詩を暗誦する(5)




 前回まで、「昔話」が過ぎた感があるので、本筋に戻すことにする。
 詩の暗誦を始めて3ヶ月が経った2007年11月までに覚えた詩は12編だった。かなり速いペースである。念のためにもう一度列挙してみよう。

  (1) ひとつのメルヘン (中原中也) 14行
  (2) 谷間に眠る男 (ランボー) 14行
  (3) ためいき (マラルメ) 10行
  (4) 羊雲 (清岡卓行) 36行
  (5) 何処へ? (立原道造) 14行
  (6) El Dorado (E. A. Poe) 24行
  (7) 二月のテーブル (以倉紘平) 21行
  (8) 唄・一九六一 (清水哲男) 65行
  (9) 秋のうた version 1 (清岡卓行) 14行
 (10) 秋のうた version 2 (清岡卓行) 14行
 (11) 佃渡しで (吉本隆明) 41行
 (12) 千年---- 『1860年英国大衆詞華選』一編 (以倉紘平) 30行

 それぞれの作品についてのエピソードは本文中に、それこそ過剰なほど述べられているが、(9)、(10)の2編の清岡作品についてはまだなので、簡単に触れておきたい。




清岡卓行『秋のうた』の2つのバージョン

 『羊雲』を暗誦しようと思って、その原稿を入力すべく「清岡卓行詩集」をひもといたとき、すっかり色の変わった新聞の切り抜きが挟まれているのを発見した。そこには、『秋のうた』と大書されたタイトルの詩があり、作者は「法大助教授」という肩書きの清岡卓行であった。

 日付も新聞名も不明だったが、新聞の文芸欄にはその題字の下に、その時節に合った詩や短歌、俳句をカットのように掲載されることがよくあるので、たぶんそんな欄に、今の、秋の季節にふさわしい作品を何か、と求められて書いたような作品だった。そのときはたぶん「清岡卓行」という名前を見て、わざわざ切り抜いたのだろうが、とりあえず保存しておいただけで、なかみはさっと一読した程度だったと思う。

 そして、『羊雲』を暗誦したあと、ちょうど季節にふさわしい作品ということで思い出したのがこの『秋のうた』だった。清岡卓行のアンソロジー詩集の目次を見直してみると、この作品は、意外なことに1970年に刊行された第4詩集『ひとつの愛』にも収録されている「代表作」のひとつのようだった。長さも手頃なので、さっそくその切り抜きをワープロに打ち込んで暗誦をはじめることにした。

 周知のごとく、清岡卓行は1968年に先妻を亡くしている。その事実を知っていれば、この作品がその悲しみをうたったものであることはすぐにわかる。それを念頭に、4行、4行、3行、3行の「14行詩」をほぼ暗誦し終えた頃、アンソロジー詩集にある、『ひとつの愛』に収められた『秋のうた』に目を通してみて驚いた。同じような内容なのに、言葉がかなり変わっているのだ。いったん発表された作品は「決定稿」であるという先入観を持っていた私は、これは大発見ではないかと、「清岡卓行の専門家」でもある畏友の宇佐美斉氏にこのことを報告した。

 さすがに、この新聞に発表された『秋のうた』のことはご存知なかったようだが、宇佐美氏によれば、詩人が、最初に雑誌などに発表した作品を、詩集に収めるとき、さらにそれらをまとめた「全詩集」に収録するときなどに、もう一度推敲を加えて改変することはよくあることだということだった。清岡卓行の場合も、ご遺族の話では、発刊された詩集の余白にはいっぱい「朱が入って」いて、亡くなる直前まで、最良の「ことば」を追求していたそうである。

 なるほどと思って、『ひとつの愛』版のも『秋のうた version 2』として暗誦することにした。改変されていたのは、イメージをより鮮明にしようという感じの個々の言葉の修正の他に、第3連と第4連がすっかり入れ替わっていることであった。「起承転結」の、「転」と「結」の入れ替わりだから大きな変更である。

 『version 1』では、鏡に映った「ダリア」に悲しみに耐える自分を託した、と思われる連を「転」に置き、でもそんな中から非情にも浮かび上がってくる「残酷な言葉」に対する戸惑い、を「結」に置いている。ところが、『version 2』では、「残酷な言葉」に対する戸惑い、が「転」に入って、「結」は、悲しみに耐える鏡に映った「ダリア」となっていた。ということは、時とともに、「耐えていこう」とする自分に重点が移っていって、「妻を亡くした悲しみ」がいくぶんか和らいでいったことを反映しているのだろうか。



(9) 秋のうた(Version 1)

追いたてられるように 眼を覚ますと

深く長い眠りからではないのに

一瞬 記憶喪失症にでもかかったように

ぼくはぼくの致命的な愛が思い出せない。


そこには たちこめる青く白い霧の乱れ。

のどが激しく乾く夜中にいちど そして

どんな宝石よりも透明な朝に もういちど

世界がまるでわからなくなるのだ。


ぼくの古い鏡の中のダリアが揺れる。

夏のあいだを泣きあかした瞳のように

それでも冬に挑もうとする手のように。


ああ そんなに深い悲しみの海の底から

いつも真先に浮かびあがってくる漂流物。

その残酷な言葉を ぼくは誰に語ろう?





(10) 秋のうた  (Version 2)


なにかに追いたてられるように 眼を覚ますと

深く長い眠りの 洞窟からではないのに

一瞬 記憶喪失にでもかかったように

ぼくはぼくの 致命的な愛が思いだせない。


そこには たちこめる青く白い霧の乱れ。

のどが激しく乾く夜中にいちど そして

どんな恐怖よりも透明な朝早く もういちど

世界のすべてが まるでわからなくなるのだ。


ああ そんなに深い悲しみの空の涯から

いつも真先にたどりつく 一つの漂流物。

その残酷な言葉を ぼくは誰に語ろう?


熱にうなされたダリアが 鏡の中で揺れる。

夏のあいだを泣きあかした 瞳のように。

それでも冬に挑(いど)もうとする 拳のように。





ランボー『酔っぱらった船』に挑戦

 さて、ところで、当初は暗誦に自信がなかったので、作品を選ぶに当たっては何よりもその「長さ」を基準にしていた。最初、14行詩などで「足慣らし」をしてから、(4)『羊雲』の36行で少し「冒険」をした。そして一歩後退、しばらく躊躇してから、(8)の『唄・一九六一』 で65行まで大きく踏み出した。

 暗誦を積み重ねて7編まで到達して自信がついてきたのと、これはどうしても覚えたい、という強い意欲が重なって、思い切った「挑戦」となった。これまでは、一番長かった『羊雲』でもワープロ用紙1枚に収まっていたが、今度はまるまる2枚である。「60年安保」での挫折に歯を食いしばって耐える「抒情」を底に秘めながらも、表向きはそれとは全く無関係な飛躍したイメージが、次々と断続的に打ち出されてくるこの作品を暗誦するのはたいへんなことであった。

 しかし、この暗誦をやり終えると、ひとつ峠を越えたように、もはや「量」というのが制約ではなくなって、そのあと(12)の、『千年---- 「1860年英国大衆詞華選」一編』まで、「長さ」を気にせずに、なんでも覚えたいものを覚える、というペースで進んでいった。そしてついに、そろそろ意識的に「大作」に挑んでみたいと思うようになって、迷わずに選んだのは、ランボーの (13)『酔っぱらった船』であった。 

 『地獄の季節』『イリュミナシオン』の2つの詩集には収まっていない「韻文詩」の中では最も有名なこの作品は、『酔ひどれ船』『酩酊船』などの邦題の上田敏、堀口大学や小林秀雄の訳が昔から有名だったが、私が選んだのは、宇佐美斉氏の訳だった。別に義理立てしたというわけではない。かつて目を通したことのある小林秀雄の『酩酊船』は、文語調の名調子で、いかにも気持ちよく暗誦できそうに思われたが、いかんせん、私にはその意味がよく理解できなかった。用いられている文語の日本語がすぐにはピンと来なかったことの他、明らかな「誤訳」もいくつかあると言われていたからである。それに対して宇佐美氏の訳はそれらを正した明快な口語訳で、題名も『酔っぱらった船』という思い切ったものであった。

 この詩の主人公は人ではなくて船で、乗組員がだれもいなくなって、荒波の中であてどもなくさまよい、自由気ままに世界中の海を漂流していくこの船に、ランボー自身の波乱の青春が重ねあわされていると想像される内容だが、この船は水に「酔っぱらって」はいても、「酔いどれ」たり、「酩酊」したりして、自分を見失っているわけではない、というのが宇佐美氏の弁であった。

 『酔っぱらった船』という邦題は、かつてボードレールの詩集『悪の華』をあえて、『悪の花』と訳した研究書を公刊した宇佐美氏らしい、正確かつ合理的な英断であった。実は、かつて『ランボウ詩集』を公刊した中原中也も、この詩を最初に雑誌に発表した時のタイトルを『酔つた船』としていたそうだが、後に『ランボウ詩集』に収録するときには、当時すでにあまりにも有名になっていたこれまでの「通り名」に従って『酔ひどれ船』としている。

 ところで、この正確かつ平明な『酔っぱらった船』も私にとっては、はじめからすんなりと理解できるものではなかった。4行×25連、計100行の、それぞれの1行1行がこれまで覚えた日本の詩よりも5割増し以上に長いもので、その1連4行を覚えるのには数日を要し、100行すべてを暗誦しきるまでに、優に3ヶ月はかかってしまった。2007年11月から翌年1月にかけてのことである。

 でもその3ヶ月の間、おもに、通勤の行き帰りの道などで紙切れを片手にブツブツと繰り返し、夜、例によって浴槽の中でその日までの復習をするという毎日だったが、そうやって少しずつこの詩が、全体として私の中にしみ込んでくる、あるいはやや大げさに言えば、自分の一部となっていくような気がした。

 フランス語の原詩はほぼ全くといっていいほどわからないが、宇佐美氏の訳は、視覚的なイメージができるだけ正確に伝わるようにやや説明的に訳されたもののように思われた。そのため語数が少し多めになっているが、それでもそれは最小限のものに限られ、例えば冒頭第1連の4行目の「.... 弓矢の標的にしてしまった」のあと、「詠嘆」の意をこめて「のだ」という言葉をつい付け加えたくなるが、そんな「冗語」はほぼ一貫して排除されている。そして、そのように絞り込まれた「口語」が、思いがけないことに、一種の音声的なリズムを醸し出しているようにさえ思えるのは不思議だった。絢爛な名調子が上滑りして、視覚的なイメージを置き去りにされがちな、上田敏、堀口大学、小林秀雄の訳とは対照的といえよう。

 かくして、この世にも有名な、しかも100行もの長い詩をなんとか自分のものとすることができたのだが、失ったものも多かった。『酔っぱらった船』の暗誦に費やした3ヶ月の間に、それまでに覚えた12編の詩はすべて私の脳髄から消え去っていたのである。晩学の悲しさ、浴槽の中での日々の「復習」なくしては、その記憶は保持されることはできなかったのである。もし、それが10代のころに覚えたものであったなら、60代の今もすらすらと暗誦できているかもしれないのに。(この項続く)



  1. (13) 酔っぱらった船


  平然として流れる大河を下ってゆくほどに

  船曳(ふなひ)きに導かれる覚えはもはやなくなった

  甲(かん)高く叫ぶインディアンが色とりどりの柱に

  彼らを裸のまま釘づけにして弓矢の標的にしてしまった


  フランドルの小麦やイギリスの綿花を運ぶ船である私は

  あらゆる乗組員どものことにもはや無頓着だった

  船曳きがいなくなるのと同時にあの喧騒も収まってしまい

  大河は私の望むがままに流れを下りゆかせた


  たけり狂う潮騒のなかを ある年の冬のこと

  子供の脳髄よりも聞き分けのない私は

  疾走した 纜(ともづな)をとかれた半島といえども

  これほど勝ち誇った大混乱に身を委ねはしなかった


  嵐が海上での私の目覚めを祝福した

  コルク栓より軽々と波の上で私は踊った

  遭難者を永遠に転がし続ける者と呼ばれるその波の上で

  十夜にわたって 角灯(かくとう)のまぬけ眼(まなこ)を惜しむこともなく


  子供らが齧(かじ)る酸っぱい林檎よりは甘味のある

  海の蒼い水は 樅材(もみざい)の私の船体にしみとおって

  安物の赤葡萄酒と反吐(へど)のしみを洗い流してくれ

  舵(かじ)と錨(いかり)までもぎ取ってどこかへやってしまった


  そしてその時から 私は身を浸(ひた)したのだ 星を注がれ

  乳色(ちちいろ)に輝いて 蒼空を貪り喰っている海の詩のなかに

  そこでは時折 色蒼ざめて恍惚とした浮遊物

  物思わしげな水死人が 下ってゆくのだった


  またそこでは 蒼海原がいきなり染めあげられて

  太陽の紅(くれない)の輝きの下で錯乱し かつゆるやかに身を揺すり

  アルコールよりなお強く また私たちの竪(たて)琴の音よりなお広大に

  愛慾の苦い赤茶色の輝きが 醗酵するのだった


  私は知っている 稲妻に切り裂かれる空 そして龍巻

  砕け散る波と潮の流れを 私は知っている 夕暮れを

  一群の鳩のように高揚して舞い上がる暁を

  そして私は時折まさかと思われるようなことをこの眼で見た


  私は見た 神秘の恐怖にしみをつけられた低い太陽が

  菫(すみれ)いろの長い凝固の連なりを照らしているのを

  そしてまた古代史を彩る立(たて)役者たちのように

  大波がはるか遠くで鎧(よろい)戸の戦(おのの)きを転がしているのを


  私は夢に見た 眩惑された雪が舞う緑の夜

  すなわちゆるやかに海の瞳へと湧き上がる接吻(くちづけ)

  驚くべき精気の循環を

  そして歌う燐光が黄と青に目覚めるのを


   私は従った 何箇月もの間 ヒステリーの牛の群さながらに

  暗礁へと襲いかかる大波の後を追って

  その時は マリアさまのまばゆい素足が 喘ぐ大洋の鼻面を

  押さえつけることができるとは思いもしなかった


   私は衝突した 本当に まさかと思ったフロリダ

  人間の膚(はだ)をした豹の眼に花々がまぜ合わされるあの国に

  そしてまた 水平線の下へと 海緑色の野獣の群に

  手綱のように張り渡された虹にさえ衝突した


  私は見た 巨大な沼が魚簗(やな)となって醗酵し

  藺草(いぐさ)のなかに怪獣レヴィアタンがまるごと腐爛(ふらん)しているのを

  べた凪(なぎ)のただなかで海水が崩れ落ちるのを

  そしてはるかな遠景が滝となって深淵(しんえん)へと雪崩(なだ)れてゆくのを


  氷河 銀の太陽 真珠の波 燠火(おきび)の空よ

  褐色の入江の奥で味わったおぞましい座礁の体験

  そこでは南京虫に貪り喰われた大蛇が

  猛烈な臭いを放ってねじくれた木からずり落ちてくる


  子供たちに見せてやりたかった 青い波間の鯛や

  金の魚 そしてあの歌うたう魚らを

    泡沫(うたかた)の花々が私の漂流をやさしく揺すり

  えもいわれない追風が時々私に翼をあたえた


  時折 海はすすり泣いて私の横揺れを甘美なものにしながら

  極地や様々な地帯に倦(う)み疲れた殉教者である私に向かって

  黄いろい吸玉(すいだま)のついた影の花々をさし出すのだった

  そこで私はじっとしていた 跪(ひざまず)くひとりの女のように……


  まるで島だった 私が揺すっている船べりには

  ブロンドの眼をした口うるさい鳥たちが諍(いさか)いをしたり糞(ふん)を落としたりしていた

  そしてなおも航海を続けていると か細くなって垂れさがった私の纜(ともづな)を横切って

  水死人らが後ずさりしながら眠りに落ちてゆくのだった


  ところでこの私は入江の髪のなかに迷いこんでしまって

  鳥も住まない天空へハリケーンによって吸い上げられた船だった

  モニター艦やハンザの帆船といえども

  水に酔っぱらったこの骨組を救い上げようとはしなかったろう


  自由気まま 菫(すみれ)色の靄(もや)に跨(また)がられ 煙を吐きながら

  私は赤く染まった壁のような空に風穴(かざあな)をあけていた

  そこにはお人好しの詩人にとって甘美なジャムである

  太陽に彩(いろど)られた苔と蒼空の鼻汁(はなじる)とがこびりついている


  私はさらに走りつづけた 三日月模様の雷光に染まって

  黒い海馬ヒッポカムボスに伴なわれる狂い船となって

  その頃 七月は 沸騰する漏斗(ろうと)をそなえた群青色の空を

  棍棒の乱打でくずおれさせていた


  私は身ぶるいしていた 五十マイルも離れたところで

  発情した怪獣ベヘモットやメールストロームの大渦潮がうなるのを感知して

  青い不動の海原を永遠に糸を紡いで渡る身のこの私は

  古い胸壁に取り囲まれたヨーロッパを懐かしんでいる


  私は見た 星の群島を そして航海者に

  錯乱に陥った空を開示する島々を

    おまえは眠りそして隠れ住むのか あの底の知れない夜のうちに

  無数の金の鳥たちよ おお 未来の生気よ


  それにしても 私はあまりに泣きすぎた 暁は胸をえぐり

  月はすべて耐えがたく 太陽もまた例外なく苦い

  えぐい愛が私の全身を陶酔のうちに麻痺させた

  おお 龍骨よ砕け散れ 海にこの身を沈めるのだ


  私が渇望するヨーロッパの水があるとするならば

  それは黒々とした冷たい森の水たまりだ そこではかぐわしい匂いのする夕暮れに

  悲しみに胸をあふれさせてうずくまるひとりの少年が

  五月の蝶さながらのたおやかな小舟をそっと放ちやるのだ


  おお 波よ おまえの倦怠に浴してしまった私には

  もはや不可能だ 綿花を運ぶ船の航跡を消してゆくことも

  旗や吹流しの驕慢を横ぎることも そしてまた

  廃船の恐ろしい眼をかいくぐって航行をつづけることも


                       (宇佐美斉訳)



自註:

 この稿はこの夏に書かれるはずだった。しかし、あの猛暑である。「梅雨明け十日」のはずの暑さが、その後40日、連日35℃を下ることのない日が続いた。一日24時間、冷房を切ることができない毎日で、ついついこの原稿も後回しになって、いつの間にか、あの頃にはもう来ることがないのではないかと本気で危ぶんだ冬となって、今日、大晦日、途中ではあるが、なんとか更新することができた。

(2010.12.31)


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