済効果(宣伝効果)に目をつけた大学側はそれを承知で有力選手を(事実上)無試験で入学させるようになってきた。そうして入学してきた彼(女)らはもともと大学で勉強するつもりがあったわけではなく、大学が期待するのもそのスポーツ能力だけだったので、もしその選手が入学後に怪我などでその競技を続けられなくなると、彼(女)らはもはやその大学に在学する理由を失い、退学を余儀なくされるという悲劇も生まれた。またかつては、そうした、一般の入学試験に合格して入学したのではないという(元)スポーツ選手の「負い目」を利用して、彼らを学校当局の「飼い犬」や「用心棒」のように使う大学もあったようである。


 そこでまず〈改革〉の第一歩として行わなければならないのは、各競技の公式戦の出場資格を緩和して、学校の部活動以外にも門戸を開くことである。


 ところで、現在、学校以外の「民間スポーツクラブ」がもっとも充実しているのは競泳の世界である。だから近年では当然、「スイミングスクール」の選手もその肩書きのままで公式戦に出場できるようになっていると思っていた。しかし、先日の職員会議で、水泳部のない本校在学のスイミングスクール生の公式戦出場のために、名前だけの水泳部を設立して高体連に登録する、という議案が提出された。本稿(1)で取り上げたのと同じことが15年後にも起こったのである。日本選手権などのレベルではオープンになっているが、インターハイは何といっても「高校生」の大会だから、ということなのであろうか。競泳でさえこんな状況ならば他は推して知るべしと言わねばならないであろう。


 しかし、競技団体の方でも、そういつまでも頑なではおられなくなってきているようである。今年(1998年)2月5日の読売新聞に次のような記事が載っていたので紹介しておこう。



  1. 『学校に部活のない中高生集まれ:日本バレー復活へヤングクラブ連盟』


  2.  日本バレーボール協会は4日までに、中学・高校生を対象にした「ヤングクラブ連盟」(仮称)を、今年4月に設立する方針を固めた。中高生に照準を合わせたクラブ組織は初めてで、7日の全国理事会に諮る。学校にバレーボール部がないためプレーができない選手の“救済”が目的で、競技人口が減少しているなかで埋もれた人材を発掘し、バレー復活につなげる狙い。少子化や教職員の指導者不足などで、同じ悩みを抱える競技団体からも注目を集めそう。(中略)
     バレーボールは、小学生には地域スポーツとしてクラブチームがあるものの、中学進学後に部活動がないため、プレーを断念する選手が多い。「ヤングクラブ連盟」は、そうした選手の受け皿になる。公認指導者資格を持つ約5000人の地域スポーツ指導員が指導にあたる予定で、同協会は競技人口を増やしてナショナルチームの強化にもつなげる方針。学校単位のクラブ活動の衰退は各競技に共通しており、高校野球では昨年5月、統廃合校を対象に連合チームが発足し、全国高体連も複数校による連合チームの参加を認めている。しかし、今回は学校体育の限界を地域スポーツのクラブ組織でカバーするもので、画期的な振興策といえる。



 残念ながら、この計画がその後実行されたという話は耳にしないが、競技団体側の危機感のあらわれとして注目に値する動きである。かつての世界一から、今や五輪出場さえ危ぶまれるまでに追いつめられた末の発想だとしても、これまで厳然たる区別のあった「学校スポーツ」と「地域スポーツ」の垣根を取り払うということには大きな意味がある。


 また、Jリーグの発足とともに新しいスポーツのあり方を追求しはじめたサッカー界では、高校チームとJリーグの下部組織の「クラブユース」チームが戦って18歳以下のチームの日本一を決める『全日本ユース選手権』が今年で9回目を迎えている。




学校外の「クラブ」の必要性


 競技スポーツの低年齢化に伴い、「中学からでは遅すぎる」という声が高まりはじめて久しいが、日本の小学校には放課後の部活動がないため、これまで、それに代わってその空白を埋めてきたのは、民間の営利団体であるスポーツクラブや地域の(ボランティアによる)スポーツチームであった。


 前者は水泳や器械体操などがよく知られているが、柔道や剣道、空手などの武道の「道場」は昔から存在していた。いずれも個人競技で、学校では十分に教えてもらえないスポーツである。


 後者には、野球・ソフトボール・サッカー・ラグビー、それにバレーボールなどの団体競技が多く、地域や選手の保護者たちのボランティア活動によって成り立っていることが多い。かつては子どもたちが空き地や道路に勝手に集まって、自由に野球やサッカーをしていたものだが、その場所が自動車の増加などによって失われてしまったことも、こういった活動が盛んになる遠因となっているだろう。


 いずれの場合も、大人の手が入ることによって「遊び」のもつ自由闊達さは失われたかもしれないが、指導者に恵まれれば正しい技法や練習方法が身につけられるため、技術レベルは格段に上昇しているはずである。その証拠に、今では、いろんな競技のトップレベルで活躍する選手の多くがこういった小学生のスポーツ組織を通過しているそうである。


 しかし、これら(営利的なスポーツクラブも含めた)「地域スポーツ」は本人の自主性、自発性が原則である。たとえ、最初は「親の勧め」で始めたとしても、本人が嫌になればいつでもやめることができるものである。いくら「健康にいい」とか「体力や根性がつく」という教育的効果が謳われても、初めてするスポーツが楽しくなければどんどんやめていくのも当然であろう。だから、小学生のスポーツ組織には「スポーツの楽しさを経験させる」という要素が絶対に不可欠だそうである。


 「もっと上手になって、もっと楽しくなりたいから、一生懸命、練習するのだ。」というのは田尾安志氏の言であるが、テニスを引退した伊達公子氏も、田尾氏との対談で、最初に入った「幼児クラス」で十分にテニスの面白さを教えてもらったからこそ、その後の「猛練習」もつらくなかった、と言っている。


 しかしながら、そういう小学生も、中学生になってそのスポーツを続けたければ、学校の部活動に入らなければならない。そのとき、先ほどのバレーボールの記事のように、その部が存在しない、あるいは存在しても指導者がいないためレベルが低い、などのケース、さらには、指導者がいてもその指導になじめない、など、いろいろな障碍にぶつかって、続けたくても断念せざるをえなくなるケースも少なくないであろう。そんな彼(彼女)らが学校以外でそのスポーツをしようと思ってもその機会は今の日本にはない。あったとしても「公式戦」には出られない。つまり、トップレベルに通じる道は断たれているのである。


 こういうことが積み重なれば有能な人材もどんどん埋もれていくし、競技人口も減っていくであろう。そうならないためには「公式戦」参加資格の緩和しかない。だから、そこを衝いたバレーボール協会の発想は絶対に正しかったのだが、正しいことがすんなりと通るとは限らないのが世の常でもある。




「クラブ」を待ち受ける諸問題


 具体化の過程で直面するであろう問題はいくつも考えられる。まず「学校外のクラブ組織」(以下、「クラブ」と呼ぶ)を設立したとして、その維持運営はどうするのか、ということである。小学生のための地域スポーツは地元住民のボランティアに支えられてきたが、ボランティア頼りでは日常的なスポーツ活動はできない。学校職員が指導する「部活」チームに公式戦で互角に戦うためにも、「クラブ」にも専任のコーチは必要である。


 幸い、人材は余るほどあるようだ。恒久的に続く生徒減のため、体育系大学を卒業しても学校の教師に採用されない人々はたくさんいる。彼(女)らはいろんな学校の非常勤講師をして専任教諭になる機会を待つか、あるいはスイミングクラブなどの「社会体育」企業に就職するしか、身につけた技術や知識を生かす道はない。だから、いわば「社会体育」の拡充にあたる「クラブ」の創設は、スポーツを専門に学んできた若者の将来にとって大きな福音となるであろう。しかし、彼(女)らに支払う人件費はどうすればよいのか、それにそもそも「クラブ」創設に必要なスポーツ施設を建設する膨大な費用はどこから捻出すればよいのか。そのひとつのヒントとしてサッカーのJリーグ方式がある。


 Jリーグは、我が国における「クラブスポーツ」の確立に向けて、現在最も尽力・邁進している組織だといえよう。企業チームの集まりであったそれまでの「日本リーグ」を発展的に解消して生まれたJリーグが参加各チームに要求した「理念と方法」は次の4点である。


  1. (1) 各チームは独立した法人とすること
    (2) 地域に根ざしたホームタウン制を確立すること
    (3) 15,000人以上収容の本拠地スタジアムを確保すること
    (4) 少年までの年齢層ごとのチームおよびその育成組織を持ち、将来的に は地域の大人から子供までがさまざまなスポーツを楽しめる「総合スポーツクラブ」の設立を目標とすること





欧米の「クラブ」がモデル


 究極のかたちからいえば、法人化されたチームに出資するのは地域に住む個々の住民であるべきだ。しかし残念ながら、日本の現状では、住民(または市民)はまだ社会的・政治的な「主体性」を持った存在にはなっていない。したがって、Jリーグ発足にあたって各チームに出資したのはこれまでの「日本リーグ」のチームを持っていた大企業が中心であり、また「15,000人以上収容の本拠地スタジアム」も“地域振興”効果に魅力を感じた地元「自治体」によって建設されたものが多かったのもやむをえないであろう。最近ではJリーグ・スタート時のブームも去り、スタンドの空席が目立っているそうだが、鹿島、市原、平塚、磐田、柏など、それまでなじみの薄かった地名が一躍、全国に知れ渡るなど、地方都市の「活性化」に大きな効果があったのは否めない。また懸念された(4)の「自前の選手育成システム」も地味ながら着実に成果を上げていて、ワールド杯の最終候補選手まで残った市川大佑(清水エスパルス)ら、下部組織の「ジュニア」出身選手がJリーグ・チームの主力へと育ちつつある。それに、今年、念願のワールド杯に初出場できたこともJリーグ発足の最大の功績といえるだろう。


 ところで、このようなJリーグのシステムにはモデルがある。それはヨーロッパや南米で普及している「スポーツクラブ」で、各都市、地域に根差し、もっとも人気のあるサッカーによる収入を柱に経営されていて、会員ならば、老人でも子供でもプロ・チームと同じグランドでサッカーが楽しめるようになっている。ドイツやスペイン、ブラジルやアルゼンチンなどの大クラブでは、サッカーだけではなく、バスケットやテニス、陸上や水泳などさまざまな競技施設を持ち、文字通り「総合スポーツクラブ」の名にふさわしいものだそうだ。


 そういえば、以前、テレビでヨーロッパのサッカークラブを紹介した番組を見たことがある。それによると、一流のプロ・リーグに出場しているクラブチームにはその二軍ともいえる下部組織チーム以外に、さまざまな年齢層、技術レベルのアマチュア・チームがつくられていて、クラブの会員は自分にあったチームに参加してサッカーを楽しみ、またコーチを受けることができるそうである。そして、看板のプロ・チームの試合ともなれば、そういった会員たちが自然に応援の中心になるのだという。そして、そんなクラブの収入源は「入場料」「スポンサー料」「テレビ放映権料」が三本柱で、赤字が出たら親会社が補填する日本とは違って、完全な独立採算制になっているそうである。


 さて日本のJリーグの場合、その目標がどの程度まで達成されているのであろうか。小学生のサッカーチームの選手で、中学生になってJリーグジュニアに入る選手はどれくらいいるのだろうか。そのあたりの現状についてはまったく知らないので、断定的なことは言えないが、Jリーグのこうしたシステムは中高生向けの「クラブ」にも参考になるのではないだろうか。




「クラブ」の練習時間とその方法


 「クラブ」の抱える問題としてもうひとつ「所在地」の問題がある。「クラブ」が生まれても、それが遠いところにあるのでは不便である。学校の部活動なら授業が終わればすぐに練習に取りかかれるが、放課後、また電車やバスに乗って「クラブ」まで行かなければならないのでは十分に練習できないであろう。


 だから「クラブ」は各地域に万遍なく散在し、学校の帰りに自宅近くの「クラブ」に寄って練習して帰る、というようにならなければならない。また、学校が完全に「5日制」になれば残りの2日はまるまる練習に当てることができるだろう。それに前に述べたように、従来の日本の「長時間練習」を改め、Exercise(技術の習得)と Training(体力・筋力の鍛錬)を使い分けた合理的な練習方法が確立されれば、このへんの問題は解決されるだろう。例えば、学校のある5日間は「体力づくり」と部分的な技術習得のためのドリルを中心にして、あとの2日で、ゲーム形式の全体練習、それに他クラブとの練習試合や公式戦などをする、という方法などが考えられる。


 練習といえば、日本では練習ばかりで、試合が少なすぎるのではないか、という声もよく聞く。これも『田尾スポ』からの引用だが、この番組に、ラグビー神戸製鋼の主将をつとめ、現在、全日本の監督をしている平尾誠二氏がゲストとして出演した時の話がある。平尾氏いわく、



  1.  自分がイギリスにラグビー留学をした時、向こうで入ったクラブチームには100名近くのメンバーがいたが、彼らは実力順に、日本でいえば1軍から6軍ぐらいまでチームをつくって毎週ゲームをしていた。しかし、6軍の選手が恥ずかしそうにプレイしているかといえば、そんなことは全然なく、自分の実力に合ったチームでゲームをする方が楽しいと思っているようだった。時に、上のクラスのチームから補欠要員として指名されることがあっても、そんな場合、「上にあがる」喜びよりも、補欠要員のためにフルにゲームに出場できない方が残念みたいで、みんなあまり喜ばなかったようである。だから、そんな環境の中から来日したイアン・ウィリアムズは、神戸製鋼に来て初めて練習した時にこう言った。

  2. 「あのたくさんの補欠選手たちは、ゲームに全然出られないのに、なぜあんなに一生懸命練習しているんだ?」

  3.  彼にはゲームを前提にしない練習など考えられなかったのである。


 ひと握りの「正選手」を大勢の「控え選手」が支えている。もちろん彼らも「正選手」に抜擢される機会をつねに狙い、それを目標に懸命に練習しているのだが、中には、ずっと「正選手」の練習相手だけで一度も試合に出ずに終わる選手もいることだろう。これはとくに団体競技の場合に多く、甲子園の野球大会でユニフォーム姿のままスタンドで応援している野球部員の姿を見ると胸が痛む。でも、彼らのような「下積み」がいてこそ「正選手」たちがグランドで活躍できるのだ。と、そのように賞賛され、「社会」は彼らのその「貴重」な経験を評価する。しかし、本当にそうなのだろうか。


 確かに教育手段のひとつとしては有効なものかもしれないが、スポーツの本来のあり方からは離れているのではないか。やはり、スポーツの本質は「身体の鍛錬」よりもその「ゲーム」性にあるのだから、このような「自己犠牲」はスポーツの持つ楽しさ、おもしろさを阻害するものである。


 平尾氏が、日本語の「選手」とか「試合」とかいう言葉は、選ばれた人間がその組織を代表して勝ち負けを争う、という感じが強すぎるので、あえてカタカナにして「プレイヤー」が「ゲーム」をするのだと言いたい、と述べていたのが印象的であったが、学校を離れた「クラブ」という組織の中でこそ、これまでの過剰な「教育性」を薄めた“本来のスポーツ”が実現するのではないだろうか。





「クラブ」制度が成功するための具体的条件


 話を少し戻して、「クラブ」制度の成立の過程をもう少し詳しく検討して、それが成功する条件を探っていこう。


 学校外の「クラブ」の創設と「公式戦」参加の許可、という2点の改革がなされ、新しくできた「クラブ」が順調にスタートしたとしても、しばらくの間は、オープン化された「公式戦」で学校の部活チームと新設の「クラブ」チームが共存するかたちが続くだろう。そして、この間の両者のせめぎ合いの中で、この改革が成功して日本のスポーツが「クラブ」中心へと移っていくか、あるいは挫折してもとに戻ってしまうかが決まるであろう。そのカギを握るのは、どれだけの数のクラブが創設されるか、そして誰が(どこが)その財政的なバックアップをするか、ということである。そして、そのひとつの案として、Jリーグ方式があることは既に述べたが、問題はその中核となるべき日本のプロ・サッカーにまだ「クラブ」財政を支えるだけの収益力がないことである。


 ではサッカー以上に歴史も人気もあるプロ野球はどうかということになるが、これも本稿(2)で述べたように、日本の野球はこれまでの長い歴史の中にがんじがらめに縛られているので、今のところ、すぐには無理であろう。


 企業や自治体といういつもながらの方法も考えられるが、出発点となる運動施設を確保するための設備投資(土地獲得費用や建設費用)が何といっても重荷になるだろう。さらに、2000年に実施されることが先の国会で可決成立した「スポーツ振興投票(サッカーくじ)法」による収入を当てにする向きもあるだろうが、スポーツを「賭け」の対象とすることへの国民の批判は根強く、またその「助成金」が政治家や官僚たちの新たな「利権」となる懸念もあって、手放しでは賛成しがたい。しかし現実的な観点から見れば、それは「クラブ」設立当初の設備投資のための資金としては貴重なものに違いないし、また「クラブ」制度創設という具体的目標を掲げることによって、この法律に対する理解と認知が進むということもあるかもしれない。


 他方、部活チームを抱える学校の側から考えてみよう。中学はまだしも、高校になればどの学校にもたいていの運動部が存在する。その競技の専門の指導者がいる部もあれば、そうでない部もある。生徒の方も、その競技についてきちんとした技術と体力を身につけて将来、競技スポーツとしてより高いレベルを目指していきたいと考えている者もいれば、一度そのスポーツをやってみたい、楽しんでみたいと考えて気軽に入部してくる者もいる。


 ここには明らかに2種類の運動部がある。すなわち、専門のコーチと高いモチベーション(意欲)を持つ部員がいる「競技スポーツ」的な運動部と、そのスポーツをとにかく楽しみたいという生徒と、専門家ではないが(専門家でもかまわないのだが)生徒といっしょにそのスポーツを楽しみたいという顧問教師のいる「健康スポーツ」的な運動部の2つが事実上存在する。にもかかわらず、形式上は1種類の組織として扱われ、公式戦も前者をベースとした1種類しかないため、試合では、大差がついてお互いを白けさせる事態も頻発するのである。


 だから、その「競技スポーツ」部分を受け持つ「クラブ」が学校外に出来たなら大助かりという学校や部も少なくないであろう。そうした場合、「クラブ」に一部の部員が移ってしまった残りの部員と顧問教師がこころおきなく「楽しいスポーツ」をやれるのである。ただ、楽しさを打ち出すあまり練習をおろそかにしたり、部としての「規律(ルール)」が無視されたりすれば自殺行為となるであろう。それではもはや、学校の課外活動とは言えなくなるし、また、本当に楽しくスポーツするためには上手にならなければならず、そのために正しい方法に基づいた練習は絶対に必要だからである。そうした理念を持って新時代の、新しい「部活動」を築き上げていける運動部のみが学校内で生き残っていくであろう。


 では、もう一方の「競技スポーツ」的な運動部はどうなるのか。優秀な選手を「クラブ」に持っていかれればこれまで苦労して築き上げてきた伝統も崩壊してしまう。とくに全国レベルの大会の常連校である場合は、その部活動が学校全体の“看板”となっているので文字通り死活問題となるだろう。当然生き残っていくためには「クラブ」チームと切磋琢磨し、その分技量の向上が図れるかもしれないが、校内での練習は過剰に厳しくなり、これまでの部活の抱える問題を拡大再生産することになるかもしれない。つまり、「クラブ」が潰れるか、「名門校」が潰れるか、ということになり、これはどう考えても不毛の選択でしかない。では、この両者を生かす名案はないのか、ということになるが、それがひとつだけある。「名門校」がそのまま「クラブ」になればよいのである。





「部活動」を「クラブ」に衣替えすれば


 分かりやすい例として野球部をとりあげると、PL学園の硬式野球部は学校から独立して「PL硬式野球クラブ」をつくるということになる。PL学園とは別法人だが、PL学園の100%出資でもかまわないし、場所も施設も現在のものをそのまま使えばよい。グランドにはナイター設備も付いているそうだから、新たな設備投資もいらないだろう。これまでと違うのは、部員(会員というべきか)はPL学園の生徒でなくてもよいということだけである。「クラブ」には定員もあることだから会員の選抜は当然行われる。「クラブ」独自の基準でテストすればよい。


 「クラブ」の指導を行うのはPL学園の職員ではなく、「クラブ」の職員である。体育の教員免許はなくても構わないが、当該競技(この場合なら硬式野球)の競技団体(日本野球連盟や高野連など)から発行された「コーチ・ライセンス」は必要とするのが妥当だろう。また、昼間はPL学園などの学校で授業を担当(非常勤)したりして、せっかくの優れた指導技術を活用することもできる。彼らの人件費、およびその他の「クラブ」の維持経費を捻出するために、会員からはしかるべき会費を取らなければならない。会員の側からいえば、通う学校外教育機関(塾やお稽古ごと)が1つ増えたということになる。





アマチュアリズムからの脱却


 ところで、スポーツの世界での「アマ」と「プロ」の垣根は近年、急速になくなってきている。かつては「ミスター・アマチュアリズム」の異名をもつIOC(国際オリンピック委員会)会長が、選手の着ているスポーツウェアの商標に目を光らせたり、また1972年の札幌冬季オリンピック大会ではアマチュア資格に疑問を持たれたオーストリアのアルペンスキーヤーが開会式の直前に参加を拒否され、泣く泣く帰国するという「事件」が起こったりもした。しかし、事態はその2年後に急変する。1974年のIOC総会でオリンピック憲章の参加者資格規定の改正が行われ、アマチュアの定義が削除されたのである。


 以後、陸上競技の大会の入賞者には賞金が出るのが普通になり、カール・ルイスセルゲイ・ブブカのようなスター選手は世界中の大会から引っ張り凧になった。また1992年のバルセロナ・オリンピックには、NBAプロバスケットボールの選手が「ドリームチーム」を編成して参加、他国チームを寄せつけない圧倒的な強さを発揮してアメリカに金メダルをもたらし大きな話題となった。


 そして日本でも1986年、日本体育協会(体協)が「スポーツ憲章」を新たに制定し、これによって古くからの「アマチュア規定」を廃止した。即ち、これまで体協が「アマチュア規定」によって一律に規制していた競技者資格を、各加盟団体の自主的・個別的規制に委ねることとし、各団体は加盟する国際競技連盟(IF)の規定に準ずる限り、競技者が出場料や賞金を受け取ってもよいということになった。


 さらには、「アマチュアリズム」の最後の牙城とみなされていたラグビーも1995年に「国際ラグビー委員会」でオープン化を決定、南アフリカ・ニュージーランド・オーストラリアを中心に事実上の「プロリーグ」が発足しているそうである。


 かくして「競技スポーツ」の世界では「アマチュアリズム」という言葉が死語となりつつあるのだが、これは当然のことであろう。「競技スポーツ」の本質は、自分がして楽しむのではなく、他人に見せて楽しませるという、いわば“見世物”のようなものなのだから、その競技者は必然的に「職業」化せざるをえない。しかし「アマチュア規定」によれば、スポーツによって報酬を得てはならない、とされている。とすると、「競技スポーツ」の選手として思う存分に力を発揮できる環境にあるのは、生活費を得るために働く必要のない人々、つまり「貴族(=大土地所有者)」の子弟か「学生」しかいなくなる。前者は現代では階級として死滅しつつあり、後者はその年限が限られている。そこで「他人に見せて楽しませる」レベルを維持するためには、企業や国家が身分的・経済的保証を与えて選手を育成するしかなかったのだが、「アマチュア規定」の廃止はそういった現実を追認したものといえるだろう。


 そこで話は「クラブ」に戻るが、こういった時代背景を考慮すれば、競技スポーツを基とする「クラブ」の会員の基本的立場は当然「アマ」ではなく「プロ」ということになる。ただ、この場合「プロ」という言葉を従来の概念、即ち「卓越した技量を持ち、それによって生活の糧を得ている者」という意味に限定してはいけない。ただ単に、競技スポーツによって報酬を得ることを妨げられない、という意味に解すべきである。もちろん、従来の概念に当てはまる者が「プロ」の究極の姿に違いないのだが、それに限ってしまうとどの競技においてもその数はごく僅かである。その僅かのポストを目指して、「プロ」になるというのは勇気のいることである。


 しかし、アマチュアリズムが崩壊すれば、「プロ」選手が「専業」でなければいけないということもなくなるはずである。例えば、学校の教師が陸上の大会に出て賞金を貰ったり、あるいは、1年間休職して、プロ野球の球団に入って「働く」ということも不可能ではないはずだ。逆に、プロ野球選手が「クラブ」のコーチをしたり、あるいは給料が少なくてコンビニなどでアルバイトをしたりする選手がいてもよいだろう。こんなことは競技スポーツの世界では想像しにくいかもしれないが、「芸を見せて他人を楽しませる」という点で競技スポーツと共通点を持つ、俳優や歌手、芸人、それに将棋や囲碁の棋士、さらには詩人や小説家といった人たちの世界では「本業」と「副業」が並立錯綜しているのが常である。


 「クラブ」は狭義の「プロ」を育成するためだけのものではない。そこにはそのスポーツを楽しみたいという幅広い年齢層の人々が加入し、その中の一握りが結果的に狭義の「プロ」選手になるのだ。だからその過程において、競技スポーツとして、言い方はよくないが「金になる」ことがあればどんどん活用してもいいだろう。例えば、有料の練習試合や公式戦を開催したり、選手のスポンサー契約や肖像権などを管理したり、など収入の道はいろいろあるだろう。ただそのためには、「人気」というものが必須条件となる。いくら「プロ」を自認していても誰も見に来てくれないのでは話にならない。また、いくら技量が優れていてもそれがすぐに「人気」に結びつくとは限らない。そこで、「人気」(即ち「観客動員」)の基礎となり、その支えとなるものとして「フランチャイズ」制というのが不可欠となってくるだろう。つまり、地域住民が地元のチームを応援する、というスタイルがどうしても必要なのだ。そしてそうなれば、地域の「クラブ」を核として、地域内に新しいコミュニケーションが生まれ、それは地域のコミュニティーにこれまでにない新しい質を与えるかもしれない。


 かくして、「学校」から解放された競技スポーツは「アマチュアリズム」の呪縛をも解かれ、地域連帯の象徴として大きく羽ばたく可能性を手に入れたのだが、一方後に残された学校はどうなるのか、いよいよ「学校システム」の問題に入っていくとしよう。

(以下次号)


初出誌: 『Mini 雑想』 第5号 (1998年10月28日発行)





【自註】

 

「以下次号」とあるが、掲載の『Mini 雑想』が、この第5号で休刊してしまったために、この続きは存在しない。

 「学校システム」の問題に入っていくとしよう..... と、その内容が予告されていて、事実その腹案も当時はしっかりと存在していたつもりだったが、発表する場がないというのはなんとも辛いもので、書かないでいるうちに、頭の中にあったはずのイメージがいつの間にか薄れてしまっていた。

 それに、この原稿を書き始めたときは、「規制緩和」「国際化」などが〈時流〉になっていて、それに〈便乗〉したところもなきにしもあらずであったが、その後、そうした「規制緩和」「国際化(=グローバル化)」などの弊害が急速にあらわになりはじめ、当初の勢いをそがれてしまったことも、頓挫の一因だったかもしれない。

 さらに、私事を述べれば、私自身、この間に60歳の定年を迎えて、学校の専任教諭の地位を下りてしまった、ということもいささかそれに拍車をかけただろう。一線を退いてしまうと、「学校」というものも、以前よりは〈他人事〉になってしまったような気になるのは否めない。

 しかし、自分の「未来」はだんだん消え去っていくとしても、それは自分の子供や孫をはじめとする〈後世〉の人たちに、否応なく受け継がれていく。

 とくに、ついこの前まで「一億総中流」と繁栄を謳歌していたこの国で、「格差」が指摘されはじめたかと思うと、いつの間にか「貧困」が大きな問題となり、『蟹工船』がベストセラーになってしまうという昨今、私たちの住む社会はこのあとどうなってしまうのだろうかということは、「未来」が乏しくなってしまった私としても気掛かりなことである。それをじっくりと考えてみるためにも、かたちは変わるかもしれないが、この続きは何としても書かねばならない、と思っている。

 いずれにしても、これまで書き溜めた原稿もこれで尽きてしまった。このあとは、時間を見つけて、コツコツと新しい原稿を書いていく他、このページを更新する道はない。かなりブランクもできてしまったので、乾いてしまった筆はかなり滑りの悪いものになっているだろうが、どうか、気長にお待ち下さい。



目次へ

 

アトランタの教訓 (5)